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高恒 高貴妃の兄弟は汚職事件で乾隆帝を激怒させた

大清 1.5 清の重臣・役人・男達

高恒 は清朝の第6代皇帝・乾隆帝けんりゅうてい時代の役人。

慧賢皇貴妃 高氏(高貴妃)の兄弟です。

乾隆帝からも大事にされましたが。塩商人と癒着して巨額の汚職事件を引き起こして処刑されます。

史実の 高恒(こう こう) はどんな人物だったのか紹介します。

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高恒 の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:1768年

姓:高 氏
名:恒(こう)
地位: 
父:高斌
母:馬氏

子供

姉妹:慧賢皇貴妃 母:馬氏

清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

生まれた年は不明。

父は高斌。治水工事で功績をあげた重臣です。
母は高斌の3番めの妻・馬氏

父は内務府の包衣。包衣は満洲貴族に仕える奉公人です。内務府は皇帝直属の組織なので、内務府の包衣たちは宮廷に仕えています。

地位は高くないのですが、姉が宮廷に入り乾隆帝の寵愛をうけました。

高恒は寵愛する高貴妃の弟ということで乾隆帝からも目をかけられていました。

時期は不明ですが国子監(国立大学)の学生になりました。

高恒は高貴妃の弟ということで科挙に合格せずに役人になっています。

乾隆元年 戸部主事になりました。

1745年(乾隆10年)。姉の貴妃 高氏が死去。

貴妃 高氏の死後。哀れんだ乾隆帝は貴妃 高氏の家族を高い地位につけました。

乾隆帝は高恒を「両淮巡監御史」という役職につけました。

塩商人と癒着

科挙を合格していない役人は高い官職につけません。高恒が任命されたのは正五品というそんなに高くない位ですが「塩の管理」という大切な役目でした。

湖南、湖北、江西、安寧、河南、江蘇の塩当局とすべての塩関連業務を監督し、塩価格を監査し、調整する権限を持っていました。

高恒は8年間この仕事を行いました。ところが高恒はその間に不正を行っていました。高恒は塩商人たちに賄賂を要求しました。3万両(清では重さの単位1両=37g)の銀を受け取りました。

お祭りや誕生日には塩商人たちが自発的に賄賂を持ってきました。高恒は断ることなく「笑いながらお金を受け取りました」。

塩商人が高恒に賄賂を贈るのは「慣習」になっていたのです。

それだけではありません。高恒は塩商人に絵画や書画を要求することもありました。高恒ははっきりと「これをくれ」というのではなく。商人にそれとなく合図をおくって商人たちが高恒の意図を読み取って持ってくる。というやり方でした。

その一方で、高恒は乾隆帝とも仲良くしていました。乾隆帝が江南地方を視察するときは、高恒は自分で資金を出して職人を雇い揚州五亭橋をかけたり虹橋を再建したりしました。もちろんその資金は高恒が塩商人からとったものです。

巨額の汚職事件が発覚

1765年(乾隆30年)。高恒の従兄弟の高晋が新しく赴任することになりました。高恒は戸部侍郎という役職にになりました。

新しく赴任した高晋は今度は自分が塩商人から賄賂を取ろうとしました。ところが塩商人たちと高恒との関係は続いていました。高晋は塩商人から相手にされません。

怒った高晋は塩商人と高恒の関係を暴露しました。

その報告を聞いた乾隆帝は大臣の傅恒を派遣して調査させました。傅恒は孝賢純皇后 富察氏の弟です。

すると塩商人と役人が癒着して数千万両の銀を横領していたことがわかりました。この事件は歴史上「両淮塩事件」とよばれます。高恒も横領した役人の一人でした。高恒は一人で467万両の銀子を横領していました。高恒が横領した銀は乾隆帝の江南視察の貢物の資金にしていました。

報告を聞いた乾隆帝は激怒しました。汚職した額はあまりにも巨額で極刑は免れません。乾隆帝としては裏切られた想いでした。乾隆帝は高恒の処刑を命令しました。

ところが傅恒が「亡くなった高貴妃の弟で、高家の跡取りです。高恒は罪は償わなくてはいけませんが、命だけは助けてください」と乾隆帝に懇願しました。

傅恒の姉は富察皇后。すでに病で亡くなっていました。同じように姉を病で亡くした者として同情の気持ちがあったのかもしれません。

すると乾隆帝は「それなら、皇后の兄弟が法を破ったら、私はそうすればいいのか?」と冷ややかに言いました。つまり高貴妃の兄弟だから不正が許されるなら、皇后の兄弟も不正をしても許される。乾隆帝は傅恒にそうしてほしいのか?と聞いたのです。

すると傅恒は恐怖のあまり返事ができず、それ以降は何も言いませんでした。これ以上かばえは傅恒も不正をはたらいていると判断されるからです。

1768年(乾隆33年)。高恒は命令通り処刑されました。財産も没収になりました。

1769年(乾隆34年)。もと高恒の屋敷は改築され固倫和静公主(乾隆皇帝の七女)の屋敷になりました。

高恒には4人の息子がいました。高恒の処刑後も息子たちは連座で処分されることなく仕事をしていました。

ところが1776年。長男の高樸は汚職で捕まりました。親の死を教訓にできなかったのでしょうか。

TVドラマ

瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 2018、中国
 演:鄭曉東

高貴妃が生きている時。戸部郎中として働いているときの高恒が出てきます。高貴妃の死後、塩商人との癒着が始まるのですがそこはドラマと関係ないので描かれていません。

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