チムグは 中国ドラマ「大明皇妃(だいみんこうひ) Empress of the Ming」に登場するオイラトのお嬢様。
遊牧民の女性らしく馬に乗るのが得意で活発な人物です。
ドラマの中では正統帝・朱祁鎮を捕虜にしますがやがて朱祁鎮に恋するようになり。二人の間には子供まで生まれてしまいます。
チムグとはどんな人物なのか紹介します。
ネタバレ要素があるのでご注意ください。
ドラマ「大明皇妃」のチムグ
オイラトの首長・エセンの娘。
オイラトとはモンゴルと勢力を争っている遊牧民族です。モンゴル帝国(元朝)時代はモンゴルの支配下に入っていましたが。元朝が北京を放棄してモンゴル高原に帰った後はモンゴルから独立して独自の活動をしています。
ドラマで描かれる時代のエセンはオイラトの王ではありません。エセンはタイシ(太師)という役職。オイラトの宰相です。
エセンの時代のオイラトのハン(王)は トクトア・ブハ。チンギス・ハーンの子孫です。トクトア・ブハは達達可汗(タタル・ハン)という称号を名乗っていますが。お飾りの君主でした。
オイラトにはハンがいるもののエセンが実権を握っています。
エセンとはどういう人なのかこちらを御覧ください。
そのエセンの娘という設定なのがチムグ。
遊牧民の女性らしく活動的で馬を乗りこなします。
ドラマでは明の張克倹が万里の長城の外で略奪行為を繰り返していたので遊牧民は激怒。チムグたちオイラトの人々は張克倹と対立。ついには張克倹を捕まえます。
遊牧民の張克倹への恨みはとても強くてエセンは張克倹を処刑しました
その後、オイラトと明は戦争になります。
チムグも戦いに参加。遠征してきた明軍をエセンの部隊が襲撃。そのとき廃寺に隠れていた正統帝・朱祁鎮(しゅ・ちきん)を捕らえて捕虜にしました。
その後、何がよかったのかチムグは朱祁鎮に惚れてしまいます。エセンが朱祁鎮を殺そうとしたときも朱祁鎮をかばいました。朱祁鎮と一緒になって北京に行こうとしています。
やがて戦争が終わり。チムグと朱祁鎮は愛し合うようになり。二人の間には男の子が生まれ朱見深(しゅ・けんしん)と名付けられます。
やがて朱祁鎮が北京に戻るとチムグは付いていきます。
ところが北京では朱祁鈺の迫害を受けてチムグは朱見深と引き離されてしまいます。そしてチムげは朱祁鈺によって殺害されてしまいます。
チムげはいる?
史実のエセンには何人かの子供がいます。
でもチムグという名の娘はいません。
エセンの娘には明の皇帝と結婚した人もいません。
チムグは架空の存在なのです。
朱見深の生母は誰?
ではドラマの中で誕生した朱見深は架空の人物でしょうか?
いいえ。朱祁鎮の息子・朱見深は実在します。
朱見深は 明朝の第9代皇帝・成化帝です。
史実では成化帝・朱見深の生母は 貴妃周氏(孝粛皇后)。
朱祁鎮の側室です。農家出身で宮廷で侍女をしていたところろ正統帝に見初められて側室になりました。
土木の変の前に朱見深を出産。
奪門の変の後に貴妃になっています。
朱祁鎮と銭皇后との間には男子が生まれなかったので周貴妃の子が皇太子になり。周貴妃は大きな影響力を持ちました。
周貴妃の詳しい説明はこちらを御覧ください。
ドラマのチムグと周貴妃は全然違う人生を歩んでいます。
新解釈どころか共通点がありません。あえて探せば、明の名家の出身ではないことくらい。
周貴妃は明の農家出身。
チムグはオイラトの首長の娘。
正直、チムグを朱見深の生母にする必要があったのか疑問に思うほど違います。
チムグを演じるチューニー・ツーレン(曲尼次仁)さんはチベット人。
1986年5月15日生まれ。
チベット大学を卒業後中国でアイドルや女優として活動しています。
コメント