洪景来(ホン・ギョンレ)は李氏朝鮮王朝の反乱軍の指導者。
純祖の時代に起きた 洪景来の乱の指導者です。
韓国時代劇「商道(サンド)」では洪景来が登場。反乱を起こします。
「雲が描いた月明かり」ではホン・ギョンネの名前で登場。ヒロイン、ホン・ラオン(サムノム)の父親になってます。劇中では過去の民乱(民の反乱)の指導者として出てきます。
史実の洪景来(ホン・ギョンレ)どんな人物だったのか紹介します。
洪景来(ホン・ギョンレ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1780年
没年月日:1812年
名前:洪景来(ホン・ギョンレ)
別名:平西大元帥
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の純祖の時代です。
1780年に生まれました。
出身は平安道。
両班でしたが彼が生まれたころには没落していました。貧しいくらしをしながら儒教、兵法、風水地理などを身につけ。子どもたちに学問を教えることもありました。
叔父の指導を受けて郷試に合格。しかし1978年の科挙に落第。家を出て放浪しました。
洪景来は風水師の活動を続けながら各地を放浪しました。墓地選び(注)などで地元の有力者と交流して仲間を増やしました。
注:風水には生きてる人の家を占う陽宅風水と墓地を占う陰宅風水があります。日本では陽宅風水だけが話題になりますが。中国や朝鮮では陰宅風水も重視されます。陰宅風水を疎かにすると子孫が影響を受けるので陰宅風水も重要だとされます。
洪景来の乱
純祖の時代。
正祖の目指した改革が潰され、安東金氏の勢道政治が始まりました。一部の一族だけが富と権力を独占するようになります。人々は職につこうと安東金氏に賄賂を送り、安東金氏は朝廷の役人たちは位や役職を金で売って蓄財していました。
賄賂で役人になった者は民から搾取して使った金を回収します。民は不作や重税に加えて役人たちの不当な取り立ててで苦しい生活をしていました。土地を捨てて逃げるものもいて。賊になったり反乱を起こすものもいました。
純祖の時代の反乱で最大級のものが洪景来の乱です。
この時代は不安な世の中だったので新興宗教や予言が流行っていました。洪景来は予言書「鄭監録」に出てくる「鄭真人」という人物の名を使い、一緒に反乱を起こす仲間を集めます。
「鄭監録」は朝鮮初期に作られた予言書。朝鮮版ノストラダムスともいわれ。李氏朝鮮時代から現代の韓国でも有名な予言書です。朝鮮の人々は予言や救世主伝説が好きで「鄭監録」を使った反乱や噂は何度もありました。
洪景来の乱もそのひとつです。
1811年。洪景来のもとには1000人以上の集団になりました。そして洪景来は自ら「大元帥」を名乗り、仲間とともに嘉山を攻撃しました。
各地の農民や街で暮らす貧しい人、手工業者、両班や下級役人たちが洪景来たちを応援。反乱軍の勢いは大きくなってに嘉山、定州、宣川、泰川、龍川、鐵川を占領しました。
しかし安州攻略に失敗した後、定州に退却。
1812年5月。官軍が定州を攻撃。定州の拠点は陥落。
洪景来は銃弾を受けて戦死。このときいた主な仲間も戦死したり逮捕されれて処刑され、反乱軍は壊滅しました。
死後も残る影響
洪景来の反乱は鎮圧され。戦死。
洪景来は民乱(民の反乱)の首謀者として罪人とされました。
しかし洪景来の反乱が朝鮮国内に与えた影響は大きく。彼の死後も「洪景来は死んでない」という噂が広まりました。
その後も1813年の「済州民乱」、1817年の「全州民乱」でも洪景来はうわさになりました。
純祖以降、勢道政治が酷くなり、朝鮮の民は圧政に苦しんでいました。各地で反乱が起こります。洪景来の反乱はその最初の大きな反乱でした。
テレビドラマ
商道(サンド)
2001年、MBC。 演:パク・チャンファン
洪景来(ホン・ギョンレ)は林尚沃(イム・サンオク)のもとで働いていました。やがて洪景来(ホン・ギョンネ)は朝廷に対して反乱を計画、林尚沃たちに自分の計画に加わるように要求しましたが、林尚沃は拒否。洪景来たちは反乱を起こして最終的には自害しました。
雲が描いた月明かり
2016年、KBS 演:チョン・ヘギュン
洪景来の設定ですが、日本語版字幕では「ホン・ギョンネ」になってます。
ヒロイン、ホン・ラオン(サムノム)の父親。民乱(民の反乱)の指導者として出てきます。
ホン・ラオンが子供の頃にホン・ギョンレの乱が起こり。ラオンは親とはぐれました。このとき2000人近い人々が反乱軍として犠牲になったことになっています。
劇中ではその後も残党が活動を続けています。ホン・ギョンレの子供を探して組織の求心力を高めようとしていました。
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