韓国時代劇 花郎(ファラン)に登場するスンミョン王女は花郎世紀という書物に登場する叔明王女がもとになってます。叔明王女は新羅の王女とされる人物です。
只召太后(チソ太后)の娘であり、真興王とは異父兄妹でした。真興王の妃になりますが、不倫して別の人物と再婚します。
史実の叔明王女はどんな人物だったのか紹介します。
叔明王女(スンミョン王女)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:603年
称号:叔明公主
父:異斯夫
母:只召太后(チソ太后)
夫:眞興王、二花郞
子供
真興王との子
貞肅太子
二花郞との子
圓光
菩利公(風月主)
花明
玉明
叔明王女は新羅の王女。
新羅の24代国王・真興王の異父兄弟であり、妃でもあります。
新羅時代を記録した歴書・三国史記には登場しません。花郎世紀という書物にだけ登場する人物です。
花郎世紀によると、異斯夫と只召太后の間に産まれた娘だとされています。異斯夫は新羅の将軍で政治家。真興王に仕えました。
花郎世紀が正しければ、叔明王女と真興王は異父兄弟になります。
母・只召太后の意志で異父兄妹の真興王の妃になりました。
真興王は思道王后を愛していましたし、異父兄妹の叔明王女のおとはあまり好意はもってなかったようです。それでも妹ということで大切にはしていたようです。
真興王との間には貞肅太子が産まれました。
しかし王妃になる前から二花郞と愛し合っており、王妃となったあとも二花郞と通じていました。二人の仲がばれると二花郞とともに逃げました。
貞肅太子は父親が誰なのか疑われ、太子の座を廃位になってしまいました。
叔明王女も廃されました。
そして思道王后の息子が太子となりました。
叔明王女と二花郞は思道王后によって救われ、正式に結婚することになりました。
二花郞は4代目の風月主(花郎の長)になりました。
二花郞との間には4人の子をもうけました。その中の一人、菩利公は風月主(花郎の長)になったといわれます。
歴史書に書かれた叔明王女はドラマのスンミョン王女ともかなり違いますね。
晩年は二花郞とともに永興寺に入り、仏の信仰に生きました。
新羅時代は朝鮮半島の国の中でも最も女性の立場が高かった国です。後の時代の女性に比べると奔放なところかがあります。
叔明王女の記録が出てきくるのは花郎世紀だけ。花郎世紀は後世に作られた偽物ともいわれています。したがって叔明王女が実在したのかはわかりません。でも花郎世紀の内容はドラマの題材としてよく使われます。
テレビドラマ
花郎 KBS 2016年 演:ソ・イェジ
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