韓国ドラマ「オクニョ」には体探人(チェタミン)と呼ばれる特殊部隊が登場します。ヒロインの師匠パク・テスやオクニョ本人も体探人(チェタミン)になって活躍。
体探人(チェタミン)は朝鮮時代に実在した部隊です。
でもドラマで描かれるような特殊部隊でも暗殺部隊でもありません。
敵地に潜入して情報を持って帰る偵察部隊でした。
実在した体探人(チェタミン)とはどのような人たちだったのか紹介します。
朝鮮王朝の 体探人(チェタミン)とは?
体探人=間諜
古来、中国や漢字文化圏では敵地に潜入して情報を持って帰るスパイを間諜(かんちょう)と言いました。
朝鮮時代の初期に活躍した外国勢力専門の間諜を朝鮮では体探人(チェタミン)とよんでいました。
世宗の領土拡張政策と体探人の設立
朝鮮王朝初期。朝鮮の北の境界線は定まっていませんでした。
鴨緑江や豆満江付近には女真族が暮らしていましす。かつて高麗はこの地域の所有を契丹から認められたことがありましたが、李氏朝鮮建国後はこの地域の支配は曖昧になったままでした。
世宗15年(1433年)。世宗は高麗時代まで領土を広げようと考え、金宗瑞、崔潤徳将軍たちに命じて鴨緑江や豆満江の女真族居住地を攻略。世宗19年までに鴨緑江や豆満江付近が朝鮮の領土になり。六鎮四郡が設置されました。
このとき決まった境界線が今の北朝鮮と中国の国境になっています。
このとき女真族居住地域への偵察部隊として創設されたのが体探人(チェタミン)です。
体探人(チェタミン)の意味
体探人(チェタミン)とは「自らの体でもって探ってくる」という意味。「偵察部隊」「スパイ」の意味で使われます。
体探人(チェタミン)の役目
女真族の本拠地への潜入
体探人の主な任務は女真族の動向を探るための情報収集です。そのため彼らは女真族の本拠地に潜入、敵の勢力や動きを偵察しました。時には女真族の集落に潜入し、情報を収集することもあったようです。
初期は鴨緑江周辺を拠点に活動を開始。徐々にその活動範囲を広げていきました。
小規模部隊での活動と昼夜を分けた移動
体探人は5~10人の小規模な部隊で行動することが多かったようです。大人数で行動すると敵に発見されるリスクが高まるからです。
また彼らは昼は隠れて夜間に移動しました。夜の方が敵に発見されにくいからです。
移動のしやすさを重視するので食糧や武装も最小限に抑え、命がけで任務を遂行したのです。
体探人の危険性と報酬:命がけの任務と、その代償
危険と隣り合わせの任務
体探人は敵地に潜入して情報を集めるため常に危険と隣り合わせでした。命を失う危険性が高いのです。
女真族の待ち伏せ、急襲
体探人の存在は女真族にも知られ、女真族は警戒していました。女真族は常に目を光らせているので、体探人が潜入すると待ち伏せや急襲をうけることもありました。
体探人が女真族の集落に潜入したとき住民に見つかり、激しい戦闘になることもあったようです。
朝鮮王朝実録に見る体探人の犠牲
「朝鮮王朝実録」には体探人が任務中に命を落としたり、負傷したりした記録がいくつも残っています。公式記録にも残るということは、それだけ体探人の任務が危険だったということです。
例えば、世宗19年6月11日付の「実録」には、体探人の金玉魯(キム・オクロ)が任務中に死亡したことが記録されています。
報酬は高かった?
体探人の任務は非常に危険でしたが、その分報酬も高かったようです。しかし具体的な報酬額は記録が残っていないので不明です。「高い」というのが何に比べて高いのかわかりません。
任務中に戦死した金玉魯(キム・オクロ)の遺族には家への税金免除と米と豆が与えられました。でも5人家族だと1ヵ月程度の食糧だったといいます。遺族がずっと暮らしていけるほどの報酬は出ないのです。
武官や兵の地位が低い朝鮮のことです。朝廷はたくさん払ってやったと思ってたかもしれませんが、実際にはそれほど高い報酬ではなかったのではないでしょうか?
また体探人で活躍すると6品以下の官職が与えられました。でもこれを受けたからといって両班になるわけでもなく。たいした意味はなかったようです。子孫に地位を受け継がせることもできません。
体探人は一般兵よりは報酬は高いかもしれませんが、命を失うかもしれないほど危険な割には報酬は良くないようです。
任務の性質上、手柄をたてにくい
体探人の任務は敵地に潜入して情報を集めることです。敵を討ち取ることではありません。
この時代はやはり「敵を倒した」というのが大きな功績として認められやすいです。そのため体探人は危険な任務を達成しても手柄が認められにくいのです。
体探人が果たした役割
それでも体探人は重要な存在です。体探人が集めた情報をもとに軍は作戦を立てて実行。領土を守るために大きく貢献しました。彼らの活躍のおかげで女真族の襲撃は和らぎ、4郡6鎮の領土安定にもつながりました。
金將(キム・ジャン)部隊の活躍
体探人の中でも金將(キム・ジャン)率いる部隊は特に活躍しました。
彼らは、鴨緑江から250キロ以上も離れた五女山城一帯まで潜入し作戦を実施。五女山城(現在の中華遼寧省、高句麗発祥の地・卒本があった場所)は女真族の重要な拠点であり、ここに潜入することは非常に危険な任務でした。
しかし金將部隊は見事に任務を遂行し、貴重な情報を持ち帰りました。
体探人の衰退とその後:平和の訪れと役割の変化
体探人は朝鮮王朝の北方防衛に大きく貢献しましたが、時代とともにその役割は変化し、やがて衰退していきました。
女真族の侵攻が和らぎ、成宗時代に解体
体探人の主な任務は女真族の動向を探ることでした。やがて時代とともに女真族の侵攻は和らぎました。
その結果、体探人が必要なくなり9代 成宗の時代に解体されました。
その後の体探人の質の低下
体探人は解散しました。でも戦乱の時代にはスパイ・間諜は必要になります。
14代 宣祖の時代。豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年~1598年、壬辰戦争・丁酉戦争)が起こると朝鮮は再び戦乱の時代を迎えました。
この戦いでも間諜は活動。彼らも体探人と呼ばれました。でも世宗時代に活躍した体探人とは違い、レベルが低く十分な情報収集能力はありませんでした。
16代 仁祖時代には、後金・清と戦い(丁卯戦争(1627年)・丙子戦争(1636年))でも体探人と呼ばれる人たちはいたようですが、やはりレベルが低く十分な情報を集めることができませんでした。
朝鮮半島は平和な時代が長く続いたので訓練も十分ではなかったのです。でもこれは間諜だけの問題ではなく軍全体のレベルが低下していました。
平和な時代の体探人
戦乱が過ぎてもスパイや非正規部隊を体探人と呼ぶことがあったようですが。その役割は以前とは違っていました。
国境警備や国内の治安維持など、より広い任務を担うようになったのです。かつてのような危険な潜入任務は減少しました。
潜入任務のプロフェッショナルは存在しなくなり、体探人の存在は次第に人々の記憶から薄れ消滅しました。
エンタメ作品の体探人は事実と違う
現代の映像作品ではときおり体探人(チェタミン)と呼ばれる特殊部隊や忍者のような人たちが登場。超人的な活躍をみせています。
でも本物の体探人は戦闘部隊ではありません。情報を持って帰るのが仕事です。もちろん危険な敵地に侵入しまし、見つかれば戦闘になることもあります。戦いの技術は必要ですが、戦うための部隊ではありません。暗殺者集団でもありません。
忍者が間違ったイメージで世界に広まったせいで、中国・韓国ドラマの間諜も忍者的な姿や活躍をすることが多くなりました。
忍者がエンタメ業界で事実とは違うイメージで描かれているのと同じように。体探人も事実よりもカッコいい戦闘的なイメージでとらえられているようですね。
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