九公主・和碩和恪公主は清朝の第6代皇帝・乾隆帝の第九皇女。
母は令妃・魏氏です。
モンゴルの王子と結婚した固倫和静公主の妹。
嘉慶帝の姉になります。
「如懿傳」では愛新覚羅・璟妘(えいうん) として登場します。
姉と違い清朝の重臣と結婚しましたが、20代で結核にかかり若くして死亡しました。
史実の 和碩和恪公主 はどんな人物だったのか紹介します。
和碩和恪公主 の史実
いつの時代の人?
生年月日:1758年8月17日
没年月日:1780年12月14日
享年:23(数え歳)
姓:愛新覚羅氏
称号:和碩和恪公主(わせきわかくこうしゅ、ホショイヘケグンジュ)
父:乾隆帝(けんりゅうてい)
母:令妃・魏氏
夫:札蘭泰(ザランタイ)
子供:なし
清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。
日本では江戸時代になります。
おいたち
1758年(乾隆23年)に生まれました。
父は乾隆帝。
母は令妃 魏氏
乾隆帝にとって九番目の娘なので「九公主」と呼ばれます。本名は不明。
令妃 魏氏にとっては二番目の娘です。
同母姉には七公主・固倫和静公主がいます。
九公主は舒妃・葉赫那拉(イェヘナラ)氏に育てられました。
これは令妃 魏氏に問題があるとかではなく。清朝では皇帝の子はみんなで育てる習慣があるからです。とくに令妃 魏氏は子供が多かったので子育てが特定の妃嬪に偏らないように分担していました。誰を誰に育てさせるかは皇帝に決定権があります。子供のいない妃嬪やベテランに任されることが多かったようです。
1764年(乾隆29年)。重臣の兆惠(ジャオフィ)が闘病生活の末に死亡しました。兆惠はジュンガルのアムルサナーが反乱を起こしたとき、反乱鎮圧に功績のあった重臣です。
乾隆帝は自ら北京の兆惠の自宅を訪れ。息子の札蘭泰(ザランタイ)に乾隆帝の娘を嫁がせること決定しました。
1771年(乾隆36年)12月。和碩和恪公主の称号が与えられました。
重臣の札蘭泰(ザランタイ)と結婚
1772年(乾隆37年)8月。和恪公主は大学士の札蘭泰(ザランタイ)と結婚しました。札蘭泰の姓は烏雅(ウヤ)氏。
大学士とは正確には内閣大学士。現代の日本とは違い大学に務める人ではありません。清朝では中央の政府=内閣の役人です。内閣大学士の位は正一品。内閣大学士は現代日本の政府機関「内閣」の語源になりました。
和恪公主の結婚相手の札蘭泰(ザランタイ)は地位の高い役人だったのです。
和恪公主と札蘭泰の結婚後、宴会をするのが慣例でした。乾隆帝と皇太后・鈕祜祿(ニオフル)氏が熱河の離宮に行っていたのでパーティー会場は保和殿(紫禁城内にある皇帝出席の大規模な宴会のときに使う大きな建物)ではなく、熱河に近い清寧宮(清朝の第ニ首都・盛京にある宮殿)で行われました。
また内務府からは、和恪公主の養母・舒妃の暮らす永寿宮でも宴席が設けられ、羊10頭、酒十瓶が振る舞われました。乾隆帝と皇太后・鈕祜祿(ニオフル)氏は熱河離宮にいたのでこちらには出席していません。
清朝の規則では和碩公主にはゲル(居住用の大型テント)、輸送用の牛車、ラクダが支給されることになっています。ところが乾隆帝は和恪公主には支給しないように命令しました。
和恪公主と札蘭泰は都で暮らしているので必要ない。という判断です。
しかも和碩公主の持参金は乾隆帝の娘の中では最低の金額でした。
夫がモンゴル人の和静公主と違って、和恪公主の結婚相手は北京で暮らす満洲人です。夫の里帰りに付き合うための費用はかかりません。
街中で定住していれば長距離の移動に使う乗り物や家畜や旅費は必要ありません。その分の費用が必要なくなったのです。
乾隆帝としては必要のない費用は出さないという判断です
とはいっても富察皇后の生んだ 固倫和敬公主などには贅沢させているので。乾隆帝にとっては何人かいる娘の一人だったのかもしれません。
すくなくとも溺愛はされていなかったのは間違いありません。
1773年(乾隆38年)。娘を出産しました。
1774年(乾隆39年)。慶貴妃 陸氏が死去。和恪公主と十五皇子永琰が喪服を来て葬儀に出席しました。
1775年(乾隆40年)。生母の令皇貴妃 魏氏が死去。和恪公主は他の兄弟姉妹たちとともに葬儀に出席しました。
1780年(乾隆45年)。結核になりました。医師たちは治療を行いましたが、回復せず病死しました。享年23(数え歳)(満年齢:22歳3ヶ月)
1780年(乾隆45年)。乾隆帝は和恪公主の娘・大格格をひきとって宮殿で育てました。和恪公主が残した遺産は大格格が結婚するときの持参金にするよう指示しました。
1780年(乾隆53年)には夫の札蘭泰も死去しています。
TVドラマ
如懿傳〜紫禁城に散る宿命の王妃~ 2018、中国
役名:愛新覚羅·璟妘 九公主 演:晨媛兒
「如懿傳」では令貴妃魏氏(劇中では衛氏)の設定が史実とはかなり違います。九公主・璟妘は生まれてすぐ壽康宮に連れて行かれ、由太妃に育てられます。衛嬿婉が力をつけると彼女のもとで育てられました。85話で恪嬪に預けられます。
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