新羅の摩耶夫人は第27代国王・善徳女王の母親です。
新羅の第26代国王・真平王の妃です。
善徳女王や善花王女の母という重要なポジション。ドラマの「善徳女王」や「薯童謡(ソドンヨ)」でも登場します。
でもドラマではいつも娘を心配する弱々しい母親として描かれるだけであまり目立ちません。
史実の摩耶夫人はどんな人物だったのか紹介します。
摩耶夫人の史実
プロフィール
名前:福肹
生年月日:不明
没年月日:不明
家族
母:不明
夫:真平王(26代新羅国王)
子:
長女:善徳女王
次女:天明公主
他
主に活躍したのは新羅の27代善徳女王の時代です。
日本では飛鳥時代になります。
父は福勝葛文王という王族。
摩耶夫人は新羅王家の一族なのです。
当時の女性には珍しく「金福肹」という本名が伝わっています。
呼び名の「摩耶夫人」はもちろんゴータマ・シッダールタ(釈迦)の生母・摩耶夫人から付けられました。
新羅では第23代国王・法興王の時代に仏教が公認され、法興王は仏教の普及を進めました。そのため新羅王族の間では仏教的な名前が流行しました。
真平王には摩耶夫人の他にも孫氏という妃(継妃ともいわれます)がいたようですが、孫氏にも男子が生まれませんでした。
その結果、真平王が死去した後に直系男子がいなくなりました。
長女の徳曼が即位。「善徳女王」になりました。
善徳女王は父も母も金一族。両親が王族の場合は「聖骨」とよばれます。片方の親が王族、あるいは王族に準ずる地位の人は「真骨」です。
当時の新羅では「聖骨だけが王になれる」という掟がありました。真平王の子や近親の聖骨の中で最年長は徳曼だったので王に選ばれたようです。
血筋を「骨」と言ったり、「金」という姓を名乗ったり。新羅王家の「金」一族は遊牧民族出身のようですね(他の豪族や平民は別の民族かもしれませんが)。伝統的に遊牧民族の王家は「黄金の一族」と名乗ったり、モンゴル人などは血筋のことを「骨」を意味する言葉で表現するからです。
摩耶夫人の子どもたち
歴史上の摩耶夫人と真平王には2人以上の娘がいました。男子はいません。でも資料によって娘の順番や数が違います。
「三国史記」儒学者が書いた朝鮮半島の正史
長女:善德女王
次女:天明公主(武烈王の母)
「三国遺事」仏教僧が書いた説話集
長女:天明公主(武烈王の母)
次女:善德女王
三女:善花公主
薯童謡(ソドンヨ)の元ネタはこちら。
善花公主は百済の武王と結婚した事になっています。三国史記には名前がなく。善花公主が存在して本当に武王と結婚したのかよく分かっていません。
「花郎世紀」現代人が作った偽書
長女:天明公主(武烈王の母)
次女:善德女王
三女:善花公主
四女:天花公主
「善徳女王」「花郎」の元ネタはこちら。
ただし「善徳女王」では三女、四女は登場しません。
史実に近いのは三国史記だと思います。後から作られた資料ほど王女(公主)の数が増えていますね。
テレビドラマ
薯童謡 SBS 2005年 演:ジン・フアラン
善徳女王 MBC 2009年 演:パク・シウジン,ユアン・ユソン
大王の夢 KBS 2012年 演:イム・ナミョン
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