中国ドラマ「解憂(かいゆう)~西域に嫁いだ姫君~」のあらすじとネタバレ です。
紀元前1世紀。漢から西域の烏孫国に和親公主として嫁いだ王族女性の物語。
解憂(かいゆう)は烏孫にやってきて昆弥(烏孫王)の右夫人になりました。昆弥には匈奴からも胡姑が嫁いでいて左夫人の地位にいます。
解憂は翁帰とともに投獄されました。右大将と漢派の重臣たちは、翁帰を釈放するように嘆願。
ところが、右大将たちと翁帰が結託していると思った昆弥は激怒。太后は翁帰を許すように言いますが、昆弥はなかなか許す気になれません。
阿彩は牢にいる解憂に会いに行きました。ところが何者かによって牢に火がかけられ。焼け跡から焼死体が発見されます。その焼死体は解憂のものだと判定されたのですが・・・
「解憂(かいゆう)」情報
原題:解憂公主
英語:Princess Jieyou
2016年、中国
全45話
主なキャスト
解憂:チャン・シンイー (旅芸人、実は漢王室の一族)
翁帰:ユエン・ホン (烏孫の将軍、烏孫王の従兄弟)
烏孫昆弥:ユエン・ウェンカン (烏孫王)
馮嫽:イエ・チン
漢武帝:ユー・ボー
第41話 王子誕生
胡姑が男児を出産しました。昆弥にとっては初めての子供です。昆弥は息子に「泥」と名付けました。「泥」と変な名前を付けられて不満の胡姑。
そのころ解憂たちは牢の火事から逃れて祖陵に隠れていました。その解憂たちのもとにも胡姑が男児を出産したとの報告が来ます。
翁帰は昆弥が「泥」という名前をつけたのが胡姑と火事が関係していると考え、あてつけで付けたのだろうと想像。解憂はまだ何かが起きると不安になってます。
昆弥は狩りにでかけました。すると狩り場に狼が出現。護衛をつけていなかった昆弥は狼に襲われて負傷してしまいます。
太后は胡姑から子供を取り上げると一人で祖廟に行きました。そして泥を殺そうとします。そこに解憂が幽霊のふりをして現れました。解憂を幽霊だと思った太后は自分が流産させるよう仕向けたといいます。異民族の血を烏孫の王族に入れたくなかったというのです。
ドラマ解説
左夫人の子供に「泥」という漢字をあてはめたのは漢人。当時の発音はわかりませんが。烏孫の言葉ではちゃんとした意味があったはずですよ。そもそも烏孫では漢字は外交文章でしか使わないし。
第42話 謀りの譲位
祖廟に隠れている解憂のもとに馮嫽がやってきました。
馮嫽は僮僕都尉という間者が烏孫に紛れ込んでいるという情報をつかんでいました。匈奴の単于が烏孫に紛れ込ませたというのですが僮僕都尉がだれかはわかりません。
胡姑が太后の部屋に行くと侍女が悲鳴を上げました。太后が首吊り自殺をしていたのです。
昆弥は母の死に激しく動揺。そばに仕える者たちを拷問にかけました。すると、十数年前ある人物が仕えるようになったこと。その者の助力がなければ翁帰が王になっていたというのです。昆弥がさらに情報を聞き出そうとすると兵が乱入。
兵を送ったのは長山翕侯でした。昆弥は長山翕侯に捕らえられてしまいます。
長山翕侯は匈奴が送りこんだ間者でした。烏孫長山翕侯は右大将を辺境の守備に向かわせて厄介払いすると。偽装した勅書で泥靡を王位につけると宣言します。
第43話 共闘
烏孫の王宮は匈奴派に占拠されました。長山翕侯に奪われた烏孫と昆弥を取り戻すため。翁帰は辺境で右大将と会いました。翁帰は赤谷城を一緒に攻めようといいますが。右大将はそれでは謀反になると躊躇します。しかし翁帰に説得されて赤谷城を目指すのでした。
子供を奪われた胡姑は祖廟に向かい、子供を返して欲しいと祖先にお願いします。すると隠れていた解憂が現れ一緒に長山翕侯と戦おうと共闘をよびかけます。
胡姑は解憂を捕まえたふりをして王宮に戻り、長山翕侯に息子を返すように要求。解憂はその場で、太后が後宮で流産させていたこと、長山翕侯が匈奴の間者だとバラします。
第44話 決戦前夜
解憂によって長山翕侯の正体が烏孫の患者だとバラされました。胡姑は兵たちに長山を捉えるように命令します。翁帰は昆弥の救出に成功して昆弥を連れてきました。
ところが長山翕侯は隠し持っていた短剣を手にして翁帰を人質にとりました。長山は翁帰を立てにして逃げようとしますが。
そこに阿伊臘が泥をつれてきて胡姑に返すと、翁帰を逃します。長山は翁帰に切りつけようとしますが、阿伊臘が間に入り長山の剣を受けて死亡しました。妹の死に嘆く長山。
昆弥は医師の治療をうけていますが、体に毒が回り余命わずかと宣告されます。
そのころ。匈奴の大軍が烏孫に向けて進軍していました。匈奴は解憂の引き渡しと長山の釈放を要求していました。
烏孫は拒否。匈奴と烏孫の戦いが始まります。
第45話 和平交渉
烏孫と匈奴の戦いが続いていました。淮天沙は馮嫽を庇って矢を受けて死亡。そこに漢の援軍が到着。
烏孫と漢は軍も得て必死の抗戦を続けますが、漢の援軍は5千。匈奴は5万。解憂は自分が犠牲になって烏孫を助けようと考えますが翁帰が引き止めました。
匈奴軍の様子を見ていた胡姑は右谷蠡王に交渉の意図があると気づきました。そこで解憂が和平交渉に望むことになりました。
右谷蠡王は烏孫に降伏するように要求しますが、解憂も匈奴の犠牲は小さくないと判断。烏孫は徹底抗戦すると言います。さらに冬になればさらに匈奴の被害は大きくなると言うのでした。そして長山を引き渡すと提案するのでした。右谷蠡王はその提案を受け入れ、匈奴は撤退しました。
烏孫と匈奴の戦いは終わりました。しかし昆弥は息を引き取ります。次に王になったのは翁帰でした。
解憂は馮嫽とともに漢に戻ろうとします。胡姑も泥を翁帰に託して烏孫を出ていました。
解憂と馮嫽が草原を進んでいると長山に襲撃されます。そこに翁帰もやって来て・・・
解憂と翁帰の運命は?
解説
というわけで終わり。
劇中では語られない。その後の烏孫と解憂の歴史がどうなったかを少々説明します。
歴史上は軍須靡の後、烏孫の昆弥になったのは翁帰靡。
解憂は翁帰靡の右夫人になりました。
史実では翁帰靡の時代も匈奴からきた左夫人がいます。
その後、解憂は翁帰靡の間には元貴靡が誕生。元貴靡を太子にします。軍須靡の遺言では次は泥靡が昆弥になるはずなので匈奴派と漢派が対立。
解憂は翁帰靡は元貴靡と漢の和親公主を結婚させようとします。でも土壇場で翁帰靡が死亡。
烏孫の貴族たちは泥靡を次の昆弥にしました。烏孫の慣習で。解憂は泥靡の右夫人になってしまいます。
しかし解憂は漢の使者と結託して泥靡の暗殺を図りますが失敗。
泥靡は軍を派遣。解憂と漢の使者は赤谷城に立て籠もって応戦、漢の援軍が来て助かります。
その後、泥靡は裏切りにあって死亡。
解憂の息子・元貴靡が次の昆弥になります。
やがて元貴靡も死亡。昆弥は解憂の孫が引き継ぎました。
解憂は息子の死を見届けると漢に戻るのでした。漢の人々は解憂の帰還を歓迎したといいます。
とまあ。解憂の人生だけをとっても実際にはドラマの後の方が長いです。
大河ドラマにするなら解憂が漢に戻るまでをドラマ化したほうが面白いと思いますけど。そうするとラブ史劇にはならないし。なにより「次の世代の王と再婚」というシステムが現代人には抵抗ありますね。解憂は翁帰靡は好き会っているのでいいとしても解憂と泥靡はさすがに再現できませんね。
烏孫って遊牧民国家で匈奴に文化や習慣が似てるはずですが(タージマハールみたいな建物はありません)。ドラマではペルシャ風の国でしたね。見てる人は「烏孫ってああいう国なんだ」って絶対誤解しますね。
ドラマは禁断の恋の物語のはずなのに可愛そうな感じがあまりしないのはナゼ?全体的にわざとらしくて主役級の二人に同情する気になれないなあ。結局それぞれの相手を殺さないといけない展開になってしまいましたね。
でもラスト近くの回はいろいろ事件が起きてそれなりに楽しめました。
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