他の国や民族

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耶律喜隠(やりつ きいん)反乱を繰り返す契丹の皇族

耶律喜隠(やりつ・きいん)は10世紀の契丹(遼)の皇族。遼太祖 耶律 阿保機(やりつ・あぼき)の孫。耶律 李胡(やりつ・りこ)の長男です。遼太祖の三男・李胡はかつて兄弟と争い皇帝の座を狙ったこともありました。でも皇帝にはなれませんでした。喜...
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皇太妃 蕭胡輦(しょう これん)契丹の領土を守った女司令官

蕭胡輦(しょう・これん)は11世紀の契丹国(遼)の貴族。后族という皇后の出身一族。蕭家は契丹の名門で、何人もの皇后がでています。父の蕭思温(しょう・しおん)は契丹で宰相を務める実力者。蕭思温の娘は三人とも皇族と結婚しました。胡輦が結婚したの...
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遼景宗 耶律明扆(賢)契丹(遼)発展の基礎を作った皇帝

遼景宗 耶律 明扆(やりつ・めいい)は大契丹国(遼)の第5代皇帝。劉賢(りゅう・けん)という漢名ももっているので中華圏では耶律賢(やりつ・けん)と言われることもあります。父は3代皇帝世宗でした。ところが反乱で命を失いました。その後、一族の穆...
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泥靡・狂王と呼ばれた烏孫の昆弥(王)

泥靡(でいび)は紀元前1世紀ごろの烏孫(うそん)の昆弥(王)。「狂王」としても知られます。烏孫の昆弥だった軍須靡(ぐんしゅび)と匈奴出身の左夫人の間に生まれてた子供です。軍須靡の死後。泥靡が成人するまでという条件で翁歸靡(おうきび)が昆弥に...
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ダワチ(達瓦齊) 清朝に敗れたジュンガル帝国最後の君主

ダワチはジュンガル帝国の最後の君主。ジュンガルの最後の君主になったのがダワチです。ダワチはジュンガルの内部争いを勝ち抜いてホンタイジ(君主)になりました。ところが自分に味方していたアムルサナーと争うようになります。アムルサナーは清朝に助けを...
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烏孫昆弥 軍須靡(ぐんすび)解憂公主の最初の夫

軍須靡(ぐんすび)は紀元前1世紀頃の烏孫の昆弥(こんび、昆莫とも書きます)。昆弥(または昆莫)とは「王」を意味する烏孫(うそん)の称号です。つまり軍須靡は烏孫王です。烏孫は今のキルギスのあたりにあった遊牧民の国です。烏孫は匈奴と漢に挟まれた...
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翁歸靡(おうきび) 前漢と友好を保ち烏孫を発展させた烏孫王

翁歸靡(おうきび)は紀元前1世紀ごろの烏孫(うそん)の国王。いとこの軍須靡(ぐんすび)から烏孫王の座を受け継ぎました。前漢から嫁いできた和親公主・劉解憂とも良い関係を築き3男2女がいました。翁歸靡は先代からの方針を変更して前漢との同盟を続け...
元・モンゴル

マフムード|エセンの祖父はオイラトによるモンゴリア統一の基礎を作った

マフムードは14世紀末から15世紀ごろオイラトの首領。オイラトはモンゴル高原の遊牧騎馬民族。かつてはモンゴルに従っていました。元が中原を失いモンゴル高原に撤退するとモンゴル高原では様々な部族による勢力争いが起こりました。その中でモンゴルから...
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[両世歓]慶王のモデル、末帝 朱友貞 は 後梁最後の皇帝

朱友貞は古代中国の五代十国時代の王族。後梁の3代皇帝です。後梁を建国した朱全忠の嫡子です。中国ドラマ「両世歓」では 慶王 のモデルになりました。父を殺した朱友珪をたおして皇帝になったものの。衰えた後梁を立て直すことはできず。後梁は朱友貞の時...
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狼殿下:渤王 楚有炆のモデル・後梁 博王 朱友文

博王 朱友文(しゅ・ゆうぶん)は中国の五代十国時代に存在した後梁の武将で王族。後梁皇帝の朱全忠の養子(仮子)です。皇帝になる前の朱全忠のもとで働き有能さを認められて養子(仮子)になりました。朱友文を高く評価していた朱全忠から跡継ぎに選ばれま...
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後梁皇帝・朱友珪の史実

朱友珪は後梁の太祖・朱全忠の息子。父から疎まれ歪んだ性格に。父を殺害し皇帝となるも人望がなくわずか1年でクーデターにより殺害される。朱友珪は残虐で短命な皇帝として歴史に名を残しています。
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後梁太祖 朱全忠 とは?唐を滅ぼしたのは黄巣軍出身の暴れ者

朱全忠は唐末期に黄巣の乱に参加。後に唐を滅ぼして後梁を建国しました。貧しい出自から身を起こし、冷酷な手段で権力を握った彼の波乱の生涯を辿ります。黄巣の乱、李克用との対立、唐滅亡、後梁建国まで。激動の時代を駆け抜けた朱全忠(朱温)の生涯を紹介します。
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