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揀択(カンテク)とはどんな制度?揀択の史実と裏話

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揀択(カンテク、揀擇とも書きます)は李氏朝鮮時代に行われた王妃や世子嬪を選ぶための儀式です。

韓国ドラマでも何度が王妃を選ぶ場面が登場します。

ドラマ「カンテク・運命の愛」ではそのものズバリ揀択がテーマになりました。

朝鮮時代の揀択(カンテク)とはどのような制度なでしょうか。

揀択の歴史としく、揀択にまつわる噂話とともに紹介します。

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揀択(カンテク)とは

揀択(カンテク)で選ばれる人

揀択で選ばれるのは王族の婚姻相手。王妃か世子嬪です。

王子の正室や公主・翁主の夫も似たような手順で決めます。

側室は揀択では選びません。

揀択の手順

王妃や世子嬪を選ぶのが決まると王が命令を出します。

嘉礼都監(カレトガム)という臨時の役所がつくられ作業が始まります。禁婚礼が出されて朝鮮国内で結婚が禁止されます。

若い世子の場合は少し年上(早く出産してほしいから)。成人した王の場合は適齢期(十代後半)の女性。王がどんなに歳をとっていても十代後半の人を募集します。

条件に該当する娘がいたら両班は必ず届けなくていはいけません。役所では集まった書類の中から候補者を選びます。

書類選考では劣る家柄や血筋が落とされます。外戚(王妃の実家や親戚)が力を持つと困るので親の地位や権力・財力がない人が選ばれるときもあります。有力な両班の娘が選ばれるときもあります。そのときどきの王や重臣の思惑で選ばれる人は決まります。

娘の親が役職が低かったり権力を持ってなかったりすることもあります。それでも家門そのものは名門。祖先をたどれば名家になる人を選びます。

書類選考を通過した候補者を初揀択・再揀択・三揀択の手順を得て王妃(世子嬪)が決まります。

初揀択

書類審査を通過した候補者は面接試験を受けます。

審査をするのは王室の女性たち。主に年長者の女性王族が面接します。

王族女性の前に並んで座り。父親の姓名を書かせ、茶菓子を出して食べるときの行儀をみたりします。

候補者を6人前後まで絞り込みます。

再揀択

初揀択を通過した候補者を2週間後にもう一度面接して3人に絞り込みます。

最終選考に残った3人は輿に乗せられ50人の護衛に付き添われて帰宅します。これで周囲の人々にも「あの家の娘は三揀択に残った」と知れ渡ります。これは一族にとっても名誉なことです。

王子の正室、公主・翁主の夫は面接は1~2回程度ですませます。

三揀択

再揀択から15~20日後。役人たちが最終選考に残った女性が王妃や世子嬪にふさわしいか確認して最終選考に残った3人を王が面接して決めます。

三揀択が終わると禁婚礼は解除されます。

王妃(世子嬪)に内定すると宮中に入り王妃になるための教育を受け、礼儀作法を覚えます。

揀択をする理由

高麗時代や李氏朝鮮の初期には揀択はありませんでした。

高麗時代には妃の候補になると王室から使者が派遣されて、相手の家の意志を確認して妃を決めていました。重臣から頼み込んで妃にしてもらうこともありました。

王家と臣下の個人的なつながりで妃を選んでいました。

太宗・李芳遠の激怒から始まった

揀択が始まったのは3代朝鮮王・太宗のときです。

1417年。太宗・李芳遠が側室の娘・貞信翁主の婚姻相手を決めようとしました。占いで候補者を選び、候補者に結婚相手に決まったと伝えたところ「私の息子は死んだ。でも相手が貞恵翁主なら生きてるかもしれない」と言いました。

貞恵翁主の生母・権氏は名門安東権氏の一族。つまり生母が名門じゃないと駄目だ。と遠回しに言ったのです。

もちろん太宗は激怒です。その両班は杖打ち100回の後、財産没収されて奴婢にされ。息子は一生結婚を禁止されました。

「王室には威厳が足りない」と感じた太宗は二度とそうさせないための制度を作りました。

王室の特権

届け出しない両班は不忠者

未婚で該当年齢の娘がいるのに揀択に応募しないと「不忠」とされ、王室への忠誠心が疑われます。

揀択があるたびに両班は王室への忠誠心を試されます。

応募といいつつも実は強制なのです。

王室以外が真似したら厳罰

王族や両班が揀択に似たことをすると処分されました。

1446年に太宗の次男・孝寧大君が息子の妻を選ぶため良家の娘を一人ずつ自宅に呼んで面接したことがありました。すると重臣たちが弾劾を起こして問題になりました。

このときは兄がやったことだからと世宗がなんとか丸く治めました。

でも王族であっても揀択を真似すると処分されました。

揀択は王室だけが行える特権だったのです。

揀択は時間をかけて行う儀式です。厳選に厳選を重ねて王妃にふさわしい素晴らしい女性を選ぶ。それができるのは王室だけ。ということで権威を高めました。

だから王妃に選ばれなくても三揀択に残るとすごく名誉になります。

揀択の噂話

揀択に残ると結婚できない?

有名な俗説に三揀択(最終選考)に残ると王妃に選ばれなくても一生独身でいなければいけない。といわれます。

三揀択に選ばれるとその時点で「王の女」なので他の人と結婚できない。というのです。

でも実際にはそのような規則はありません。

王朝がなくなったあと。キム·ヨンスクという大学教授が、李氏朝鮮末期に女官をしていた人から聞き取り調査した内容を広めたといいます。韓国では「事実」として受け止められているようです。

実際には三揀択に残った人でも結婚した人はいるみたいです。規則ではなかったし「そういう人もいた」程度だったのでしょう。

王妃や世子嬪にならなくても三揀択に残った人の中から側室を選ぶことがありました。三揀択に残るなら身元も確かでいい娘に違いないからです。

ですから三揀択で落選した娘の親の中には娘が側室になるのをあてにして娘の結婚を遅らせた人はいたかも知れません。

三揀択に残った。という「権威」がつきますから求婚する側にもそれなりのプレッシャーにはなります。三揀択に残った権威をふりかざして婿選びに偉そうになる両班はいたかもしれません。

理想が高すぎて婚期を逃す人。いますよねそういう人。

そういった事情も重なって。朝鮮末期には「三揀択に残って王妃に選ばれなかったら一生結婚できない」という噂が広まったようです。

揀択の最中に明が貢女を連れ去ってしまう?

揀択がはじまると禁婚礼が出ます。この間は朝鮮中の人々が結婚できません。

このときに明の使節たちは「貢女」を集めていた。といわれることがあります。

高麗や朝鮮は宗主国の遼・元・明・清に未婚の女性を貢ぎものとして送っていました。貢ぎものになった女性を「貢女」といいます。宦官や奴婢を送ることもあります。特産物や資源の多い国なら物を貢ぐことができますが、朝鮮には献上できる物が少なかったので「人」を献上するしかなかったのです。

これは中華皇帝の命令なので逆らうことはできません。悲しいですが従属国の宿命です。

ドラマ「奇皇后」や「王は愛する」で貢女が話題になるので知っている人もいると思います。ドラマに出てくるのは高麗時代ですが朝鮮になっても無くなってはいません。

朝鮮では世宗の時代に一番多くの貢女が送られました。その後は減ります。制度としては清の時代になっても続きます。貢女の制度が廃止されるのは日清戦争で清が日本に負けて朝鮮が独立したときです。

公式な貢女ではなく明の使節が個人的に連れて帰った女性もいます。

貢女は未婚女性と決まっているので貢女を逃れるために結婚する人も少なくありません。

明の使節が貢女を選ぶときは朝鮮王が1~2ヶ月禁婚礼を出します。使節が来れば朝鮮王は従うしかありません。揀択にあわせて貢女を選ぶ必要はないのです。

揀択中だから禁婚礼がでているとは限らない。
使節が貢女選びをするから禁婚礼が出ているときもあるのです。

両方を混同している人もいるのでしょう。

朝鮮史上最高の名君といわれる世宗が、朝鮮史上最も多くの自国の女性を明の皇帝に差し出した。とは信じたくないでしょう。韓国のサイトでは「世宗が貢女を廃止した」と書いてあるものまであります。でも世宗は数を減らすように交渉はしましたが、世宗の力をもってしても廃止はできませんでした。

ですから揀択期間中に明が勝手に連れ去ったのだ。と思いたい気持ちは理解できます。嫌なことは他国のせいにしたいです。現在でも同じ気持ちだと思います。

それに揀択の禁婚礼の間にどさくさに紛れて使節が個人的に連れて帰った人はいたかもしれません。

でも正式な貢女選びは史実では揀択とは関係ないところで行われていました。

朝鮮後半は形骸化

揀択は王室の権威を高めるために太宗がはじめました。ところが朝鮮後半になると形だけになりました。

21代英祖の継妃には貞純王后が選ばれました。貞純王后は初揀択から三揀択の入場では常に最初に入場しました。これは最初から結果が決まっていたから。と言われます。貞純王后の実家は慶州金氏、新羅王室につながる名門でしたから血統順に入場しただけかも知れませんけれど。

勢道政治(一族が政治を独占すること)が激しくなる朝鮮後期になると揀択は形だけになりました。

最初から結果が決まっていたのです。

例えば。

19世紀の24代憲宗、25代哲宗の妃を選ぶとき。純元大妃(23代 純宗の正室)と一族は安東金氏から妃を選びました。大妃や朝廷の主な重臣が安東金氏だったら。「次の王妃も安東金氏にしよう」となります。

でも揀択は行っています。正式な手続きを経て選ばれたのだから資質も申し分ない王妃だ。というわけです。

面接試験をして素質のある人を選ぶ。というのは建前。実際は権力のある一族から王妃を出してそれを正当化するための手続きになってしまいました。

そうした揀択(カンテク)が形だけの時代になった19世紀を舞台にしているのがドラマ「カンテク・運命の愛」

現実には19世紀の揀択は陰謀どころか最初から結果が決まっているただのイベントでした。それが陰謀といえなくもないですけれど。

悪い権力者や閉塞した時代を打ち壊す痛快な王と王妃(当然架空の人物)がいたらいいのになぁ。という願望がドラマに込められているのかも知れませんね。

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