秀麗伝

7 漢

漢明帝 劉荘(劉陽) 後漢の全盛期を築いた皇帝

明帝(めいてい)劉荘(りゅう・そう)は後漢の第2代皇帝。 初代皇帝 光武帝・劉秀と皇后 陰麗華の息子です。 若い頃は劉陽(りゅう・よう)という名前でしたが。皇太子になったときに名前を劉荘(りゅう・そう)にかえました。 明帝の治世は息子の章帝...
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陰興 は姉の陰麗華に外戚はむやみに出世すべきではないと諭した

陰興は後漢の武将。 初代皇帝・光武帝 劉秀の正室・光烈皇后 陰麗華の弟です。 陰麗華は劉秀が非常に愛した人で、陰家の人々も劉秀から信頼されていました。 ところが陰興は過剰な出世は望みませんでした。皇后になった姉の陰麗華にも、陰家は富や名誉を...
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劉彊(劉強)落ち度はないのに皇太子を廃された光武帝の長男

劉彊(りゅう・きょう)は後漢の初代皇帝・光武帝の長男です。 「彊」は「強」と同じ意味。「劉強」とも書きます。 母は郭聖通。劉秀が河北を平定するために同盟した劉楊の姪です。 もともと劉秀には陰麗華という妻がいましたが。政略結婚のために母は劉秀...
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光武帝・漢を再興して儒教国家を作った皇帝

光武帝・劉秀(りゅう・しゅう)は後漢の初代皇帝。 王莽に滅ぼされた漢を再興させた人物です。 後漢は約200年、三国志の時代まで続きます。 光武帝はそれは儒教を国教にした王朝だからです。前漢の時代から儒教は広まりつつありました。でも朝廷の中心...
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劉楊・10万の兵で光武帝の天下取りに協力後殺害される

劉楊(りゅう・よう)は古代中国の漢から後漢時代の武将。 漢王室の末裔で、新朝時代には河北の豪族になっていました。 河北で10万の兵をもっていた劉楊は後に光武帝になる劉秀と同盟を結び、姪の郭聖通を劉秀と結婚させました。 ところが劉秀が皇帝に即...
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[秀麗伝] 過珊彤のモデル・郭聖通の「持参金」で光武帝 劉秀は皇帝になれた

郭聖通(かく・せいつう)は後漢の建国者・光武帝 劉秀の正室。 中国ドラマ「秀麗伝」では過珊彤(か・さんとう)の名前で登場します。 郭聖通の役割は光武帝が自分の帝国を建国するためにとても重要でした。 郭聖通が「持参金」として10万人の軍隊を持...
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張卬・盗賊から将軍に出世?反乱軍あがりの荒くれ者

張卬(ちょう ごう)は新・更始帝軍の武将です。 新朝末期におきた緑林軍の反乱では、緑林軍のいち員として頭角を表しました。 やがて劉縯が率いる舂陵軍と合流。 勢力を拡大した反乱軍は劉玄を担いで天子にします。 やがて、更始帝になった劉玄と張卬は...
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李通(後漢)劉秀の義弟は出世欲が薄かった

李通(り・つう)は古代中国の武将で政治家。 新朝から後漢の時代に活躍しました。 新朝末期世の中で反乱が起きている時代に劉縯や劉秀たちに挙兵を呼びかけました。李通の説得がなければ劉縯は別として劉秀は挙兵しなかったかもしれません。 李通は劉秀の...
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更始帝 劉玄 反乱軍に担がれわずか数年の皇帝人生

更始帝 劉玄(りゅう・げん)は漢王朝の皇帝。 皇帝になった劉玄は自分の国を「漢」と呼びましたし。劉玄も劉邦の子孫です。 でも歴史家たちは劉邦の建国した漢(前漢)、劉秀の漢(後漢)とは区別して「更始政権」などとよびます。 劉玄は歴史書では無能...
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寧平長公主・劉伯姫 光武帝の妹は意外に大人しかった?

寧平長公主・劉伯姫(りゅう・はくき)は、後漢の光武帝・劉秀の妹。 劉伯姫の夫は、劉縯・劉秀兄弟とともに挙兵した李通です。 劉秀が後漢建国後は夫の李通とともに洛陽に呼ばれて洛陽で暮らしました。 姉の劉黄が皇帝の姉の地位を利用して好き勝手なこと...
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新野長公主・劉元 は新軍の襲撃時に劉秀の助けを拒んで逃した

劉元(りゅう・げん)は後漢の初代皇帝・光武帝の姉。 光武帝に仕えた武将の鄧晨(とう・こう)の妻です。 漢の重臣だった王莽はクーデターを起こして漢の皇帝から皇帝の座を奪い、「新」という国を建国しました。 ところが王莽の政治に不満を持つ豪族は多...
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湖陽長公主・劉黄は 光武帝・劉秀も逆らえないわがまま姉貴

湖陽公主 劉黄(りゅう・おう)は後漢の初代皇帝 光武帝 劉秀の姉。 劉家の長女です。 弟の劉秀たち新朝に反乱をおこして後漢を建国しました。 劉黄は郷里にいた姉たちを都の洛陽に招きます。 そこで「湖陽公主」の称号を与えられた劉黄は王族として暮...