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中韓ドラマに予言が多いワケ(詳細版)天の命令で国ができる中華王朝の歴史

予言 e ドラマが分かる歴史の知識

中国韓国時代劇には「予言された人物が王になる」という話がよく出てきます。他にも「予言」「神のお告げ」がキーワードのドラマはいくつもあります。

ドラマが作りやすいという製作者の都合はおいといて。当たり前のように「予言」「神のお告げ」が出てくるのは、

中国や韓国では予言は信じられていた(いる)。

予言を利用する文化があった。

という証明。

中国や韓国では予言はリアルなのです。

そうなった理由は中国の歴史にあって、中国2~3000年の歴史の中には神の意思や予言が王朝を正当化してきた歴史があるんですね。

神の意思や予言はどのように中国王朝と関わってきたのか?オカルトが国を動かしてきた歴史をみていきましょう。

 

この記事は「中国韓国時代劇に「予言で王になる話」が多い理由」を更に詳しく大幅に加筆、漢より後の時代も紹介しています。ほぼ2倍の長さになりました。だからかなり長いです(約5千文字)。

要点だけ知りたい人はこちらを御覧ください。

・中国韓国時代劇に「予言で王になる話」が多い理由

 

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神に選ばれた者が地上の支配者になるしくみがある

天子は神(天)に認められた人

いきなり結論。
中国王朝は「神に選ばれた者が地上の支配者になる」しくみです。

日本やヨーロッパの王朝のように血筋はあまり重要ではありません。

そして。

地上の支配者を選ぶ神を (てん)といいます。
天の命令を受けた人が 天子(てんし)です。
天子が国の君主になると皇帝といいます。

普通は天子は皇帝を兼ねています。天子は地上世界に一人だけです。

「天」の崇拝を始めたのは中国人ではなかった

でも「天」は中国人が考えた神ではありません。古代中国人が信じていたのは黄帝とか炎帝とか「帝」という神です。

古くから「天」を信じていたのはユーラシア大陸の草原で暮らしている遊牧民。

遊牧民や狩猟民はシャマニズムを信仰していて自然界や人間界の出来事は神の意思と考えています。

遊牧民は「首長の座も天から与えられた」と考えました。

 

中国にやってきた天

天の崇拝が黄河流域の中原諸国(中国)に伝わったのは古代「周」の時代(約3千年前)といわれます。というのも周王朝を作ったのは遊牧民だから。

周王朝では君主の称号は「天子」。「周王は天の子だから地上の支配を認められている」と主張しました。

地上の統治を任すという天の命令を「天命」といいます。

世界の多くの古代王朝では王家の正当性を主張するために神話を作りました。天の意思もそんな神話のひとつでした。

でもやがて周王朝が没落して戦乱の時代になると「地上の支配者は周でなくていい」「天命が他の者に与えられていい」と考える人が出てきます。

その後、秦の始皇帝が「皇帝」という称号を採用。天子は使われなくなりました。

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天が地上の支配者を指名する制度が始まる

最初は漢の皇帝は権力が弱かった

やがて秦が滅びて漢が建国。

漢の初代皇帝 劉邦は地方の役人から皇帝になりました。皇帝と名乗っていても始皇帝のような権力はありません。各地には諸王がいて自治領みたいになってます。そこで後の景帝と武帝は諸王の力を削り。皇帝を頂点にした全国支配を完成させました。

漢では皇帝は天子と同じ。武帝は始皇帝のような独裁的な皇帝を目指しました。でも武力だけでは国は治められません。自分の権力を正当化する理由が必要になりました。

権力者のお悩み解決「儒教」

そんな皇帝のお悩みを解決するコンサルタントがいました。儒教を広めている「儒家」です。

儒教は祖先崇拝をもとに孔子がまとめた教えです。でも孔子の教えは人の生き方を説いた物が多く、戦乱の時代を生きる君主に役立つものではありません。漢王朝も最初は儒教は採用していませんでした。

そこで儒家は皇帝に取り入ろうと新しい教えを作りました

現代人が信じている儒教はだいたいこの時代やその後に作ったものが多いです。生前の孔子の教えを理解している人はあまりいません。

天が地上の人間に警告する

漢の武帝の時代。董仲舒という儒家が「天人相関論」を発表。

天は徳のある人を選んで天子に任命。地上世界の統治を任せます(これが天命)。

天が行うのは皇帝(天子)の任命だけではなく皇帝になったあとも問題があったら天が警告します。

皇帝がよい政治をすると天は吉兆を起こして祝福します。

例えば普段はいないような珍しい動物が現れる。珍しい自然現象が起きる。

すると皇帝が善政を行っていると判断します。最高に珍しいのが鳳凰や麒麟が出現することです。存在しませんけれど。

逆に皇帝が悪い政治をすると天は災害を起こしたり凶兆によって皇帝に警告を与えます。

疫病、日照り、地震、日食など天災、戦争は皇帝がよくない政治をするから。がないから起こると考えました。

儒教では天災は人災なのです。

こうなると皇帝は天に謝罪しないといけません。これが「私の不徳のいたすところ」の意味です。

「革命」とは天の命令が新しくなること

皇帝が悪い政治を続けると天が徳のない皇帝を見限って徳のある人物に天子の座を与えます

天の命令が新しくなるので「革命」と言います。は革(あらた)まる。は天の命令です。「革命」はもとは天の命令が変わるという意味の儒教用語です。

このストーリーは斬新でした。徳さえあれば血筋に関係なく誰でも皇帝になれるのですから。

天子にふさわしい徳があるか見分ける方法

天子にふさわしい徳があるのをどうやって見分けるのでしょうか?

それは簡単です。

新しく皇帝(天子)になった人が徳のある人です。

そのためには朝廷を支配して形だけでも支持者を集めて儀式ができるくらいの力は必要です。

徳のある人を探してその人を皇帝にするのが目的ではありません。即位正当化するための理屈なのでこれでいいのです。

だから
「秦が滅んだのは徳がないから天が見放したのだ」
「劉邦には徳があって天から認めたから漢が建国できたのだ」

となるのです。

儒教と権力の癒着でオカルト化が進む

儒教は皇帝に取り入ることに成功しました。そして「天が警告する」という手段を使って儒教が政治に介入する方法を発明しました。

でもやりすぎると反感をもたれます。事実、董仲舒は武帝を怒らせて失脚しました。

それでも儒教の提供したストーリーは権力者には魅力でした。人は武力だけでは従いません。「なぜこの皇帝でないといけないのか」というストーリーが必要です。

武帝より後。昭帝・宣帝・元帝と代を重ねるごとに権力と儒教の癒着が進みました。一族内での皇位継承でも正当性が弱いと思ったら吉兆に頼るようになりました。

皇帝は吉兆や凶兆を利用しては自分のやり方を正当化したり、政敵や気に入らない政策を批判しました。吉凶・凶兆の利用は臣下たちも真似するようになります。

実はこのやり方は孔子の教えを守る人たちからは批判されました。孔子は迷信は排除しようとしたからです。

でも勝ち残ったのはオカルト系儒教でした。

漢の誕生は予言されていた!?

オカルト化が進んだ儒教はスポンサーの漢王朝を正当化するため。孔子を神格化してその権威を利用。「孔子が漢の誕生を予言していた」というストーリーを作りました。

孔子の名誉のために書いておくと。孔子は迷信はできるだけ排除して、人の心を大切にしてものごとを考えようとしました。今の私達が知ってる儒教は孔子の教えとは違う部分が多いです。

儒学者も普段は迷信は信じない。と言っておきながら皇帝に取り入るときは「天が」とか言いいます。

それはともかく。

天の意思。予言。2つのキーワードが漢の正当化のために使われました。

もちろん漢が誕生した後に作った偽の予言です。

でも予言が王朝を正当化する。という実績を作りました。それなら「同じ方法で新しい王朝を作れるじゃないか?」と考える人が出てきても不思議ではありません。

 

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予言で誕生する王朝

予言で皇帝になった男・王莽(おう・もう)

そしてついに予言で皇帝になった人物が現れました。

前漢を乗っ取って新を建国した王莽(おう・もう)です。新しいから「新」ではなく王莽の領地が「新野」なので「新」です。

もちろん王莽は現実に様々な手段を使いました。予言だけで皇帝になったのではありません。

そのころは前漢もボロボロで「漢でなくてもいいよね」という雰囲気はありました。

謀反を正当化する理屈=革命」はすでにあるのですから。じゃあ「劉家でなくてもいいよね」となります。あとは王莽が革命にふさわしい人物だ。と人々に信じ込ませればいいのです。

王莽は偽の予言を作って広め皇帝になりました。

前漢は自分が採用した理屈で滅んだのです。

王莽はオカルト政治家でした。王莽は積極的に儒教を活用。予言・吉兆・凶兆による政治もどんどん進めました。でもわずか15年で滅びました。君主としては問題ありだったのです。

後漢の光武帝 劉秀も予言で即位

次の王朝は光武帝 劉秀(りゅう・しゅう)後漢です。

劉秀オカルト好きでした。劉秀も皇帝になるため予言を利用しました。王莽が信じた前漢・新のオカルト儒教をさらに改良して広めました。逆に劉秀は自分に都合の悪い予言は処分、漢だけが正しいという予言を残しました。

儒教は後漢の国教になりました。

新と違い後漢は200年近く続きました。

そして漢が滅んだ後も。

徳のある無しで天が天子(皇帝)を任命する。
天が吉凶・凶兆によって皇帝の政治の良し悪しを知らせる。

というストーリーは後の中華王朝が引き継ぎました。ここに書いた以外にも儒教が権力者に都合のいい理由はありますが予言とは関係ないので省略します。

儒教は権力者には麻薬と同じです。

中華王朝は儒教なしではやっていけない体質になっていました。

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道教がさらに予言を広める

後漢の時代に道教が誕生しました。

道教の最高神も天(天帝)です。内容は広める人、団体、時代によってバラバラです。

道教の教祖たちは王朝が自分たちを正当化した方法を使って教団や自分たちを正当化しました。神のお告げや予言は民衆に信じ込ませるよい手段でした。

道教は人々の救いになるので大変広まりました。

こうして「予言の話」は庶民にも広まりました。

やがて道教団体が中心になって漢に反乱を起こしました。

「黄巾の乱」です。この乱で漢は王朝としての機能をほぼ失います。あとは群雄が割拠する戦乱の時代・三国志に突入です。

天の命令で誕生した漢は神を信じる者たちによって崩壊しました。

武則天も予言で皇帝に?

武則天は皇帝になる前に「聖母臨人、永昌帝業(聖なる母は我らとともにあり、帝の偉業は永遠に栄える)」と刻まれた石を「発見」。

その石を宝として祀り、天子になれとの天のお告げだ。というパフォーマンスをしました。もちろん武一族が仕組んだヤラセです。

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漢民族最後の王朝はオカルト集団が作った

中国最後の王朝は清。でも漢民族が作った最後の王朝は明です。

明の初代皇帝・朱元璋(しゅ・げんしょう)は宗教結社・白蓮教の幹部でした。

白蓮教は明教(マニ教)と仏教が合体したような宗教。明教(マニ教)は光崇拝のゾロアスター教の影響を受けているので「世界の終わり」「救世主」の教えがあります。

「世界の終わりがやってる。そのとき弥勒が誕生する」というキャッチフレーズで信者を集めていました。

白蓮教では救世主(弥勒)のことを「明王」ともいいます。

朱元璋は「大明皇帝」と名乗りました。もちろん明王=救世主が元ネタ。

そして「明」が建国。予言は成就しました。救世主が治める地上の楽園が誕生したのでしょうか?

違います。朱元璋は自分が皇帝になると白蓮教幹部を粛清。教団を弾圧。儒教を使って国を支配しました。明朝は中華王朝でもとくに独裁がひどい国でした。

朱元璋は予言の力、人々が新しい王や救世主を期待する願望をうまく利用したのかもしれません。

王朝を揺るがす反乱軍も天(神)の命令で正当化

その明を倒したのが「天命」に従い「革命(天の命令が新しくなる)」を起こそうとする李自成(り・じせい)。李自成は運送業の失業者。李自成に反乱を正当化する理屈を教えたのは儒学者です。

その李自成も清に破れました。

最後の王朝、清を作った満洲人は仏教や「天」を崇拝するシャマニズムを信仰。国の統治には儒教を利用しました。

そして清朝末期、白蓮教、天理教の乱、そしてキリスト教を中華風にアレンジした団体が中心になって太平天国の乱が起こります。それらの団体も「神の声」を使って人を動かしていました。

清朝は内と外の圧力でやがて滅亡しました。

オカルトが中国を動かす

中華王朝2~3千年の歴史の中では多くの王朝が誕生して消えていきました。その中のいくつかの王朝は予言や神の意思で正当化されていました。中華王朝のほぼすべてが天(神)を祀り、君主の座は天から与えられたと考えていました。

権力者が予言を使うのは謀反を正当化するため。
庶民が予言や神に頼るのは一発逆転で今の苦しい状況を変えてほしいから。

中国は宗教団体や秘密結社の結束力が強く歴史上何度も反乱を起こし朝廷を苦しめてきました。神の意思を口実に反乱を起こして王朝を倒した(倒しそうになった)人たちも沢山います。

たかが迷信とバカにはできません。事実かどうかは関係ありません。信じる心が人を動かすからです。

「宗教はアヘンと同じ」と言ってかの国の政府が宗教・信仰を自由に認めないのはそういった歴史もあるのです。

 

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