慈聖光献(じせいこうけん) 皇后は北宋の皇后。第4代皇帝 仁宗の正室です。
曹(そう)皇后とも呼ばれます。
「孤城閉~仁宗、その愛と大義~」ではヒロインの曹丹姝(そう たんしゅ)のモデルになりました。
中国ドラマ「明蘭」では皇后(後に皇太后)のモデルにもなりました。ドラマ「明蘭」ではラスボスのように描かれます。歴史上も様々な事件に関わっている人物です。
「孤城閉」と「明蘭」では全く違う描かれ方をします。というのも前半生と後半生で大きく違う人物なのです。
史実の慈聖光献 皇后はどんな人物だったのか紹介します。
慈聖光献 曹皇后の史実
曹皇后のプロフィール
生年月日:1016年
没年月日:1079年11月16日
姓:曹
名:不明
称号:慈聖光献皇后、慶寿太皇太后
地位:北宋の皇后
父:曹玘
母:馮氏
夫:仁宗(北宋・第4代皇帝)
子供:
彼女は北宋・第4代皇帝の妃です。
日本では平安時代になります。
おいたち
1016年。北宋の役人・曹玘の娘として生まれました。
祖父・曹彬(そう ひん)は北宋の建国に貢献した将軍です。
1032年。劉太后の死亡後。
仁宗の正室・郭皇后は子供がいないという理由で廃されました。仁宗は好きな側室を皇后にしようとしましたが大臣たちが反対。
1033年。仁宗の母親代りの楊太妃が名門・曹家出身の曹氏を推薦。仁宗は育て親の楊太妃には逆らえず曹氏を皇后にしました。このとき18歳(数え歳)でした。
皇后時代
慈聖光献 曹皇后は優しく慈悲深い性格で質素な生活を送っていました。
しかし仁祖は曹皇后の容姿などの理由で好きにはなれず、いつも距離を置いていました。曹皇后は不美人だったわけではありませんが、特別美人だとか色気があったわけではなさそうです。家柄もよく礼儀正しく威厳のある皇后だったようです。経典や歴史書にも詳しいです。宮中の女性たちを率いて宮殿の庭に畑を作り穀物を育てたり蚕を育てました。
優等生的な人物だったのでしょう。
でも仁宗の求める女性像とは違ったようです。仁宗は張貴妃や尚美人のように活発で積極的な女性が好きだったようです。
曹皇后は他の側室たちにも嫉妬を見せることはありませんでした。曹皇后は皇后としては十分な心遣いと働きをしていました。
張貴妃が曹皇后の馬車を借りる
張貴妃は仁宗皇帝に寵愛されていました。あるとき張貴妃は皇后の馬車を借りて外出したいと言いました。驚いたことに曹皇后は皇后の馬車の使用を許可しました。でも何かおかしいと思った仁宗は「国の物や儀式には規則には順序がある。側室が皇后の格式で外出したら宮中から批判されるぞ」と、張貴妃は説教しました。張貴妃は不愉快になりましたが、あきらめるしかありませんでした。
反乱が起きる
慶歴8年(1048年)正月。仁宗皇帝が曹皇后とともに寝殿に滞在していました。夜中、仁宗は騒ぎの音で目が覚めました。仁宗が様子を見ようとすると。曹皇后は「危ないのでむやみに動かないようにしないでください」と仁宗を止めて、宦官や宮人たちを集めて宮殿の門を守りました。
このとき曹皇后は一人一人の髪を一房ずつ切り落とし、この証拠にあとで褒美を与える。と言いました。宮人達は競い合うように消火活動をしたり反乱鎮圧を行いました。
事件の後。仁宗は曹皇后に感謝するどころか、曹皇后がこの騒ぎを仕組んだのではないかと疑います。曹皇后を廃して張貴妃を皇后にしようと思いましたが、大臣たちが反対して実現しませんでした。
1063年。仁宗が急死。英宗が即位しました。
英宗の時代。皇太后になる
曹皇后は皇太后になりました。
英宗はすでに31歳の大人でしたが即位してまもなく病になります。政治を行うことができなくなったので曹皇太后が政治を行いました。
曹皇太后は後宮ではなく、朝廷に出向いて臣下の話を聞きました。
やがて病気が好転すると曹皇太后は引退。英宗が復帰しました。ところが英宗は全快することなく1067年に病死してしまいます。
神宗の時代・改革に反対
英宗の死後。英宗の息子・神宗が即位しました。
神宗は王安石を採用。改革を行おうとしました。当時の宋は財政赤字、農民が生活に困って土地を手放し一部の大地主に土地が集中。自作の農民が減ると税収が減り、貧富の格差も拡大するなど様々な問題を抱えていました。
王安石は国の組織を効率のいいものにして財政的な負担を減らし、国を発展させようというものでした。ところが大地主や商人、皇族たち既得権の利権を縮小する内容も含まれていました。
朝廷内でも反対するグループがいました。曹皇太后も反対派に味方しました。曹皇太后は神宗に「先祖代々の法律を軽々しく変えるべ出来ではない」と意見しました。
しかし神宗と王安石は抵抗にあいながらも改革を進めます。
1079年。改革に反対していた蘇軾(そ しょく)が投獄されました。蘇軾は有能な政治家でしたが普段から遠慮のない発言が多く死罪を求める声が殺到しました。蘇軾は死を覚悟しました。曹皇太后は蘇軾が功績のある臣下でもあるので罪を軽くするように神宗に言いました。すると神宗は曹皇太后の意見を聞いて黄州への左遷にしました。
1079年冬。曹皇太后は死去。享年64歳。仁宗皇帝とともに永昭陵に葬られました。
TVドラマ
明蘭 2018年、中国 演:楊青
孤城閉 2020年、中国 演:江疏影
大宋宮詞 2021年、中国 演:顧語涵、張義露 役名:曹汝
史実とは違い曹利用の娘になっています。曹汝のモデル・慈聖光獻皇后は重臣の曹玘の娘。曹利用とは親子でも親戚でもありません。
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