和親公主(わしんこうしゅ)とは中華王朝から周辺国に嫁いだ公主(王女)のことです。
国内の勢力に嫁いだ場合は和親公主とはいいません。
春秋戦国時代のように中原の国同士で国と国が政略結婚をしたときも「和親公主」とは言いません。
政略結婚で嫁がされる皇帝(王)の娘=和親公主ではないのです。
中華王朝、または中華王朝の後継者を主張している国が異民族の国と政略結婚をした場合。政略結婚で嫁がされた君主の娘は「和親公主」と呼ばれます。
立場上は皇帝(王)の娘になってますが実際には皇帝の娘でないことが多く。皇帝以外の王族の娘、高官の娘、皇帝に服従した国の娘の場合もあります。
政略結婚はどの時代、どの国にもあります。王の娘が政略結婚で他国に嫁ぐのは中国だけの習慣ではありません。「和親公主」とよばないだけで同じことは他の国も行っています。
とくに遊牧民の国では結婚は「同盟の証」だったので遊牧民の国どうして王の娘が他の国に嫁ぐことはよくありました。中華王朝が強くなると周辺の遊牧民の国から皇帝の娘を嫁にほしいとお願いに来ることもあります。
でも中華王朝では政略結婚で嫁ぐ女性に「和親公主」というもったいぶった呼び名をつけていました。
なぜ和親公主が存在しているのでしょうか。中華王朝の和親公主が生まれたいきさつと、彼女たちの立場を紹介します。
漢王室の和親公主の歴史
漢は建国していきなり和親公主を匈奴に嫁がせました。
というのも建国者の高祖 劉邦(りゅう・ほう)は匈奴の王・冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう、単于は君主の意味)との戦いに敗れました。戦いに敗れた漢は匈奴の属国になり、毎年匈奴に膨大な貢物を送ることになりました。それだけではありません。人質として皇帝一族の娘を匈奴の君主に嫁がせることになりました。
紀元前189年に高祖 劉邦の宗女(一族の娘)が冒頓単于に嫁ぎました。具体的に高祖 劉邦とどのような縁戚関係なのかはわかりません。漢では「長公主」とよばれており。形の上では皇帝の姉妹扱いになっていたようです。
その後も6代皇帝・景帝 劉啓(りゅう・けい)まで11人の和親公主が匈奴に嫁ぎました。
漢では「公主」は「翁主」とよばれていますが。誰の娘だったかはわかりません。皇帝の実の娘ではなく親族や高官の娘だったのかもしれません。
皇帝も人の親です。いくら国のためとはいえ、自分の娘を敵だった国に送りたくはありません。そこで自分の子でない人を養子にして「公主」として送り出しました。
高祖 劉邦から景帝 劉啓まで漢は匈奴に属国扱いされていました。屈辱的な扱いをうけていてもなかなか匈奴には勝てず我慢するしかなかったのです。その間国力をつけ軍を強化しました。そして武帝の時代。漢は匈奴の属国から脱出するため戦いを挑みました。
武帝は匈奴の敵・烏孫と同盟。そのために和親公主を烏孫に嫁がせました。そして烏孫と共同で匈奴を打ち破りついに匈奴の属国から抜け出すことに成功しました。
漢と匈奴の立場は逆転。武帝の時代に貢ぎものや和親公主を嫁がせなくてもいいようになり。逆に匈奴から漢に和親公主が来るようになりました。
11代皇帝元帝の時代には匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢に朝貢。漢の皇帝に娘を妻にほしいと希望しました。そこで元帝は後宮の中から宮女を選んで嫁がせました。それが 王昭君(おうしょうくん)。皇帝の一族ではありませんが和親のために匈奴の王に嫁がされた女性です。
なぜ和親公主が嫁がされるの?
和親公主は国同士の政略結婚のために嫁がされる王女のこと。
中華王朝でなくてもよくあることです。
それに結婚=同盟と考える遊牧民の国でも王の娘が嫁ぐのはよくあることです。
でも中華王朝では皇帝の娘が他国に嫁ぐのは本当はしたくありません。中華王朝は世界の中心。周辺国は野蛮人の国。対等な国の存在は認めないからです。
でも現実には政略結婚しなければいけないときもあります。
相手国が強くで戦っても勝てないとき。人質になる娘を差し出して安全を保証してもらわないといけません。漢が匈奴に行なったようにです。
でも中華王朝側としては屈辱的なことなので人質と認めたくありません。そこで「和平の指名を帯びて他国に行った王女」という意味で「和親公主」という地位を与えました。
和親公主の役目は相手国が本国に危害を加えないように防波堤の役目をすることです。
もうひとつ。中華王朝側が強いけれど戦って相手国を服従させるには犠牲が大きすぎる。できるだけコストと犠牲を少なくして相手を服従させたい。そういうときにも和親公主を嫁がせます。
どちらにしても中華王朝が圧倒的に強ければ和親公主を送る必要はありません。本当は送りたくないけど仕方ないから送っている。
「和親」とは世界の中心(そう思っているのは中華王朝の側ですが)のはずの中華王朝がメンツを保つための言葉なのです。本気で友好を願っているわけではありません。
隋・唐時代には相手国を服従させる安上がりな方法として和親公主が送られることが多くなりました。元も高麗に皇帝の娘を嫁がせました。遊牧民の国では民族の違いはあまり気にしません。国や民族を超えた同盟のための結婚がよくあります。遊牧民が中華王朝の支配者になった場合は他国に君主や王族の娘を嫁がせる心理的なハードルが低くなるようです。
例外はありますが。
基本的には漢民族の国(漢・宋・明)は自国が不利になったとき、強い国に和親公主を送ることが多いです。
隋・唐や遊牧民の国では周辺国を手懐ける手段として和親公主を送ることが多いです。
漢の和親公主一覧
記録に残る和親公主は以下のとおり
年 皇帝 地位 姓名 実の親 嫁ぎ先 嫁ぎ先での称号
前189年 高祖 長公主 劉氏 不明 匈奴 冒頓単于 閼氏
前192年 恵帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 冒頓単于 閼氏
前176年 文帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 冒頓単于 閼氏
前174年 文帝 公主 劉氏 不明 匈奴 老上単于 閼氏
前162年 文帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 老上単于 閼氏
前160年 文帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 軍臣単于 閼氏
前156年 景帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 軍臣単于 閼氏
前155年 景帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 軍臣単于 閼氏
前152年 景帝 公主 劉氏 不明 匈奴 軍臣単于 閼氏
前140年 景帝 翁主 劉氏 不明 匈奴 軍臣単于 閼氏
前108年 武帝 公主 劉細君 劉建 烏孫 昆莫 獵驕靡、岑陬軍須靡 右夫人
前104年 武帝 楚公主 劉解憂 不明 烏孫 軍須靡、翁歸靡、泥靡 右夫人
前 33年 元帝 宮人 王昭君 不明 匈奴 呼韓邪単于、復株累若鞮単于 閼氏
「閼氏」とは匈奴で妻または妾を意味する言葉の発音を漢字に置き換えたもの。「夫人」の意味。
和親公主は漢の時代から後も続きます。
嫁ぎ先での立場
和親公主が他国に嫁いだとき。母国と嫁ぎ先の国が友好的で平和なら和親公主の生活も安泰でした。
嫁ぎ先の王も丁重にあつかってくれます。母国の両親に会うことはできませんが。使節はやってくるので手紙や送り物をやり取りできました。
中華王朝側も公主が生活に困らないように様々な衣服や品物、書物を送り、生活資金を送ることもあります。中華王朝から嫁ぎ先の国に金銭や食料が送られることもあります。
中華王朝側が強い場合。和親公主は現地でも尊敬されるのでそれなりに影響力を持つこともあります。
また意外なようですが遊牧民の国は中華王朝よりも女性の地位が高いです。遊牧民は野蛮だから女性の地位が低いと思っている人は多いでしょう。でも違います。遊牧民の国はたしかにむさ苦しい男社会です。だからといって女性が虐げられているわけではありません。
わかりやすく言えば、遊牧民は体育会系のノリ。中華王朝は文系のノリです。
むしろ儒教が普及した中華王朝の方が女性への差別が強く女性の社会的な地位が低いです。今の中国や韓国、日本の女性の社会的地位が低いのをみれば文明の進み具合と女性の地位の高さ低さは関係ないことがわかります。変な思想が流行るか流行らないかの違いです。
遊牧民の王と妃は別々のパオ(ゲル=円筒形のテント)で暮らし。王と妃は別々に自分の財産を持っています。王は妃の許可がないと妃のテントに入ることはできません。
文化人を気取って理屈を言ってる儒教国のほうが女性差別が強いです。
社会的に女性蔑視の習慣のある中華王朝に嫁がされる遊牧民の王女に比べれば。中華王朝側から遊牧民の国に嫁がされる公主の方がまだマシ。かもしれません。
とはいっても、いくら優遇されても文化や習慣、食生活の違い、人々の気質のノリについていけない人にとっては辛い生活になります。何より親兄弟姉妹と離れて遠い異国で暮らすのは辛いことでしょう。
中には母国の皇帝に手紙を書いて不満を訴える公主もいました。でも同盟国の機嫌を損ねたくない皇帝は公主に我慢をするように命令することも多いのです。
とはいってもやっぱり国の犠牲者
どの時代や国でも政略結婚には悲劇がつきまといます。和親公主も例外ではありません。両国が敵対した場合は悲惨です。たとえ命を失わなかったとしても敵対して中華王朝側が弱かった場合は和親公主の立場は一転して「人質」や「貢ぎもの」になってしまいます。
戦争になって救出されて母国に帰れても「和親の務めを果たせなかった」と責められる公主もいました。皇帝や大臣、将軍、数十万の兵がいても遊牧民の国を抑えられなかったのに一人の女性に何ができるでしょうか?
「和親公主」は政略結婚には違いないのですが国内や同じ民族同士の政略結婚と違うのは、中華王朝側の変な責任やプライドまで背負わされているのです。
結局のところ、和親公主の立場は国同士の力関係や友好度で大きく変わってしまいます。
「和親公主」という大げさな名前がついていますが。中華王朝を維持するための犠牲者なのはかわりがないのです。
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