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タファンは実在する?奇皇后の皇帝のモデル トゴン・テムルを年表と家系図で解説

韓国時代劇「奇皇后」に登場する元の皇帝・タファン。タファンという皇帝は実在しませんが、モデルになったのはトゴン・テムルという元の15代皇帝です。

いわゆる中国大陸の覇者・大元帝国としては最後の皇帝になりました。

トゴン・テムルの妃には奇皇后がいます。

ドラマ「奇皇后」のタファンと史実のトゴン・テムルはかなり違っています。歴史上のトゴン・テムルについて紹介します。

 

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タファンは実在する?

タファンという名の皇帝はいないがモデルはいる

「タファン」という皇帝は史実にはいません。

ドラマ『奇皇后』でタファンと呼ばれる人物のモデルは元の皇帝トゴン・テムルです。歴史書では順帝(諡号)/恵宗(廟号)の名前で出てくることも多いです。

 

なぜ「タファン」という呼び名になるの?

トゴンテムルは歴史書の『元史』では 「妥懽帖睦爾」などと漢字で書かれています。

ドラマの「タファン」は漢字名「妥懽(トゴンに相当)」の現代韓国語読みにしたものです。

 

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トゴン・テムルの史実

トゴン・テムルは“元の最後の皇帝”

トゴン・テムルは、モンゴル帝国の「カアン」としては第15代、元の皇帝としては第11代目。

「元」が大都に都をおき中国を支配していた時期の最後の皇帝です。

トゴン・テムル年表

トゴン・テムルの生涯はややこしい流れですが年表にするとこうなります。

  • 1320年:誕生(明宗コシラの長男)。
  • 1328年:内乱(両都の争い)で、父コシラに従って上都へ戻る。
  • 1329年:父コシラが急死。宮廷から外され、のちに高麗の大青島→広西の静江府へ流される。
  • 1333年6月8日:召還ののち、即位(恵宗/順帝)。
  • 1340年:トクトと組んで政変。実力者バヤンを追放し、旧勢力を一掃。
  • 1351年:紅巾の乱が勃発し、各地の反乱が全国規模へ広がる。
  • 1353年:皇子アユルシリダラが立太子(のち北元の後継者)。
  • 1354年:討伐軍を率いていたトクトを解任・追放。中央軍が弱体化し、地方軍閥依存が進む。
  • 1368年:明軍の北伐で劣勢となり、大都(北京)を放棄して上都へ逃れる。
  • 1370年:応昌府で崩御。アユルシリダラが継ぐ(北元へ)。

 

プロフィール

  • 名前:トゴン・テムル
  • 廟号:恵宗
  • 諡:順帝
  • 生年月日:1320年5月25日
  • 没年月日:1370年5月23日
  • 在位期間:1333〜1370年
  • 父:明宗(コシラ)
  • 母:マイライディ
  • 妻と子
    • ダナシリ(タナシュリ)
    • バヤン・クトゥク
      • チンキム
    • オルジェイ・クトゥク(奇皇后)
      • アユルシリダラ

トゴン・テムルはモンゴル帝国(元)の15代皇帝。高麗末期になります。日本では鎌倉時代の人になります。

家系図

家系図には父-祖父のライン。複数いる皇后とその子を示しました。タファンはドラマ名で、史実ではトゴンテムル(順帝/恵宗)です。◯で囲った数字はモンゴル帝国の即位順です。

元の皇帝トゴン・テムル(タファン)の家系図。カイシャン→コシラ→トゴン・テムルの父系と、皇后ダナシリ・バヤン・クトゥク・奇皇后、子アユルシリダラ・ムナシリを整理

タファン(トゴンテムル)の家系図:父系(カイシャン→コシラ)と皇后・子ども関係

トゴン・テムルの正妃は一人ではありません。順帝には最初に正皇后ダナシリ皇后がおり、その後にバヤンクトゥク、さらに奇皇后が3人目の正皇后となりました。ドラマには登場しませんが史実では四皇后ムナシリも存在します。奇皇后の子アユルシリダラは、のちに北元の皇帝になります。ドラマではチンキムは登場しません。

 

皇帝になるまで

逃亡中の父と部族長との間に生まれる

父・コシラ(明宗)は13代皇帝。コシラは即位前、周王に任命されて赴任中に命をねらられたため中央アジアに逃亡しました。

亡命中のコシラと テュルク系遊牧民カルルク部族の族長の娘との間に産まれたのがトゴン・テムルです。

カルルク部族は名門ではありませんでした。

父コシラが元の皇帝になる

1328年。父コシラが都に戻り明宗として即位します。ところが皇太子には伯父のトク・テムルが選ばれました。

1328年。明宗の死後、トク・テムルが即位して文宗になりました。先代皇帝の息子だったトゴン・テムルは都から遠ざけられ、高麗や広西(現在の中国・広西チワン自治区)に流されました。

1332年。文宗が死去。皇后ブダシリは遺言によりコシラの息子でトゴンの弟イリンジバルを皇帝にします。しかしイリンバジルは2ヶ月で死去してしまいます。

元に呼び戻される

丞相エル・テムルは文宗の子エル・テグスを次の皇帝にしようとしましたが、皇后ブダシリが反対。

ブダシリの命令でトゴン・テムルが呼び戻されました。ところが自らの権力が脅かされると考えたエル・テムルが反対。
都に戻ったあとも半年間は即位できませんでした。

トゴン・テムルの即位

1333年春にエル・テムルが死去したあと、トゴン・テムルはようやく即位することが出来たのでした。

 

皇帝になったトゴン・テムル

軍属に逆らえないトゴン・テムル

トゴン・テムルは14歳で皇帝になりました。太皇太后のブダシリが後見人になり、甥のエル・テグスを皇太子にしました。

エル・テムルは死去したものの、実権を握っていたのは軍属でした。エル・テムルの息子達が反乱を起こすとバヤンが鎮圧します。

実権を握ったバヤンを追放

しかしバヤンが力を持つようになりました。

20歳を過ぎたあたりから、トゴン・テムルはバヤンに反発するようになります。バヤンの甥・トクトと協力してバヤンを追放。ブダシリとエル・テグスも追放しました。

こうして古い勢力を排除して自分の権力を固めたかのように思えましたが、トクトとその父マジャルタイが力を持ってしまいました。

そこでトクトたちの敵だった重臣たちと協力してトクトを追放。しかし重臣たちが力をもつことを警戒してトクトをよびもどしています。

このようにトゴン・テムルは朝廷内の権力争いに積極的に関わっていました。

荒廃する地方

しかし朝廷内で権力争いが繰り返されている間に、地方では災害や疫病が流行し人々の支持を失っていきました。元の朝廷は何も出来ず権力争いを続けていました。かつて元に敗れた南宋人は元のもとで差別を受け不満を高めていました。農民も搾取によって生活が苦しくなり全国に不満が広まっていました。

1351年。紅巾の乱が発生します。

トクト達軍閥の力が強くなることを恐れたトゴン・テムルはまたトクトを追放、元の軍隊は弱体化します。

政治に関心を失うトゴン・テムル

弱体化した元の軍隊は紅巾の乱を鎮圧することができなくなりました。やがてトゴン・テムルは政治への興味を失い、重臣たちが朝廷を動かすようになりました。

1353年。奇皇后との間に産まれたアユルシリダラは皇太子になりました。アユルシリダラは奇皇后と協力して皇帝の座を狙い重臣たちと対立するようになります。

トゴン・テムルは皇太子と重臣の対立を止めることが出来ず、元の国力はますます衰えました。

元の終わり

1368年。朱元璋は明を建国し、元の都・大都に迫ります。

するとトゴン・テムルは都を棄てて上都に逃げました。

モンゴル高原で生き延びた元朝

歴史上はここで中原の覇者としての大元帝国が滅びたことになってます。以後、モンゴル帝国は北元と呼ばれます。

明が中国大陸の覇者になったように思われますが、実際には北元はモンゴル高原を中心に広大な領地を持っていました。1635年に後金に滅ぼされるまでモンゴル帝国は続きます。

1369年には上都も陥落。トゴン・テムルはモンゴル高原にある応昌府に逃げました。再起を図ろうとしますが果たせず。
1370年。死去します。皇太子アユルシリダラが即位しました。

トゴン・テムルには恵宗の廟号が与えられます。また明によって順帝の諡を与えられました。

 

よくある質問

Q. タファンがむかつく…と思えるのはなぜ?

A。 ドラマを見ているとタファンの態度にイライラする場面はありますよね。主に以下のような理由で苛つくように感じる事が多いです。

  • 情緒が不安定で依存気味
    泣く・拗ねる・すがるが多く、見ていて疲れることがある。
  • 皇帝なのに不安と嫉妬で暴走する
    好きなのに疑う、疑うから当たる…が続き、周囲まで巻き込む。
  • 被害者っぽさと加害を行き来する
    かわいそうと思わせた直後に、人を傷つける行動を取るので反感が出やすい。
  • 三角関係で推しの邪魔に見える
    ワン・ユ派やスンニャンの幸せを優先して見ている人には反感をかいやすいようです。
  • そもそもイラつくように作られた役?
    かわいい・情けない・怖いが切り替わるキャラで、感情を揺さぶる設計なのでは?と思うこともあります。
  •  

Q。「奇皇后」のタファン役は誰ですか?

韓国の俳優 チ・チャンウクです。
チ・チャンウクってどんな人?
1987年7月5日生まれ。
大学在学中に出演した短編映画がきっかけで、2008年にデビューしました。タファンは「情けない皇帝」から「恐ろしい皇帝」まで振れ幅が大きい役です。
チ・チャンウクは「皇帝らしさの固定イメージをいったん消して、弱さや子どもっぽさも含めて作り直した」と語っています。

「奇皇后」のタファン(トゴン・テムル/タファン)役が大きな転機になり。『ヒーラー〜最高の恋人〜』などにも出演しています。

 

関連記事

奇皇后にはモデルになった史実の人物が何人も登場します。ドラマはあくまで「物語」として楽しみつつ、気になったら以下の記事もご覧ください。

『奇皇后』の世界が、さらに楽しめると思いますよ。

 

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この記事を書いた人

 

著者イメージ

執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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