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宜城君 申師任堂の恋人は実在したの?

1.5 李氏朝鮮の人々

宜城君(ウィソングン)は韓国ドラマ「サイムダン・色の日記」に登場する王族です。

劇中では若い頃に申師任堂(シン・サイムダン)と恋人になりました。結婚はできませんでしたが、成人後も再び出会います。

宜城君は世宗の子孫といわれていますが、本当にそのような王族はいたのでしょうか?

実は宜城君は実在の人物ではありません。でもモデルになった人物はいます。

ドラマに登場するの宜城君と、モデルになった人物の紹介をします。

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宜城君・李謙(イ・ギョム)

4代国王・世宗の子孫。

称号は 宜城君(ウィソングン)
本名は 李謙(イ・ギョム)

世宗の孫・亀城君と妓生の間に生まれた子供が宜城君の父。

設定上の血筋

 世宗・李祹-臨灜大君・李璆-亀城君・李璆ー父ー宜城君・李謙

父の死後、大伯母のイ氏に育てられました。

世宗の子孫といいながら、曾祖父・亀城君が逆賊になってしまったのでその子孫たちも良い暮らしはしていません。さらに宜城君の父は亀城君と妓生の間に生まれた子供。王族らしい生活はおくれず放浪生活をしていました。

宜城君も父とともに放浪生活をしていました。そのため堅苦しさが苦手。

若い頃サイムダンと出会い恋仲になります。そのときすでにサイムダンは絵の名人になっていました。宜城君はサイムダンとの結婚を考えますが、フィムダンやミン・チチョンの妨害で実現しませんでした。サイムダンは冴えない儒学者のイ・ウォンスと結婚させられます。

絶望した宜城君は結婚話を全て断り放浪の旅に出ました。

しばらくときが流れ。漢陽(ソウル)に戻ってきた宜城君は、中宗に逆賊ではないかと疑いをかけられます。

中宗は宜城君を殺そうとします。宜城君はサイムダンと再開した後処刑を受け入れようとします。仲間によって助けられ船で朝鮮を脱出しました。その後、なんとイタリアに逃げてボローニャで暮らします。

宜城君はイタリアのアトリエでサイムダンを描いた絵を残しました。

この絵が現代の舞台で物語のカギになります。

「サイムダン・色の日記」は現代と過去が行き来する物語。芸術の国イタリアを舞台にしたいということで、むりやり16世紀の朝鮮とイタリアをつなげています。

宜城君・李謙のモデルになった李岒

宜城君・李謙という人物は実在しませんが、よく似た人物は実在します。

李巖(り・げん、イ・オム)という16世紀前半の画家です。

1499年生まれ

李巖は世宗の4男・臨瀛大君のひ孫です。

画家として活躍しました、花、鳥、動物、昆虫などの絵を残しています。代表は「母犬圖」、「花鳥狗子圖」。「母犬圖」はサイムダンの劇中にも登場します。

中宗時代の1545年に杜城令という役職に任命されています。少なくともこのころまではイキていたようです。サイムダンが生きた時代と同じです。

李謙が李巖をモデルにしているのは間違いないでしょう。しかし李巖が史実のサイムダンと面識があったかどうかはわかりません。

もしかすると、仕事で会ったことはあるかもしれませんが、ドラマのような恋愛にはならなかったでしょう。

ドラマ

サイムダン・色の日記 2017年、SBS

演:ソン・スンホン
少年時代:ヤン・セジョン

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