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明敬皇后 独孤氏(北周)独孤伽羅の姉は北周明帝 の皇后

周 6.1 北朝・魏・周・斉

明敬皇后は古代中国・北周の二代皇帝・明帝の皇后。

中国ドラマ「独孤伽羅(どっこから)」「独孤皇后(どっここうごう)」では独孤般若(どっこ はんじゃく)の名前で登場します。

でも本当の名前はわかっていません。ドラマオリジナルの名前です。

歴史上は明敬皇后、敬皇后、独孤氏と呼ばれます。

敬皇后が生きていたころ、北周では君主は「天王」と名のっていました。

そのため敬皇后の称号も「王后」でした。

後の時代に皇帝の称号を使うようになったので皇后と呼ばれるようになりました。

 

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明敬皇后(けいこうごう)の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:558年5月14日

名前:独孤 (どっこ)名は不明。
諡(おくりな):献
諡号:明敬皇后
父:独孤信
母:郭氏
夫:宇文毓(北周・明帝)

北周の二代皇帝・明帝(宇文毓)の后です。

日本では飛鳥時代になります。用明・崇峻・推古天皇の生きた時代とほぼ同じです。

おいたち

敬皇后がいつ生まれたのかはわかりません。

父は北周の大司馬(軍事を司る長官)独孤信(どっこ しん)。独孤(どっこ)一族は遊牧民族・匈奴(きょうど)の流れをくむ一族。戦いが得意な武門の家柄でした。父・独孤信は軍人たちを率いる重鎮でした。独孤信は有力な一族に娘を嫁がせ影響力を強めていました。

独孤氏(敬皇后)は独孤信の長女でした。妹には随の皇帝・楊堅の后になった独孤伽羅や唐の初代皇帝・李淵の母になった元貞太后がいます。

独孤氏がいつ宇文毓と結婚したのかはわかりません。宇文毓が548年に寧都公になった後に結婚したようです。

557年1月。宇文覚が天王に即位。北周が建国。

しかし宇文護が実質的な権力を持っていました。

彼女の父・独孤信と趙貴は宇文護の殺害を計画します。宇文盛が密告したためばれてしまい趙貴は処刑されました。独孤信は免職に追い込まれ、宇文護によって自害を強制されます。

このころ宇文毓が岐州刺史になりました。

宇文護によって宇文覚が廃位され殺害されます。

宇文護が宇文毓を迎えて天王にしようとしました。最初は宇文毓は拒否します。臣下たちの要請をうけて、宇文毓が天王に即位しました。

558年1月。独孤氏が王后になります。

4月に死去。死因は不明です。昭陵に葬られました。

独孤氏は王后になって一年もしない間に死去してしまいました。彼女の死因は分かっていません。父・独孤信が宇文護によって自害に追い込まれたため、王后独孤氏も宇文護によって殺害されたのではないかとも考えられます。しかし証拠はありません。

559年。皇后に追尊されました。

 

ドラマの 明敬皇后 独孤氏

独孤伽羅 2018年、中国 演:安以軒  役名:獨孤般若

独孤皇后 2019年、中国 演:齊千郡 役名:明敬皇后・獨孤般若

 

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