宜城君(ウィソングン)は韓国ドラマ「サイムダン・色の日記」に登場する王族です。
劇中では若い頃に申師任堂(シン・サイムダン)と恋人になりました。
結婚はできませんでしたが、成人後も再び出会います。
宜城君は世宗の子孫といわれています。
本当にそのような王族はいたのでしょうか?
実は宜城君は実在の人物ではありません。
でもモデルになった人物はいます。
ドラマに登場する宜城君とモデルになった人物の紹介をします。
宜城君・李謙(イ・ギョム)
4代国王・世宗の子孫。
称号は 宜城君(ウィソングン)
本名は 李謙(イ・ギョム)
世宗の孫・亀城君と妓生の間に生まれた子供が宜城君の父です。
設定上の血筋
高祖父:4代朝鮮王 世宗・李祹
曽祖父:臨灜大君・李璆
祖 父:亀城君・李浚
父 :名前不明
本 人:宜城君・李謙(イ・ギョム)
父の死後、大伯母のイ氏に育てられました。
祖先の世宗は朝鮮史上最高の名君と言われる王様。
曽祖父の臨灜大君は兄の首陽大君に味方。世祖が即位後は兄を助けて政治を行いました。
祖父の亀城君は南怡(ナム・イ)とともに李施愛の反乱を鎮圧。その功績で兵曹判書になり。8代睿宗の時代に領議政になります。9代成宗の即位後、王族が力を持つのを警戒した韓明澮(ハン・ミョンフェ)・申叔舟(シン・スクチュ)たちによって陥れられ流罪になり、その後死亡しました。亀城君は19代粛宗の時代まで罪人として扱われます。
逆賊になってしまった亀城君の子孫たちも良い暮らしはしていません。
と、ここまでは史実と同じ。
ドラマの設定
亀城君の子らは史実とは変えてあります。
ドラマの設定ではどうなっているかというと。
宜城君の父は亀城君と妓生の間に生まれた子供。王族らしい生活はおくれず放浪生活をしていました。
宜城君も父とともに放浪生活をしていました。
そのため堅苦しいことが苦手です。
若い頃サイムダンと出会い恋仲になります。そのときすでにサイムダンは絵の名人になっていました。宜城君はサイムダンとの結婚を考えますが、フィムダンやミン・チチョンの妨害で実現しませんでした。サイムダンは冴えない儒学者のイ・ウォンスと結婚させられます。
絶望した宜城君は結婚話を全て断り放浪の旅に出ました。
しばらくときが流れ。漢陽(ソウル)に戻ってきた宜城君は中宗に逆賊ではないかと疑いをかけられます。
中宗は宜城君を殺そうとします。宜城君はサイムダンと再会した後、処刑を受け入れようとします。しかし仲間によって助けられ船で朝鮮を脱出しました。その後、なんとイタリアに逃げてボローニャで暮らします。
宜城君はイタリアのアトリエでサイムダンを描いた絵を残しました。
この絵が現代の舞台で物語のカギになります。
「サイムダン・色の日記」は現代と過去が行き来する物語。芸術の国イタリアを舞台にしたいということで、むりやり16世紀の朝鮮とイタリアをつなげています。
宜城君・李謙のモデルになった李岒
宜城君・李謙という人物は実在しませんが、よく似た人物は実在します。
李巖(り・げん、イ・オム)という16世紀前半の画家です。
1499年生まれ
李巖は世宗の4男・臨瀛大君のひ孫です。
つまり血筋はドラマの宜城君と同じです。
李巖は画家として活躍しました。
花、鳥、動物、昆虫などの絵を残しています。
代表は「母犬図」、「花鳥狗子図」。
「母犬図」はドラマ「サイムダン」の劇中にも登場します。
李巖は中宗時代の1545年に杜城令という役職に任命されています。少なくともこのころまでは生きていたようです。
サイムダンが生きた時代と同じです。
李謙が李巖をモデルにしているのは間違いありません。
でも李巖が史実のサイムダンと面識があったかどうかはわかりません。
もしかすると仕事で会ったことはあるかもしれません。
でもドラマのような恋愛にはならなかったでしょうね。
ドラマ
サイムダン・色の日記 2017年、SBS
演:ソン・スンホン
少年時代:ヤン・セジョン
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