高 勲(こう・くん)は、後普、遼(契丹)の政治家・軍人。
後普の人で突厥沙陀族の出身。開封に攻めてきた契丹に降伏。2代皇帝 遼太宗 耶律堯骨に仕えました。その後も、3代 世宗・耶律兀欲、4代 穆宗 耶律璟に仕えました。
遼(契丹)に仕えた漢人(といっても突厥沙陀族の出身なので唐の時代まで祖先をたどれば元遊牧民)の臣下の中でもトップクラスの出世をします。
5代 景宗・耶律明扆の時代に政争に巻き込まれ処刑されました。
史実の高 勲はどんな人物だったのか紹介します。
高 勲の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:978年
姓 :高(こう)
名称:勲(くん)
字:鼎臣
国:後普→遼(契丹)
父:高信韜
彼は後普、遼(契丹)の政治家です
日本では平安時代になります。
突厥沙陀族の生まれ
後普の人。
後普は五代十国時代の五代の国のひとつ。突厥 沙陀(さだ)族の人たちが中心の武装組織・佐陀軍閥が作った国でした。
高勲(こう・くん)の生年は不明。
河西(甘粛省)の出身。
父は北平王 高信韜
高勲は後普で閤門使をしていました。
後普が滅亡、契丹(遼)に降伏
946年。後普の守護・開封が遼の太宗 耶律堯骨(やりつ・ぎょうこつ)に攻められ、後普は滅亡。
高勲は杜重威とともに遼に投降しました。開封を占領した耶律堯骨によって四方館使に任命されました。
高勲は偉い人たちと積極的に付き合い勤勉に働きました。そのため大臣たちからも推薦をうけて官職につくことができました。
一族の仇を討つ
高勲と同じように遼に降伏した後普の武将に張彦澤がいました。張彦澤は後普の人でしたが契丹に降伏。耶律堯骨の開封攻めに積極的に加わり。契丹が勝った後。張彦澤は2日間開封を略奪。遼が後普に勝てたのは自分のおかげだと思っていて傲慢な態度をとっていました。
「資治通鑑」によれば。あるとき張彦澤は高勲の叔父と弟を殺害、門の外に置き去りにしました。高勲は耶律堯骨に訴えました。張彦澤は無許可で略奪を行なったり他の罪もあったので逮捕され。耶律堯骨は高勲の処刑を監督するように命令を受けました。張彦澤の処刑は張彦澤に殺された人の遺族も見守りました。高勲は張彦澤を処刑。すると張彦澤が処刑されると見ていた人々は張彦澤の遺体に群がってその肉を競うように食べました。
世宗・耶律兀欲の時代
天禄元年(947年)。世宗・耶律兀欲(やりつ・こつよく)が即位。
高勲は南院枢密使になり。総漢軍事を務めました。
天禄5年(951年)。北漢の劉崇が遼に服従。遼の皇帝を「叔皇帝」とよび冊封を求めてきました。世宗・耶律兀欲は北漢の劉崇を「大漢神武皇帝」の称号を与えました。
高勲は世宗の命令で劉崇に「大漢神武皇帝」の称号を授ける冊礼使を務めました。劉崇は国名を周(後周)にしました。
穆宗 耶律璟の時代
応暦初年(951年)。世宗が暗殺され、穆宗・耶律璟(やりつ・けい)が即位。
高勲は「趙王」になり、上京留守を務めました。
その後、南京留守を務めました。
応暦13年(963年)。北宋が益津に城を作ろうよしていました。そこで高勲は北宋を妨害するように意見を提出。穆宗は高勲の上奏を採用。北宋の築城を阻止しました。
応暦17年(967年)。宋軍が益津関に攻めてきたので、高勲が撃退。知南院枢密事になりました。
景宗・耶律明扆
応暦19年(969年)。穆宗が殺害され、景宗・耶律明扆が即位。
高勲は明扆の擁立に協力したので「秦王」の爵位を与えられました。
保寧年間(969~979年)。南京(なんけい=今の北京)析津府の管内は空き地が多かったので、高勲は開墾の許可を景宗に求めました。
ところが耶律昆宣が「高勲は謀反の意図がある」と告発。景宗は高勲を疑って許可を出しませんでした。
その後、高勲は南院枢密使にになりました。
高勲は契丹に尽くし景宗の即位に協力したにも関わらずまだ信用されていない。十分な報いがないと思うようになりました。そればかりか自分よりも功績の劣る蕭思温が皇后の親というだけで高い地位にいるのが不満でした。
ドラマ「燕雲台」と違い。史実の蕭思温は権力争いは上手ですが、国を治める政治家や軍人としての功績はあまりない人物でした。契丹に降伏した後、認められようと頑張ってきた高勲にとっては不満でした。
駙馬都尉の蕭啜里を毒薬を使って殺害しようとしたことがわかり銅州に流罪になりました。
保寧10年(978年)。蕭皇后の父・蕭思温を殺害した罪で処刑されました。高勲の財産は没収されて蕭思温のものになりました。
蕭思温が賊に殺害されたのは670年のことなのでずいぶんと年月がたっています。今更という気もします。本当は他の理由かもしれません。
高勲は穆宗の時代までは順調に出世していました。欲を出しすぎなければ景宗の時代も生き延びることができたかもしれません。重臣のトップになりたいという欲が彼を滅ぼしたのかもしれません。
テレビドラマ
燕雲台 2020年、中国 演:関亜軍
コメント