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漢明帝 劉荘(劉陽) 後漢の全盛期を築いた皇帝

明帝(めいてい)劉荘(りゅう・そう)は後漢の第2代皇帝。初代皇帝 光武帝・劉秀と皇后 陰麗華の息子です。若い頃は劉陽(りゅう・よう)という名前でしたが。皇太子になったときに名前を劉荘(りゅう・そう)にかえました。明帝の治世は息子の章帝のとと...

陰興 は姉の陰麗華に外戚はむやみに出世すべきではないと諭した

陰興は後漢の武将。初代皇帝・光武帝 劉秀の正室・光烈皇后 陰麗華の弟です。陰麗華は劉秀が非常に愛した人で、陰家の人々も劉秀から信頼されていました。ところが陰興は過剰な出世は望みませんでした。皇后になった姉の陰麗華にも、陰家は富や名誉を求め過...

劉彊(劉強)落ち度はないのに皇太子を廃された光武帝の長男

劉彊(りゅう・きょう)は後漢の初代皇帝・光武帝の長男です。「彊」は「強」と同じ意味。「劉強」とも書きます。母は郭聖通。劉秀が河北を平定するために同盟した劉楊の姪です。もともと劉秀には陰麗華という妻がいましたが。政略結婚のために母は劉秀と結婚...

劉楊・10万の兵で光武帝の天下取りに協力後殺害される

劉楊(りゅう・よう)は古代中国の漢から後漢時代の武将。漢王室の末裔で、新朝時代には河北の豪族になっていました。河北で10万の兵をもっていた劉楊は後に光武帝になる劉秀と同盟を結び、姪の郭聖通を劉秀と結婚させました。ところが劉秀が皇帝に即位した...

張卬・盗賊から将軍に出世?反乱軍あがりの荒くれ者

張卬(ちょう ごう)は新・更始帝軍の武将です。新朝末期におきた緑林軍の反乱では、緑林軍のいち員として頭角を表しました。やがて劉縯が率いる舂陵軍と合流。勢力を拡大した反乱軍は劉玄を担いで天子にします。やがて、更始帝になった劉玄と張卬は対立。更...

李通(後漢)劉秀の義弟は出世欲が薄かった

李通(り・つう)は古代中国の武将で政治家。新朝から後漢の時代に活躍しました。新朝末期世の中で反乱が起きている時代に劉縯や劉秀たちに挙兵を呼びかけました。李通の説得がなければ劉縯は別として劉秀は挙兵しなかったかもしれません。李通は劉秀の妹・劉...

寧平長公主・劉伯姫 光武帝の妹は意外に大人しかった?

寧平長公主・劉伯姫(りゅう・はくき)は、後漢の光武帝・劉秀の妹。劉伯姫の夫は、劉縯・劉秀兄弟とともに挙兵した李通です。劉秀が後漢建国後は夫の李通とともに洛陽に呼ばれて洛陽で暮らしました。姉の劉黄が皇帝の姉の地位を利用して好き勝手なことをして...

新野長公主・劉元 は新軍の襲撃時に劉秀の助けを拒んで逃した

劉元(りゅう・げん)は後漢の初代皇帝・光武帝の姉。光武帝に仕えた武将の鄧晨(とう・こう)の妻です。漢の重臣だった王莽はクーデターを起こして漢の皇帝から皇帝の座を奪い、「新」という国を建国しました。ところが王莽の政治に不満を持つ豪族は多く各地...

劉縯・親分気質な後漢光武帝の兄

劉縯(りゅう・えん)は新朝時代の武将。南陽の劉氏を率いる豪族でした。後漢を建国した光武帝・劉秀の兄です。1世紀、王莽のクーデターで前漢が滅び新朝が誕生しました。ところが王莽は豪族たちには都合の悪い政治を行います。現実を無視した急激な改革に耐...

鄧禹・光武帝を支えた雲台二十八将筆頭は挙兵前からの学友だった

鄧禹(とう・う)は後漢の武将。後漢を建国した光武帝・劉秀に仕え、後漢の天下統一に貢献しました。「雲台二十八将」の筆頭です。雲台二十八将とは光武帝・劉秀の天下統一に貢献した28人の武将です。光武帝が挙兵する前からの友人でした。実は鄧禹は軍隊を...

陰識・陰麗華の兄は真面目人間

陰識(いん・しき)は新朝から後漢に活躍した豪族で武将。後漢では光武帝・劉秀に仕えました。光烈皇后・陰麗華の異母兄です。新野で劉縯が挙兵すると、一族をつれて軍に参加。その後、劉秀が皇帝に即位、漢(後漢)を再興すると漢に仕えました。妹の陰麗華は...

劉秀 が 漢の再興を目指して光武帝に即位するまで

劉秀(りゅう・しゅう)/光武帝は後漢の初代皇帝。漢は王莽にクーデターを起こされて一度は滅びました。王族の血筋をひく劉秀が漢(後漢)を再興しました。劉秀の一族は前漢の王族の子孫で南陽(現在の河南省付近)に移住。豪族になっていました。新朝末期の...
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