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宣仁皇后 高滔滔(宋英宗の正室)は後宮の実力者になって新法に反対

宋 4.2 宋の皇后・側室・公主

宣仁聖烈皇后 は11世紀の宋の皇后
第5代皇帝 英宗の正室です。

本名は高滔滔(こう・とうとう)

仁宗の正室・慈聖光献 曹氏の姪になります。

幼い頃に宮中で育てられ趙宗実(後の英宗)と出会いました。趙宗実と結婚し。趙宗実が皇帝になると高滔滔は皇后になります。

史実の宣仁皇后はどんな人物だったのか紹介します。

 

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宣仁皇后の史実

いつの時代の人?

生年月日:1032年8月24日
没年月日:1093年9月26日

姓 :高(こう)氏
名称:滔滔(とうとう)

国:宋(北宋)
地位:京光郡君→皇后→皇太后
称号:宣仁聖烈皇后

父:高遵甫
母:曹氏
夫:英宗 

子供:神宗
陳国長公主趙
顥(呉栄王)
趙顔(潤王)
蜀国長公主(明恵帝姫)
韓国魏国大長公主

日本では平安時代になります。

 

おいたち

 明道元年7月16日(1032年8月24日)亳州蒙城県で誕生。

本名は高滔滔(こう・とうとう)

父は高遵甫。
母は曹氏。母は仁宗の慈聖光献 曹氏の姉です。

宮中に入り趙宗実と知り合う

幼いころ、叔母の曹皇后に招かれて宮中に入りました。後継ぎのいない仁宗は趙宗実を後継者候補と考えて養子にして宮中で育てていました。高滔滔は同い年の趙宗実(後の英宗)と知り合いました。趙宗実は宮中では「十三」と呼ばれていました。仁宗は高滔滔と趙宗実を結婚させようと考え、将来皇后にすると約束しました。

趙宗実が宮中を出され、高滔滔と結婚

ところが仁宗に男子が誕生。趙宗実は宮外で暮らすことになりました。

15歳のとき、仁宗の命令で団練使 趙宗実(後の英宗)と結婚。高滔滔には「京光郡君」の称号が与えられました。夫婦仲は良く、二人の間には趙頊(後の神宗)など多くの子供が誕生しました。

嘉祐7年(1062年)。ところが仁宗の息子たちは幼くして他界。
宗実がついに太子になり、名前も「曙」と改められました。高滔滔は皇太子妃になりました。

嘉祐8年(1663年)。仁宗が死去。享年54歳。

夫の英宗 趙曙が皇帝になりました。

 

英宗の時代・皇后になる。

治平2年(1065年)。仁宗の喪があけると高滔滔は皇后になりました。

側室の多かった真宗、仁宗と違い。英宗の側室は少ない方でした(5人)。

後継者不足を心配したのか、あるとき曹太后は高皇后に対して英宗の妃嬪が少ないのを注意しました。ところが高皇后は腹を立てて「私は団練使に嫁ぎました、皇帝に嫁いだのではありません」と言い返しました。

治平4年(1067年)。英宗が病死。享年36歳。

 

神宗の時代 王安石の新法に反対

治平4年(1067年)。英宗の死後、長男の神宗 趙頊 が即位。

高滔滔は皇太后になりました。

当時の宋朝は財政赤字に苦しんでいました。
神宗は王安石を採用して改革をしようとします。

しかし王安石が実施しようとした新法(改革)は王侯貴族や大地主などにも負担を求めるものだったので反対が起こります。それに対して王安石は反対派を厳しく取り締まります。

すると高太后と曹太后は新法反対派の司馬光を支持。王安石の新法その厳しい取締に反対しました。反対派の勢いが勝り王安石は失脚。

しかしその後も神宗は新法を続けました。神宗が直接改革を進めたこともあり改革が進みます。

元豊2年(1079年)。曹太后が死去。享年64歳。
皇太后は高太后だけになりました。

元豊8年(1085年)。神宗が病死。享年38歳。

 

太皇太后になって力を持った 哲宗の時代

10歳の哲宗 趙煦が即位しました。

高滔滔は太皇太后になりました。

幼い君主を補佐するため、高太后は神宗の遺詔によって高太后が垂簾聴政を行いました。

翌年、司馬光を宰相に任命しました。

もともと新法の改革には反対派だった高太后と司馬光は王安石の新法を全面的に廃止。新法に賛成する派閥を追放しました。

高太皇太后は哲宗を教育。仁宗を見習わせ、父・神宗のようにはならないように教育しました。さらに高太皇太后は哲宗に仕える大臣たちを自ら選び、哲宗の言動や行動を監視しました。

しかし哲宗が成長していくと、祖母の思い通りにされていることに不満が出てきます。

元祐8年8月(1093年)。高太皇太后は死の直前、老臣の范純仁や呂大防などに対して以下のような言葉を残しました。「先帝は過去の過ちを悔い、涙を流した。これについて皇子はしっかりと覚えておくべきだ。私が亡くなった後、多くの人が彼に影響を与えようとするだろう。彼は聞かないようにしてください」。

元祐8年(1093年)9月、高太皇太后は62歳で亡くなりました。「宣仁聖烈皇后」の諡号が贈られ、英宗と共に永厚陵(現在の河南省巩県)に葬られました。

高太后の死後。哲宗は「紹聖」という元号を採用。神宗時代の制度を復活させ、高太后を廃しようと考えます。しかし向太后と朱太妃の反対にあって哲宗の目論見は実現しませんでした。

また、高太后が決めた哲宗の正妃・孟氏は廃されました。

高太后は王安石の改革に反対。国を混乱させました。でも新法反対派の重臣や役人からは大歓迎され「宋史」では伝説の名君になぞらえて「女中堯舜」と称されています。改革の遅れは宋の衰退を早めてしまうのですが。既得権にしがみつく特権階級にはそれが分からなかったようです。

 

テレビドラマ

孤城閉、2020年、中国 
演:楊玥、
少女時代:艾米、
子役:洪悅熙

役名は本名と同じ「高滔滔」

 

 

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