白光炫(ペク・クァンヒョン)伝説の馬医とは

2017年7月13日

ドラマ「馬医」の主人公ペク・クァンヒョンは実在する人物がモデルになっています。

馬医(獣医)出身でありながら、人を診察する医官になりました。朝鮮王朝で本格的に外科手術を行なった人だと言われています。

史実のペク・クァンヒョンはどんな人物だったのか紹介します。

 

白光炫(ペク・クァンヒョン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1625年
没年月日:1697年

名前:白光炫(ペク・クァンヒョン)

父:白哲明(ペク・チョルミョン)
子供:白興齡、白興聲、白興隣

 

彼が活躍したのは1625年~1697年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に18代仁宗~19代粛宗の時代です。

日本では江戸時代初期になります。

白光炫(ペク・クァンヒョン)は馬医(獣医)でした。昔の医術書だけに頼るのではなく、独学でも医術を身に着けました。馬を治療するときには煮沸消毒した器具を使って患部を切り開いて治療しました。人間にもためしたところ効果がありました。外科手術の専門家として多くの人々を治療して技術を高めていきました。

18代顕宗の時代に医官になりました。消毒した器具を使って切開する技術が認められたといわれます。

1670年。顕宗の病が治った時。治療した医官の一人として名前が残っています。後に顕宗の主治医になりました。

粛宗の時代。
1684年。康翎県監や抱川県監に任命。県監とは県知事のようなものです。朝鮮王朝で言う県とは現在の日本の県よりも小さな単位でした。県監とは大きな市の市長のようなものです。

1691年。知中樞府事(正二品相当)になりました。
1692年。崇禄大夫(正一品相当)に昇進しました。

1695年。粛宗は脚気を患っていた領敦寧府事・尹趾完(ユン・ジワン)をクァンヒョンのもとに送り治療を受けさせました。

当時、医官は身分が高いとはいえませんでした。それでも医官出身ながら役人になり正一品まで昇進しています。

馬医から医官になるのは当時の常識では考えられないことですが、医官が高い役職につくのも珍しいことでした。歴代の王からも信頼されていたことがわかります。

患部を切り開いて治療する方法はペク・クァンヒョンから広まったといわれるほどです。粛宗実録には「この世の神医」と書かれるほど当時としても王から信頼される名医でした。

テレビドラマ

ドラマの馬医は実在の白光炫をモデルにしています。でも馬医から医官になった。王を治療したというのは本当ですが、それ以外はオリジナルの話です。

現実には動物を治療する立場から人間や王族を治療する立場になることは大変な困難があったでしょう。劇中でクァンヒョンに浴びせられる偏見や非難は現実にもあったのかもしれませんね。身分制度の厳しい当時の朝鮮ではドラマよりもさらに厳しい批判を浴びたかもしれません。

ドラマのようなドラマチックな人生ではなかったかもしれませんが、高い能力と実績を持ち。理解のある人に恵まれた人がいた。ということはいえるのではないでしょうか。

馬医  2012年、MBC、演:チョ・スンウ)

 


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