韓国ドラマ「イ・サン」は、朝鮮王朝第22代国王・正祖(イ・サン)の生涯を描いた人気ドラマです。
でも最終回で正祖 イ・サン の傍らに突然現れた幼い王子を覚えていますか?
ソンヨンとの悲しい別れの後、 いきなり登場した王子の姿に「一体、誰の子?」「いつ生まれたの?」と疑問を持った方も少なくないはずです。
この記事ではそんな「イ・サン 最終回の王子は誰の子?」という疑問をお持ちのあなたに向けて、謎に包まれた王子の正体を徹底的に解説します。
ドラマの中では語られなかった王子の母親、そして彼がその後どのような人生を歩んだのかまで、史実に基づき詳しくご紹介します。
1. イ・サン最終回 突然王子が登場!
正祖の傍らに現れた幼い王子コン
感動の最終回を迎えた韓国ドラマ「イ・サン」。多くの視聴者がソンヨンとの悲しい別れに涙しました。でも最終回、病に侵され余命わずかな正祖 イ・サンの前に、突然見慣れない幼い王子が現れます。
王子の名前は玜(コン)。
王としての心得を語る正祖
正祖はその王子コンに穏やかな眼差しを向け、王としての心得を語りかけます。それはかつてイサンが祖父の英祖から厳しくも愛情深く教えられてきた内容と重なります。
幼いながらも真剣に耳を傾ける王子コンの姿は、 未来の朝鮮を担う希望の光そのものです。
パク・テスに託された王子の未来
さらに、正祖が自身の死期を悟り長年側で支えてきた忠臣パク・テスに王子コンのことを託す場面は印象的です。この場面の描写からも最終回に登場した王子コンが正祖イ・サンの後継者なのがわかります。
当然、見ている側としては短い登場時間とはいえこの幼い王子が次の王になったと思います。
2. 王子は誰の子? 劇中では語られなかった謎
最終回に現れた王子への疑問
最終回に突如として現れた王子コン。その愛らしい姿は微笑ましいですが、同時に大きな疑問も湧き上がりました。
それは、
という疑問です。
劇中では王子がどのようにして生まれたのか、その母親が誰なのかは一切語られていません。
ソンヨンの子という憶測まで
ソンヨン亡き後、正祖の傍に仕える女性はいたようですが、王子との関連性は描かれていません。
「イ・サン」では正祖サンの恋人としてソンヨン(宜嬪成氏)が登場。幼い頃からのサンとの絆や愛情が描かれました。ソンヨンには最終回直前で亡くなりましたが、ソンヨンはサンの子を生んだこともあります。
そのため、ネット上では
「ソンヨンが2人目に産んだ王子・・」
出典:Yahoo!知恵袋
といった憶測も飛び交いました。
新しい側室の子の可能性
でも、ドラマのこれまでの展開を振り返るとソンヨンが病に倒れ、最期を迎えるまでの状況から、さらに子供を身ごもり出産していたとはとても考えられません。
物語の描写や時の流れを考えると、この王子はソンヨンの死後に正祖が迎えた新しい側室との間に生まれた王子と考えるのが自然でしょう。
ドラマで語られない母親の謎
でも、その新しい側室が誰なのか?どのような経緯で正祖の側室になったのかは、ドラマの中では全く描かれていません。
そのため見ている側としては大きな謎として残ってしまいました。これでは大勢の視聴者が「イ・サン 最終回の王子は誰の子?」と疑問をもつのは当然です。
3. 最終回の王子の正体:後の朝鮮第23代国王・純祖
王子コンは純祖(スンジョ)
ドラマ「イ・サン」の最終回に登場し、幼いながらも聡明な光を湛えていた王子コン。彼の正体は後の朝鮮王朝第23代国王となる純祖(スンジョ)です。
純祖は1790年(正祖14年)に正祖の次男として誕生しました。諱は李玜(イ・ゴン)。
幼くして王位を継承
純祖は父 正祖の崩御後、わずか10歳という若さで王位を継承しました。幼い国王を支えたのは貞純大妃を中心とする外戚勢力でした。
最終回で描かれた幼い王子は 次の朝鮮を背負って立つことになる若き国王の始まりを告げるものだったのです。
4. 最終回の王子の母の史実:知られざる側室 綏嬪・朴氏とは
純祖の母は正祖の側室・綏嬪朴氏
ドラマ「イ・サン」最終回に登場した王子コンの母親は劇中では明かされませんでした。でも歴史の記録には答えが書かれています。
朝鮮王朝第23代国王・純祖(スンジョ)を生んだのは正祖の側室 綏嬪(スビン)・朴(パク)氏。
綏嬪朴氏(スビン・パクシ)は1770年(英祖46年)に朴氏の名門の家柄に生まれました。父は朴準源(パク・チュンウォン)、母は原州元氏。本貫は潘南朴氏です。
宜嬪成氏の死後に入宮
綏嬪朴氏はドラマでヒロインとして描かれた宜嬪成氏(ウィビン・ソンシ)が亡くなった翌年の1787年(正祖11年)に側室になりました。
側室として入宮した背景
正祖の正室 孝懿王后には実子がなく、他の側室との間にも跡継ぎは生まれていません。王室の後継者誕生が十代な課題になっていました。そこで大妃(正祖の生母・恵慶宮)の強い希望により、朴氏は新たな側室として選ばれたとされています。
異例の速さで嬪の地位へ
注目したいのは彼女が入宮と同時に従二品 嬪(ピン)というという高い地位を与えられたことです。
王子を産んでいない側室がいきなり嬪になるのはとても珍しいです。家柄がいいのは持ちろんですが、早くから王位継承者となる王子の母を産むことが期待されていたことを意味するのでしょう。
待望の王子・李玜を出産
彼女自身も大きなプレッシャーの中で宮廷生活をスタートさせたのでしょうね。
でも綏嬪朴氏はそのプレッシャーに耐え、1790年(正祖14年)待望の王子 李玜(イ・ゴン)を出産しました。
正祖との関係
正祖は文孝世子を亡くして以来、嫡男の誕生を強く望んでいました。綏嬪朴氏が王子を出産すると正祖は大変喜びました。正祖は幼い玜(コン)を非常に可愛がり自ら学問を教えるなど、深い愛情を注ぎました。
また正祖は綏嬪朴氏を寵愛し彼女が住む殿閣を頻繁に訪れたという記録も残っています。
正祖にとって綏嬪朴氏は後継者を産んでくれた重要な存在であるとともに、心の安らぎを与えてくれる女性でもあったのでしょう。
純祖即位後の地位「嘉順宮」
純祖が即位すると彼女は敬称を与えられ、「嘉順宮(カスングン)」と呼ばれるようになります。
しかし、当時の後宮には大王大妃(英祖の継妃・貞純王后)や王大妃(正祖の妃・孝懿王后)といった強大な権力を持つ女性たちが存在していました。
後宮内での控えめな立場
そのため国王の生母という非常に重要な立場といいながら、綏嬪朴氏が後宮内で強い影響力を持つことはありませんでした。彼女は、常に上位の女性たちの動向を注意深く見守りながら、慎ましい生活を送っていたと考えられます。
この辺は正祖の母・恵慶宮(ヘギョングン)に扱いが似ています。
一族の繁栄と幸運
でも一族が没落した恵慶宮と違い、嘉順宮の一族は純祖の即位後に重臣に取り立てられ彼女は一族の繁栄を目の当たりにしました。
そして何よりも名誉なのは朝鮮王朝の数多くの側室の中で、生きている間に自分の産んだ子供が国王になるという喜びを経験した唯一の人物なのです。
英祖をはじめ生母が側室の王は何人かいますが、純祖以外は生母の死後に王位に就いています。綏嬪朴氏はとても幸運な女性だったと言えるますね。
ドラマでの描かれ方と歴史上の重要性
とはいえ、国王の生母という非常に重要な立場にもかかわらず綏嬪朴氏はドラマにはとんど登場しません。ドラマ「イ・サン」でもはっきりとは描かれません。
でも彼女は確かに朝鮮王朝の歴史に自らの子を王位に就かせたという特別な足跡を残した重要な女性なのです。
5. なぜドラマで王子の母(綏嬪朴氏)が描かれなかったのか?
後継者とその母は重要な人物のはずです。でもなぜドラマ「イ・サン」では描かれなかったのでしょうか?
幾つかの理由を紹介します。
ドラマの焦点は正祖の生涯
ドラマ「イ・サン」はもともと朝鮮王朝第22代国王・正祖の波乱の生涯を中心に描く予定でした。そのため、物語の初期段階では正祖の政治的な手腕や苦悩、そして人間的な成長に重点が置かれていました。
ソンヨンとのロマンスの急展開
しかし、物語が進むにつれて正祖と宮女ソンヨン(宜嬪成氏)との身分違いの純粋な愛が視聴者の心を掴み、予想を上回る人気を集めました。
放送回数の延長とソンヨンとの恋愛描写の増加
この人気に応えるため制作陣は当初の予定を変更。ソンヨンとの恋愛模様をより深く、より時間をかけて描くことにしました。
その結果、当初予定されていた放送回数 全60話を大幅に延長して77話で放送されることになりました。
(出典:『 イ・サン – Wikipedia』、2025年4月6日アクセス)
物語の焦点の維持
ドラマ「イ・サン」は正祖が即位するまでの苦難。ソンヨンとのロマンス、そして正祖の改革といった部分に重点が置かれていました。終盤はソンヨンとの別れという感動的な場面でクライマックスを迎える構成になっています。
新たな側室を登場させて出会いから王子の誕生まで描くのは物語のテーマから外れると判断されたのかもしれません。
視聴者の感情への配慮
ドラマ「イサン」ではソンヨンというとても印象深いヒロイン像が確立されています。そのため最終回で別の女性が正祖の重要な子供の母として登場すると視聴者の感情的な反発を招く可能性があると判断されたかもしれません。
時間的な制約
ドラマの放送時間には限りがあります。たたでさえ予定を延長して放送しています。そのため新たなキャラクター(綏嬪朴氏)を深く掘り下げるだけの時間がなかったとも考えられます。
視聴者の想像に委ねる演出
最終回で王子の存在を明かして未来に希望を残すことであえて詳しく描かず視聴者の想像力に委ねるという演出意図もあったかもしれません。
6. 最終回の王子=第23代国王 純祖:激動の生涯
幼い王子・李玜ははドラマ「イ・サン」の最終回で父・正祖から未来を託され、後に第23代国王・純祖(スンジョ)として即位。激動の時代を生きることになります。
10歳で即位した純祖
1800年。純祖は父・正祖の急逝によりわずか10歳で王位に就きました。幼すぎる国王を支えたのは系譜上の祖母にあたる貞純王后を中心とする外戚勢力でした。
貞純王后は純祖が即位すると大王大妃として垂簾聴政を開始、約3年間にわたり国政を主導しました。でもこの垂簾聴政は多くの弊害をもたらしました。
貞純王后の垂簾聴政とその弊害
正祖改革政治の否定と反対勢力の復活
最も大きな弊害の一つは、正祖の改革政治の否定と、反対勢力の復活です。
貞純王后は生前、正祖と政治的に対立していた老論派(ノロン派)の僻派(ピョッパ)を支持しており、垂簾聴政を開始すると彼らを再び重用しました。
そのため正祖が進めてきた革新的な政策は次々と見直され、朝廷内は再び保守的な勢力が力を増すことになりました。
南人系への弾圧「辛酉邪獄」
貞純王后による反対勢力への弾圧も深刻でした。 特にカトリック教徒を含む南人(ナミン)系の学者や官僚は厳しく迫害され、「辛酉邪獄(シンユサオク)」と呼ばれる大弾圧事件が起こりました。
この事件で多くの有能な人材が失われ、学問や文化の発展にも大きな負の影響を与えました。丁若鏞(チョン・ヤギョン)をはじめとする実学者たちもこの期間中に苦難を強いられました。
貞純王后と外戚による専横
さらに幼い純祖を傀儡にして権力を握った貞純王后とその外戚による専横も問題となりました。 朝廷の規律は緩み不正が横行、官職の売買なども行われたと言われています。これは正祖が目指した公正で清廉な政治とは正反対の方向へと進むものでした。
親政開始と新たな外戚・安東金氏の台頭
1805年に貞純王后が垂簾聴政から退くと純祖は親政を開始します。でも、その頃には新たな外戚勢力、中でも王妃の実家である安東金氏(アンドンキムシ)の勢力が政治の実権を握っていました。
学問を好むも政治的手腕を発揮できず
純祖自身は学問を好み文化事業にも関心を示しましたが、外戚の専横を抑えることはできず、政治的な手腕を発揮するには至りませんでした。
民衆反乱の頻発と社会不安
純祖の治世後期には、各地で民衆による反乱が頻発。社会不安が高まります。
その代表的な例が1811年に起こった洪景来の乱(ホン・ギョンネのらん)です。これは平安道地域での差別や重税に対する不満が爆発した大規模な反乱です。純祖は反乱を鎮圧するとともに、社会の安定化に向けた改革を模索しました。でも外戚勢力の抵抗などもあって改革は進みませんでした。
改革の試みと限界
このように純祖は幼い国王として即位した苦難に始まり、祖母である貞純王后の垂簾聴政による弊害、そして新たな外戚勢力の圧力、相次ぐ社会不安といった多くの課題に直面しました。
彼は王権の確立と民生の安定に尽力しましたが、その治世は決して平坦なものではありませんでした。純祖の時代は外戚政治(勢道政治)の弊害が激しくなり朝鮮王朝の衰退が明確になる時期でもありました。
44歳での他界と次代への負の遺産
1834年、純祖は44歳で亡くなりました。彼の後を継いだのは息子 孝明世子(ヒョミョンセジャ)の息子、つまり孫にあたる憲宗(ホンジョン)でした。正祖の築き上げた繁栄は純祖の時代を経て勢いを失っていくことになるのです。
純祖のさらに詳しい解説はこちらの記事を御覧ください。
・朝鮮 純祖(スンジョ)民衆が疲弊する暗黒時代の始まり
まとめ:最終回の王子は綏嬪朴氏の子だった
韓国ドラマ「イ・サン」の最終回に登場した幼い王子コン。その正体は後に朝鮮王朝第23代国王となる純祖でした。彼の母は正祖の側室 綏嬪朴氏です。
この記事ではドラマでは語られなかった王子の誕生の背景や、その母 綏嬪朴氏の宮廷での立場、そして純祖が父の死後、激動の時代をどのように生きたのかを史実に基づいて解説しました。
純祖はわずか10歳で即位。外戚勢力や社会不安など様々な問題に遭いながらも懸命に政治を行おうとしました。
でも純祖の時代から朝鮮は衰退の流れは止められなくなります。正祖の時代は朝鮮が栄えていた最後の時代なのかもしれません。
コメント