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楚喬伝:楚喬(星児)は実在する?モデルになった人はいるの?

楚喬伝 2 ドラマ人物

中国ドラマ「楚喬伝(そきょうでん)~いばらに咲く花~」は楚喬(そきょう)という凄い諜報員がヒロインのドラマ。

楚喬伝の舞台になっているのは、魏(西魏)という国。

西魏は6世紀の中国南北朝時代に実在した国です。

もちろん楚喬のような凄腕の暗殺者が実在したわけではありません。

でも史実にも奴婢として西魏に連れてこられ宇文家の子弟の側室になった人はいます。

その人物が楚喬のモチーフと言えますね。

奴婢出身で宇文家の貴公子の側室になった人とはどんな人でしょうか?

 

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楚喬のモチーフ 李娥姿(り・がし)

梁の平民が西魏の奴婢にされる

結論を先に言いますと、楚喬のモチーフは 李娥姿(り・がし)という女性です。

李娥姿(り・がし)は6世紀の中ごろ、中国南朝の梁(りょう)で生まれました。出身地は梁の江陵(現在の湖北省荊州区)という場所。李娥姿は江陵で家族とともに暮らす庶民でした。

554年。西魏が梁に攻めてきました。西魏軍の攻撃で江陵は陥落。李娥姿は家族とともに西魏軍に捕まり奴婢にされました。

李娥姿は家族とともに西魏の都・長安に連行されました。

宇文邕の妾になる

李娥姿は美しかったので西魏の実力者・宇文泰(うぶん・たい)の目に止まり、宇文泰は李娥姿をひきとって四男・宇文邕(うぶん・よう)の妾にしました。

宇文邕は李娥姿を寵愛。やがて宇文邕と李娥姿の間には宇文贇(うぶん・いん)宇文賛(うぶん・さん)が生まれます。

 

西魏が滅亡して北周になる

その後、西魏でクーデターが起きて北周が建国。

「独孤伽羅」「独孤皇后」で描かれる時代になりました。

560年には宇文邕が皇帝(北周3代皇帝 武帝)になります。

武帝 宇文邕には正室の阿史那(アシナ)皇后がいますが。阿史那皇后は突厥との政略結婚で来ました。宇文邕は阿史那皇后が好きではありません。寵愛していたのは李娥姿の方です。

息子が皇帝になる

578年。武帝 宇文邕が死亡して息子の宣帝 宇文贇が即位しました。北周の第4代皇帝です。楊麗華の夫になったダメ皇帝ですね。宣帝 宇文贇はドラマ「独孤伽羅」「独孤皇后」にも登場しました。遊んでばかりの無能な皇帝として描かれます。ドラマは極端ですが父ほど有能でなかったのは確かです。

李娥姿は帝太后になります。「天元帝太后」の称号ももらってます。

 

隋が建国して尼になる

580年に宣帝 宇文贇が死亡。宇文贇の息子・静帝 宇文闡(うぶん・せん)が即位しました。幼い静帝 宇文闡は国を治められません。李娥姿は皇帝の祖母になりました。

581年。隋王 楊堅(よう・けん)が反乱を起こして楊堅が皇帝になります。宇文闡は処刑されました。

隋の時代。再び国と家族を失った李娥姿は出家して尼になり、子や孫の供養をしていました。

588年。李娥姿が死去。享年53歳。

戦乱の時代に生きて大切な人を次々に失う悲しい人生でした。

さすがに李娥姿は密偵ではありませんし超人的な身体能力をもっているわけではありません。「楚喬伝」の楚喬そのまんまというわけではありません。

でも敵国出身で奴婢にされ。宇文家と縁ができて宇文家の子息の妻(史実では側室)になったのは共通しています。

李娥姿の相手は宇文邕(うぶん・よう)でした。

「楚喬伝」では楚喬の相手は宇文玥(うぶん・げつ)です。

つまり宇文玥のモデルは宇文邕というわけです。

「楚喬伝」は架空王朝が舞台の小説を史実で実在した西魏に舞台を移してテレビドラマ化したものです。楚喬や宇文玥そのままの人が実在してるわけではありません。

でもドラマ化するときに似たような境遇の人をあてはめてドラマを作っているのです。

ドラマの楚喬も波乱の人生をおくりました。歴史上の李娥姿もそれに負けいくらい過酷な人生を歩んだ女性だったのは間違いありません。

 

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