朝鮮時代の名医ホジュンと妻・ダヒの物語はドラマで多くの視聴者の心を捉えました。特に最後の描写では、疫病の蔓延の中で献身的に夫を支えるダヒの姿が印象的です。でもダヒ本人の最後ははっきりとは描かれていません。
この記事ではドラマでのホジュンとダヒの最後、史実のホジュンの妻・安東金氏との関係、夫婦の絆について解説します。
ダヒのドラマでの最後の描かれ方
韓国ドラマ『ホジュン』の最終回では疫病が村で蔓延し多くの民衆が苦しむ中、ホジュンは医師として奮闘します。
薬が不足しても自分の薬を患者に分け与え治療を続けます。しかし、ホジュン自身も感染。体調を崩してしまいます。
ダヒは治療中のホジュンから一旦離れますが、心配になって戻ってきます。ところがホジュンはダヒの胸に倒れ込みました。よくみると彼はすでに息を引き取っていたようにも見えます。
その後のホジュンの葬儀にはダヒと成長した息子ギョムも出席、嘆き悲しむ姿が描かれました。
このようにホジュンの最後が描かれているのですが、『ホジュン 宮廷医官への道』やリメイク版『伝説の心医』でもダヒ自身の最期の描写はありません。ドラマでは献身的な妻としての姿は強調されますが、死亡や死後の場面は描かれていないのです。
ダヒのモデル・安東金氏の最後
史実の許浚の妻 安東金氏
史実では、ダヒの名前は記録に残らず「夫人安東金氏」として族譜に記載されています。「ダヒ(多喜)」という名前は原作小説のために作られた架空の名前。ドラマもそのまま使用しています。そのため史実の名前ではありません。
彼女の家は安東金氏。安東金氏は朝鮮後期には大きな力を持つ一族でしたが。宣祖時代にはまだ大きな権力は持っていません。さらに安東金氏といえども家格には幅があり、地方の両班や分家も含まれていました。
ホジュンの妻は両班かもしれませんが、高官や名門の家の娘とは限らないのです。
この史実の安東金氏についても墓はありますが、いつ亡くなったのか?どのような最期だったのかは記録がありません。
史実の妻の最後もわかりません。
両班なのにホジュンと結婚が可能だった理由
ドラマで描かれるホジュンの身分
ドラマ『ホジュン~宮廷医官への道~』『伝説の心医~』では、ホジュンは「奴婢の子」として生まれ、貧しい身分から医師として成り上がる物語が描かれています。この設定は視聴者に「貧しい身分から努力で成功する天才医師」というドラマチックな構図を強調するための脚色です。
ドラマでは身分の低さや困難が恋愛や結婚の障害としても描かれ、妻・ダヒとの関係を盛り上げる演出になっているのですね。
史実上のホジュンの身分
史実のホジュンの父は武官の許碖、母は霊光金氏です。ホジュンは庶子と言われていますが、奴婢ではなく自由民の可能性が高いです。
ホジュンの母は奴婢ではない?
朝鮮では賤民は本貫を名乗ることが許されません。母が「霊光金氏」と本貫付きの金氏を名乗っているのなら母は賤民ではないと言うことです。
ホジュンが宮廷入りした後に地位を上げてもらった可能性もありますが。ホジュンが宮廷医官として通用するほどの高い医術を身に付け、高官を顧客に持っていることを考えるとホジュンが奴婢の子だったとは考えられません。
奴婢でないからこそ、庶子であっても自由民のため高度な医術を学び、診療経験を積み、高官を顧客に持つなど名声と経済力を築くことが可能だったと思われます。
宮廷入り前からの結婚
ホジュンは30歳を超えてから宮廷医官に登用されます。当時の慣習を考えると宮廷入り前に結婚していた可能性が高いです。ではまだ宮廷入りしていない庶子のホジュンが両班の娘と結婚は可能なのでしょうか?
両班との結婚は可能
ホジュンは宮廷入り前から医師として名声と収入を得ていました。財力では没落両班よりも上だったでしょう。名声と財力で両班の庶子としての立場の弱さを補えたと思われます。
それに妻は安東金氏とはいえ有力な家ではない可能性が高い。そのため両班出身の安東金氏と結婚するのは十分に可能だといえます。
ドラマ描写との対比
- ドラマ:奴婢の子 → 身分差を克服して結婚。妻のダヒは高官の娘。
- 史実:庶子の自由民 → 医術と名声で社会的立場を確立して結婚。妻は安東金氏とはいえ有力な家でない可能性が高い。
ドラマの「身分の壁を越えた恋愛」という演出は、史実を考えるとホジュンの努力や才能、苦労をドラマチックに演出するための脚色だとわかります。
ホジュンの墓の場所と発見経緯
奇跡的な再発見と一般公開
ホジュンとその妻(安東金氏)には墓があることが知られています。二人の墓がある場所は京畿道坡州市(パジュシ)のDMZ(非武装中立地帯)という特別な区域の中です。
この墓は朝鮮戦争の後、長い間誰も手をつけないままになっていたのですが、1991年9月27日に李良在(イ・ヤンジェ)という学者が見つけ出しました。これはすごい発見ですよね。
その数日後、KBS(韓国放送公社)の取材チームや、ホジュンを記念する事業の関係者に公開され、その後きれいに整えられました。
1992年6月5日に京畿道の記念物第128号「ホジュン墓」として正式に指定されました。
さらに2006年5月からは、軍事安全観光区域として一般の人も訪れることができるようになりました。
夫婦の深い絆を示すお墓の並び
お墓が並んでいる様子や位置から、ホジュンと妻の安東金氏は、生前からずっと一緒に生活し、亡くなった後も隣同士に埋葬されたと考えられます。

ホジュンと妻の墓
국가유산청, KOGL Type 1, via Wikimedia Commons
ホジュンの妻についての詳しい記録が残っていない中でも、このお墓の並びは二人の間に強い絆があったことを物語っているように感じられますね。さらにこの墓の上に見える墓はホジュンの母のものだと考えられています。
史実上のホジュンの妻はどんな人?
史実では、安東金氏の具体的な行動や性格についての情報はほとんど残されていません。
史実のホジュンも宮廷医官になっても投獄されたりと苦労しています。推薦で入った(科挙に合格した記録はない)という周囲からの妬みもあったかもしれません。
こうした夫ホジュンの活動や一緒に埋葬されていることを考えると、夫を支え共に生活した妻だったのでしょう。
ドラマではこの人物像を膨らませ献身的な妻「ダヒ」として描かれているのだと思います。
まとめ
ホジュンと妻ダヒの結末
ドラマではホジュンが亡くなる時、妻のダヒは病気が広がる中でも献身的に夫のそばにいます。最期の瞬間まで夫を支え続ける姿は感動的ですよね。
成長した息子と一緒に夫の葬儀に出て悲しみにくれる姿はこの夫婦の絆がどれだけ強かったかがよくわかります。
史実ではどうだったのでしょうか?
史実でホジュンの妻とされる安東金氏については詳しい記録はほとんど残っていません。
ただ、ホジュンは嫡子ではなかったものの、自由な身分から医者としての地位を確立しました。宮廷に入る前に結婚していた可能性も高いです。それを考えると彼女も夫を陰でしっかりと支え、家庭を守っていたと考えられます。
ドラマでは身分の違いを乗り越えるロマンチックな演出が目立ちますが、実際のホジュン夫婦の結婚はホジュンの才能や努力、そして社会的な評価によって自然に結ばれたものだったとわかります。つまりドラマは史実をヒントに物語を盛り上げるために大胆に脚色されているんですね。
ドラマと史実から感じる夫婦の絆
ドラマのダヒの描写は、史実の安東金氏も夫を支える素晴らしい女性だったのだろうと想像させてくれます。それは二人が合葬されていることからもわかると思います。
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