韓流時代劇を見ていると両班や賤民という言葉が出てきます。
李氏朝鮮時代は身分制度の厳しい時代だったので必ず身分が問題になるんですね。
でも、現代にはない制度なのでよくわからない部分も多いと思います。
そこでドラマをみるときに役に立つ身分制度のお話をします。
李氏朝鮮時代の身分制度
李氏朝鮮では大きく分けると2つの身分がありました。
良人と賤民です。
古代中国の身分制度が元になっています。
良人とは
良人の権利
良人は科挙を受けて官職につける権利があります。あくまでも権利があるというだけです。科挙を受けるには膨大なお金と時間がかかります。実際には両班か金持ちしか受かりませんでした。
良人の義務
良人には租税、貢納、労役の義務がありました。
租税:税を収めること。
貢納:物を収めること。
労役:労働力を提供すること。
日本との比較
日本でも律令制度時代(飛鳥時代~奈良時代)には、租(納税)、庸(労役)、調(物を収める)という国民の義務がありました。
租・庸・調は古代中国の魏の時代に始まった制度です。日本と朝鮮もその制度を取り入れたのですね。
日本では平安時代あたりに律令制度が終わって年貢を納める制度に変わりました。
朝鮮では律令制度と似たような制度が李氏朝鮮になっても続いていました。李氏朝鮮では15代光海君のころに年貢を納める方式が始まりました。16代仁祖のときに縮小されましたが、その後ひろまって19代粛宗のころに全国に普及しました。
良人はさらに細かく別れる
良人はさらに両班、中人、常人に分かれました。
つまり。李氏朝鮮の身分は両班、中人、常人、賤民に分かれました。
ドラマでは両班と賤民はよく聞きます。でも、中人、常人は聞きませんよね。現代人にはわかりづらいので、民(たみ)や平民という言葉でひとまとめにされてしまってるんです。
両班(やんばん)
朝鮮における支配階級。日本でいう貴族や武士のようなものです。
高麗時代には両班とは文班(文官)と武班(武官)の両方を意味する言葉でした。つまり両班は身分ではなく職種を意味する言葉だったのです。なので両班=全ての官僚という意味なのですね。
でも役職は世襲されるようになりました。すると親が役人なら子も役人になります。
さらに役職に付いてる人の家族や子孫も両班と呼ばれます。子孫は生まれつき両班です。李氏朝鮮時代には身分そのものを意味する言葉になったのです。
両班は科挙で受かった人。と思われるかもしれません。でもすべてが科挙に受かったわけではありません。士林(サリム)という豪族・地主もいました。
彼らは豪族・地主でしたが儒教を勉強し政界に進出します。南人、西人とよばれる派閥を作った人達です。
地方の地主の場合、政界に進出しなくても儒教を重んじて両班的な生活をしていれば両班と呼ばれます。
高い役職につくには科挙に受かる必要があるというだけ。本人は科挙に受からなくても祖先に科挙の合格者がいれば両班と呼ばれます。
つまり、科挙の試験があるたびに両班が増える可能性があるのです。
(実際には科挙を受けることができるのはよほどの金持ちと時間がある人だけなので、科挙に受かるのも両班の子になることが多いです)
両班は租税、貢納、労役が免除される特権があります。
両班は自分で労働はせず、ひたすら儒教を勉強して科挙に受かって官職につくことを目的に生きていました。頭を使う仕事が偉くて肉体を使う仕事(職人を含む)は卑しい仕事だとされていたからです。
この考え方は現代の韓国でも生きています。韓国が日本以上の受験地獄だといわれるのもそのためです。子供にいい学校に入っていい仕事につかせようとします。役人、弁護士、医師など頭を使うとされる仕事につかせるために子供に受験勉強をさせています。最近ではIT業界も頭脳労働とされているので韓国のIT業界には人材が集まります。
中人(チュイン)
両班の下にある身分です。大きく分けると技術官集団と庶子に分かれます。
技術官
技術官は職人のことではなく医術や通訳など特殊な技能を持つ人です。
律科という試験を受けて国の役人になると中人という両班未満常民以上の存在になります。
医官や訳官の子は親の仕事を受け継ぐことが多く、世襲で役職を受け継ぐこともよくありました。結婚も同じ身分同士が多くなります。
医官
医術を身につけた人が律科という試験を受けて医官になります。世襲で親から仕事を引き継ぐことが多いです。
ドラマでは
許 浚(ホ・ジュン)が有名です。ホジュンは武官の庶子でした。親とは違う仕事を選んだ珍しい例です。
訳官
通訳・翻訳をする人。朝鮮では中国や日本と外交や商売で取引が多かったので中国語や日本語が出来る人が必要でした。交易に関わることがあるため両班以上の富を蓄える人もいました。
ドラマでは
禧嬪張氏(ヒビン・チャン氏)の一族は訳官でした。かなりの財力を持っていたといいます。
庶子
両班の妾から産まれた子供とその一族。差別は受けるものの、もともとが両班の血を引いているため相応の官職につくこともありました。武官になる人が多かったようです。
ドラマではよく差別を受ける存在として描かれます。それでも庶民からみれば身分の高い人です。両班ほどではないものの、それなりの力はありました。
ドラマでは
鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、貴人趙氏(クィイン・チョ氏)が有名です。
「オクニョ」のユン・テウォンも庶子の設定です。
常人
いわゆる庶民。農民などの一般の人々。職人や商人も含まれます。人口の大半を占める人々です。
常人の中でも農民の地位が高く、職人、商人は農民以下の扱いを受けました。朝鮮では職人や商人の身分は低いです。
朝鮮時代には常人の記録は少ないです。常人が記録を残すことがなかったからです。朝鮮では奴婢よりも常人の暮らしぶりを知ることのほうが難しいのです。
庶民の風俗として語られるものでも実際には両班の人達のものが多く、本当の常人がどんな生活をしていたのかはあまりわかりません。
士農工商の士を両班に置き換えれば朝鮮の身分制度にあてはまります。日本では農工商の順番は意味がありませんでしたが、朝鮮でははっきりと区別されていました。
商人と職人はレベルの低い仕事
時代によっては商人を賤民扱いすることもあったようです。「商道」で商人はかなり身分の低い存在と描かれているのも商売は卑しい仕事という意識があったためです。
常人も科挙を受ける権利はあります。でも、よほどのお金と勉強する時間がないと科挙には合格しません。実際にはほとんど受かった人はいません。
職人や商人を蔑ろにする考えは現代の韓国にも生きています。物作りや小売業はレベルの低い仕事、お金のない人がする仕事と思われています。そのため自営業を営む人はお金ができると家業は継がなくてもいいから子供をいい学校に入れようとします。韓国では「老舗は凄い」という考えはなく「いつまでも卑しい仕事をしている」という感覚なのです。
物作りが軽視されてきたため、日本のように高い技術を持つ中小企業はあまり多くありません。韓国の大企業を支えているのは外国製の工作機械や輸入した部品なのです。
ドラマでは
「商道」のイム・サンオク、キム・マンドク(自身は妓生出身)などが有名です。
架空の存在では「客主」のチョン・ボンサムもこの身分になります。
「ジョンイ」のモデルになったペク・パソンやその夫もこの身分だったと考えられます。
賤民
良人と違って官職につく権利はありません。科挙を受ける権利もありません。そのかわり納税の義務はありません。
賤民は奴婢とそれ以外に分かれます。基本的に名字がありません。父が賤民以外の場合は名字を持ってることがあります。
一口に賤民といっても細かく分かれています。とくに李氏朝鮮では高麗時代よりもさらに細かくなりました。
奴婢(ノビ)
役所や個人の家で雑用をする人。男は奴、女は婢です。
犯罪者や謀反人の子孫だとされます。崩壊した王朝の人々が奴婢にされることもあります。奴婢の子は奴婢です。借金が返せなくて奴婢にされた人もいます。税が払えないために奴婢になったものもいます。
母が奴婢なら父の身分に関係なく子も奴婢です。朝鮮の初期には父が両班なら母の身分に関係なく両班になれました。世宗の時代から、父親が両班でも母が奴婢なら子は両班になれない決まりになりました。
奴婢は財産として扱われ、売買ができました。人ではなく物扱いなのです。
持ち主以外の者が奴婢に危害を加えると処罰されました。身分が低いからといって一般の人が勝手に奴婢に危害を加えることはできません。持ち主から報復されても文句はいえません。
奴婢には役所の所有物である官奴婢と個人の所有物である私奴婢がいました。
奴婢は主人から虐待や過酷な労働や搾取を受けることがよくありました。苦しい生活に耐えかねて逃げ出す奴婢も多かったようです。ハン・ミョンへが調べたところ官奴婢の2割、10万人が逃亡していたことがわかりました。全国では100万人の奴婢が逃亡生活をしていると推定していました。ある地域の両班の家では3分の1が逃げていたという記録もあります。ひどい地域では5割が逃げたとも言われます。
官奴婢
宮殿や役所で使用されている奴婢。私奴婢よりも身分は上です。官奴婢の中には常人より裕福な者もいました。官奴婢は役目によって様々な呼び方があります。医女や茶母もそのひとつです。
23代純祖の時代に官奴婢制度は廃止になりました。4万人いた官奴婢が良民となりました。正祖の時代に大幅に奴婢が減ったのを受けて宮中でも奴婢をなくす事になったのです。
茶母(タモ):主にお茶くみを担当していた女性の奴婢。礼儀作法を身につける必要があったので奴婢の中では高い教養をもっていました。単純な肉体労働をするムスリに比べると高い地位の奴婢です。補盗庁では優秀な茶母を女性犯罪者の取り調べに使うこともありました。
医女:医官の補佐や宮中の女性の診察を行う人。医女の身分は低く宮中や役所では妓生あつかいされることも多くありました。李氏朝鮮の後半では医女制度は廃れ、妓生が医療を行いました。薬房妓生ともいいます。女官(宮女)と違い品階はありません。
ムスリ:主に水汲みや火焚きなどの肉体労働をする雑用係。モンゴル語の「娘」という意味の言葉が語源です。高麗は元の属国だったので高麗時代に普及した言葉です。ムスリは宮殿の外で暮らして宮殿に通っていました。女官と違い結婚することも出来ました。
他にも房子などがいます。
私奴婢
宮廷や役所ではなく、個人が所有している奴婢。使用人です。両班だけでなく裕福な良人も奴婢を所有していました。個人の家の財産として扱われ。売買や相続の対象になりました。
両班などの裕福な家では茶母をおいてあるところもありました。
奴婢以外の賤民
奴婢以外の賤民もいました。職業が厳しく制限されていました。
僧侶:朝鮮では仏教は差別されていたので僧侶は賤民扱いです。日本統治時代に僧侶の身分差別は廃止されました。
胥吏:もともとは高麗王朝に服従した地方の豪族が役人になったもの。李氏朝鮮では賤民にされて役人の雑用係的なものになり卑しい身分とされました。
妓生:いわゆる遊女。両班の相手をするため舞や詩歌などの教養が必要とされることもありました。中国に対する貢物としてもあつかわれました。身分制度がなくなると妓生は賤民ではなくなります。1970年代まで韓国の主要な産業として国を支えました。
男寺党:芸能活動をしている人々。旅芸人、楽師も賤民です。
韓国で芸能人の待遇が過酷なのは芸能活動は低俗な仕事と思われていた影響だといわれています。
白丁:屠畜業・食肉加工・皮加工・骨加工などの仕事をしていました。李氏朝鮮中期以降は農業を行うこともありました。納税の義務はありません。賤民の中でももっとも低い身分でした。奴婢とくらべても歴然とした差があります。人ではなく獣扱いされたといいます。良人に撲殺されても訴えることもできません。
「トンイ」でコムゲが「賤民は自分たちで身を守るしかない」と言っているのは奴婢以外の賤民の置かれた立場をよく表現しています。
李氏朝鮮に征服された高麗の豪族、高麗に敗れた新羅、新羅に敗れた百済などの人々も賤民にされた例もあります。
巫女、音楽家、犯罪者、逃亡者も賤民あつかいです。
白丁以外の賤民は一般の人と結婚できます(ただし子供は賤民です)。白丁は白丁同士でなければ結婚できませんでした。
ドラマの賤民
淑嬪崔氏はムスリだったという説があります。ムスリは王の住む場所には入れません。王との出会いの場がありませんから、淑嬪崔氏がムスリは無理があります。実際には「淑嬪崔氏はムスリ」はイ・インジャの乱のとき英祖に反逆した少論派が流したデマです。
トンイ:トンイの親は賤民の設定。宮中の音楽家(楽師)も賤民なのでトンイの兄が楽師なのは設定としてはおかしくありません。トンイに登場するオクチョンの母・尹氏は元賤民という設定。奴婢だったということなのでしょう。現実には中人です。
チャン・ヨンシル:ヨンシルの親は高麗王族に仕えた役人です。李氏朝鮮では賤民にされました。ドラマではヨンシルの父は自由に行動してますが、実際には賤民として差別されていました。
済衆院:主人公ファン・ジョンは白丁の設定です。李氏朝鮮末期、賤民の数は減っていましたが、白丁は残っていました。逆に白丁への差別はさらにひどくなったといわれます。
馬医:ペク・クァンヒョンは馬医でした。馬医も賤民あつかいです。
オクニョ:典獄署時代のオクニョは奴婢のあつかいは受けていないように描かれてます。でも本来、茶母は官奴婢です。ドラマの演出は歴史上の身分制度とは違っています。
ドラマ途中で地方の役所の奴婢にされました。中央役所の茶母から地方役所の奴婢(しかも妓生の役目を兼務の予定だった)ので降格には違いありません。
人口の割合
両班や賤民はどの程度のいたのでしょうか?
全人口に対してその身分がどの割合いたのか紹介します。
年代 | 両班(%) | 中人・常人(%) | 賤民(%) |
1690年(19代・粛宗) | 9.2 | 53.7 | 37.1 |
1729年(21代・英祖) | 18.7 | 54.7 | 26.6 |
1783年(22代・正祖) | 37.5 | 57.5 | 5.0 |
1858年(25代哲宗) | 70.3 | 28.2 | 1.5 |
これを見ると哲宗の時代には全体の7割が両班になっているのがわかります。
実際には戸籍逃れをしている人もいるでしょうから民の数はもっと多かったと思います。残っている数字ではこうなります。
この理由はいくつかあります。
・科挙に合格したらその子孫も両班なので両班が増えることはあっても減ることはない。
・賤民の身分を解放して賤民を減らし常人を増やそうとした。
・身分がお金で買えた。
・「納粟」制度。国に大量に穀物を納めれば両班になる。
・「空名帖」制度。国に米や穀物を納めると名目上の官職が与えられる。
朝鮮では後半になるとお金があれば両班の身分が買えました。李氏朝鮮後半になると商売で成功した裕福な中人・常人たちはこぞって両班の身分を買い求めました。農作業に従事していた奴婢の中には蓄財に成功して身分を手に入れたものもいます。朝廷も財政事情が苦しかったので身分を売りました。脱走する奴婢も多くいました。
正祖から純祖の時代にかけて奴婢は減りました。朝廷が自ら積極的に減らしたというより、様々な原因で減ってしまった。その現状を追認した。というわけです。
その結果。身分制度は崩壊。賤民は減ったのですが。両班が増えすぎてしまいまいました。
身分制度の崩壊で国も崩壊
両班が増えると大きな問題が起こります。両班は生産活動をしません。税も納めません。実際には権力や教養のない形だけの両班が多くいました。没落両班もいます。でもいくら官職についてなかったり没落しても両班は税を払いません。
人口の3分の1の人々が国家を支えるとんでもない世界になってしまいました。3分の1には老人子供を含みますから、実際に働ける人々はもっと少ないです。そうなると税負担は重くなります。おかげで民衆の生活は非情に厳しくなりました。
税を納める人が減ると国家財政は悪化。国は衰退します。
江戸時代の日本では武士は全体の1割。残り9割が農民や町民でした。支配階級の割合としてはこのくらいで良かったのです。朝鮮では粛宗までの時代がちょうどよかったのかもしれません。
李氏朝鮮末期。民衆は非情に重い税をかけられ苦しい生活をしていました。民衆の不満は爆発寸前のところまできました。各地で反乱が起きています。
朝鮮王朝は自力で民の反乱を抑えることができなくなるほど衰退。外国に頼るようになります。朝鮮は自力での改革にも失敗。王朝の滅亡は間近に迫っていました。
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