中国ドラマ「女医明妃伝~雪の日の誓い~」に登場する静慈師太にはモデルがいます。
歴史上は静慈仙師(じょうじせんじ)と呼ばれた人物です。
本名は胡善祥(こ・ぜんしょう)
もとは宣徳帝(せんとくてい)の正室(皇后)でした。
ところがあまり愛されませんでした。宣徳帝は側室の孫貴妃を寵愛しました。しかも孫貴妃に王子・朱祁鎮が生まれたため、胡善祥は廃妃になって出家させられてしまいます。出家と言っても実際には仏教ではなく道教です。
ドラマでは仏教の尼という設定になり静慈師太と呼ばれています。
史実の静慈仙師はどんな人物だったのか紹介します。
胡善祥(恭譲皇后・静慈仙師)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:1443年
名称:胡善祥(こぜんしょう)
称号:恭譲皇后(きょうじょうこうごう)
法名:静慈仙師(じょうじせんじ)
父: 胡栄
母:劉氏
夫:宣徳帝(第5代皇帝)
子供:順徳長公主(じゅんとくちょうこうしゅ)、永清公主(えいせいこうしゅ)
彼女は皇后でしたが、廃妃され出家しました。
日本では室町時代になります。
おいたち
明時代の役人・胡栄の三女。本名は胡善祥(こ・ぜんしょう)
初代・洪武帝(朱元璋、在位:1368~1398年)の時代。
姉の胡善圍が尚宮(随から明の時代まで続いた中国の女官の位、正五品)になりました。
父・胡栄は正六品錦衣衛百戸になりました。秘密警察の隊長です。
2代・建文帝(1398~1402年)の時代、胡栄は免職されます。
1417年。3代・永楽帝(1402~1424年)の時代。胡善祥は皇太孫の朱瞻基(しゅ・せんき、後の宣徳帝)の正室になりました。
ところが朱瞻基は側室の孫氏を寵愛して、胡善圍はあまり愛されませんでした。
1420年。娘の順徳長公主が生まれます。
その後、いつかはわかりまえんが、次女の永清公主が生まれます。
1424年。4代・洪熙帝(こうきてい)が即位すると朱瞻基は皇太子になりました。胡善祥は皇太子妃になりました。
皇后になる
1425年。朱瞻基が即位。第5代皇帝・宣徳帝です。
胡善祥は皇后になりました。父の胡栄は正二品錦衣衛指揮僉事になりました。秘密警察の幹部です。
廃妃になり道士になる
1428年。貴妃孫氏が男子・朱祁鎮(後の正統帝・英宗)を出産。
すると、宣徳帝は胡善祥を「病気のうえに男子がいない」という理由で廃妃にしてしまいます。
胡善祥は清寧宮に移りました。さらに道士(道教の聖職者)に出家させられてしまいます。このとき「静慈仙師」とう法名が与えられました。
道士とは中国で普及している「道教」の聖職者です。キョンシー映画の影響で怪しげな術を使う呪術師のイメージがあるかもしれませんが。あれは正しい道士の姿ではありません。道教の儀式を行うのが仕事です。仏教の僧侶に相当します。
胡善祥のかわりに皇后になったのは孫氏でした。
姑の張太后は胡善祥を気の毒に思って、清寧宮の自分の部屋にいつも招いていました。張太后のはからいで皇后と同じ待遇で暮らすことはできました。
1433年。娘の永清公主が死去。このとき、未婚で10歳以上だったといわれます。
正統帝の時代
1435年。宣徳帝が死去。朱祁鎮が即位しました。
1437年。娘の順徳長公主が石璟と結婚しました。
1441年4月。張太后が死去。胡善祥は他の妃嬪とともに葬儀に参列しました。胡善祥は最大の味方を失ってしまいます。
1443年。娘の順徳長公主も死去。公主にも子供はありませんでした。
同じ年。胡善祥が死去しました。
死後、嬪の待遇で葬られました。
8代・天順帝(英宗・正統帝の2度めの即位)の時代(1457~1464年)。皇后の地位が回復。恭譲誠順康穆静慈章皇后の諱が与えられました。
省略して恭譲皇后と呼ばれます。
ドラマ
女医明妃伝 2016年、中国 演:顧艶 役名:靜慈師太
大明皇妃 2019年、中国 演:鄧家佳 役名:孫蔓茵/胡善祥
尚食 2022、中国 演:張楠
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