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襄城公主 |太宗李世民に愛された娘

唐朝 5.3隋唐の公主

 

襄城公主(じょうじょうこうしゅ)は唐の皇帝 太宗・李世民の娘。

ドラマ「大唐見聞録・皇国への使者」では李安蘭(り あんらん)という名前で登場します。

劇中では「安陽公主」と呼ばれます。

李世民の長女で日頃の行いも良かったので可愛がられました。

史実の襄城公主はどんな人物だったのか紹介します。

 

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の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:651年

姓:李
名称:不明
称号:襄城公主
父:李世民
母:不明
夫:蕭鋭

彼女は唐の第2代皇帝、太宗 李世民の長女。

日本では飛鳥時代になります。

おいたち

襄城公主は李世民の長女。

母親はわかりません。
長孫皇后の娘でないことは確かです。側室が生んだ李世民の娘は母親がわからないことが多いです。長女なのはわかっているので李世民が皇帝になる前から生まれたいたのは確かです。

性格は温厚。伝統や規則を大切にして行動してました。そのため太宗・李世民も他の公主(皇帝の娘)に襄城公主を見習うように言いました。

凌煙閣二十四功臣(りょうえんかくにじゅうよんこうしん = 要するに唐の建国に功績のあった24人の臣下)の一人。蕭瑀(しょう う)の息子・蕭鋭(しょう えい)と結婚しました。

公主は結婚しても夫の家では暮らさず、公主のための家で暮らす事になっていました。でも襄城公主は「嫁は実の親と同じように、義理の親に接し朝晩そばにいなければいけません。同居しなければ面倒は見られません」と役人に言って夫の家で暮らす事になりました。そこで蕭瑀の家を改修。門番を起き。皇帝の娘が暮らす家にふさわしくなるようにしました。

649年。太宗・李世民の死後。異母弟の李治が即位。3代皇帝・高宗になりました。

651年。襄城公主が亡くなりました。命婦朝堂で喪に服し工部侍郎の丘行淹を派遣。葬儀に出席させました。その後、襄城公主を昭陵に埋葬させます。葬儀の列が城の近くまで来ると、高宗は楼閣に上がり、嘆きながら葬儀の列を見送りました。

 

ドラマ「大唐見聞録」の李安蘭「安陽公主」

 

李承乾とは同父異母兄妹。

李世民が皇帝になる前に付き合っていた田若蘭(でん・じゃくらん)の娘。

幼いころ、田若蘭は戦で死亡。李安蘭は行方知れずになり城の外で育ちました。

成長した李安蘭は、母・田若蘭(でん・じゃくらん)の死の真相を知るため。母に皇后の身分を与えてもらうために、皇帝のもとにやってきました。

勝ち気な性格で武芸が得意です。

突厥の和親親王との関わりの中で、主人公の雲耀(雲不器)との恋におちます。

歴史上の李世民の娘は21人いたことがわかっていますが。長孫皇后や韋貴妃の生んだ子供くらいしか母親がわかっていません。側室の生んだほとんどの娘の母は不明です。

ドラマ「大唐見聞録・皇国への使者」ではわからない部分をうまく利用してヒロインとして登場させています。

 

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