哲宗(てつそう、チョルジョン)は李氏朝鮮王朝の第25代国王です。
韓国時代劇「風と雲と雨」「哲仁王后」にも登場します。
正祖の異母弟の子孫ですが謀反事件に巻き込まれ、江華島で農民をしていました。
ところが24代憲宗は跡継ぎを残さないまま死去。
急に宮廷に呼び出されて王になってしまいます。
まるでドラマのような人生です。
しかし現実はドラマのようにはいきません。政治経験がなく味方もほとんどいない宮廷では哲宗は無力なお飾りの王でした。
安東金氏たち一部の両班だけが富と権力を牛耳る社会では何もできません。
最後は酒に溺れ体調を壊して若くして死亡しました。
史実の哲宗はどんな人物だったのか紹介します。
朝鮮 哲宗(チョルジョン) の史実
哲宗の肖像画
哲宗のプロフィール
生没年
生年月日:1831年7月25日
没年月日:1864年1月16日
日本では江戸時代末期になります。
名前
姓:李(イ)
名:即位前・元範(ウォンボム)→即位後・昪(ビョン)
廟号:哲宗(チョルジョン、てつそう)
清の称号:忠敬王
家族
父:全渓大院君・李快得
母:龍城府大夫人廉氏
正室:哲仁王后金氏
子供:5男6女
全て成人する前に死去。
哲宗の家系図
英祖~哲宗の家系図
英祖~哲宗 家系図
哲宗の生涯
おいたち
哲宗(元範)の父 ・李快得(全渓大院君)は思悼世子の庶子・恩彦君の息子。
1786年(正祖10年)。恩彦君と長男の常溪君は「王位を簒奪しようとした」という罪をかぶせられました。
常溪君は賜死。恩彦君と李快得ら家族は王室から名前を削除され江華島に流罪になり。農民として暮らしていました。
1831年。李元範(イ・ウォンボム、後の哲宗)は江華島で生まれました。
父は李快得(全渓大院君)
母は廉氏
李元範も父と一緒に江華島で農民として暮らしました。
哲宗が暮らした家?
下の画像は哲宗が江華島時代に暮らしていた家の跡地にある屋敷。
哲宗が暮らしていた当時は茅葺屋根の家でした。哲宗即位後に瓦屋根の屋敷に改修され「龍興宮」と呼ばれました。現在残っているのは高宗時代に再建されたものです。
王になった経緯
1849年7月25日。24代朝鮮王・憲宗が死去。
憲宗には後継者がいません。
純祖の正室・純元王后は江華島にいた李元範を呼び出して純祖の養子にすると「徳完君」の称号と昪(ビョン)の名前を与えました。
純元王后は安東金氏の一族。ライバルの豊壌趙氏に権力を渡さないようにするため、安東金氏の言いなりになりそうな者を選んで王にしました。
哲宗の時代
垂簾聴政の始まり
1849年7月28日。徳完君は朝鮮王に即位。25代朝鮮王・哲宗の誕生です。
憲宗が死去してわずか3日後のことでした。
哲宗は19歳でしたが、農民をしていたので政治の経験はまったくありません。
そこで純元王后は「哲宗は政治の経験がなく歳も若い」という理由で垂簾聴政をはじめました。
王妃選び
1851年(哲宗2年)。憲宗の喪があけると王妃選びが始まりました。
純元王后はもちろん安東金氏から王妃を選びました。選ばれたのは金汶根の娘です。それが 哲仁王后 です。
朝鮮王朝には揀択(カンテク)という王妃を選ぶ手順があります。ところが最初から選ぶ人を決めて形だけ行いました。
哲宗はただ純元大妃や金左根に言われるがままに王妃を迎えます。
親政の始まり、でも安東金氏の操り人形
即位して3年後。
1852年。純元大妃は垂簾聴政をやめました。
でも朝廷内で力をもっていたのは金左根たち安東金氏の勢力でした。
1859年には官吏の不正を指摘するなど、政治に関わろうとしましたが何も変えられません。
1861年には訓練都監所属の馬歩軍と別技軍を使って宮殿宿衛を強化しようとします。
でも安東金氏の影響力が強く、哲宗は自分の思い通りにはできませんでした。
勢道政治で苦しむ庶民たち
このころ勢道政治の真っ只中でした。
王以外の者が政治を行うこと。とくに特定の一族が権力を独占して政治を行うことです。
権力が特定の一族に集中するので役人たちもその一族に取り入るために賄賂を渡します。役人はその賄賂に使ったぶんをとりもどそうと下の者から搾取します。
賄賂で私腹を肥やした役人がさらに賄賂を使って上の地位に昇る。この繰り返して汚職だらけになりました。
コネやカネで出世できる社会では有能な人材は出世できませんし、有能な人材が育ちません。
権力者たちの搾取が果てしなく続き庶民たちの生活は苦しくなっていきます。
哲宗は何を決めるにも「金左根は承知しておるのか」と周囲の臣下に聞いていました。
新しい宗教が民衆に広まる
このころカトリックが一部の民衆や両班の間で広まりつつありました。
歴代の朝鮮朝廷はカトリックの弾圧を行っていました。
でも哲宗の時代はカトリック弾圧が緩み信者が増えていました。宮廷内にも信者がいます。
カトリック弾圧が激しくなるのは次の高宗の時代です。
新興宗教も誕生します。
崔済愚(チェ・ジェウ)が自分で作った「東学」を広め庶民の間で人気になっていたのです。
崔済愚はカトリックに対抗して儒教、仏教、道教をミックスさせて新しい宗教を作り「全ての人が天である」という教えを広めました。西洋のキリスト教に対して東の教えということで「東学」といいます。
崔済愚は「民衆を惑わしている」という理由で逮捕され処刑されました。
でもその後継者は生き延びて信者を増やします。「東学」は高宗の時代に大規模な反乱・東学党の乱(東学農民戦争)の中心勢力になります。
各地で民衆が反乱を起こす
役人たちの不正な取り立てに民衆が苦しめられていたこの時代。日照りや洪水など天災もおこり飢饉が発生。民衆の生活は更に苦しくなりました。
1862年2月。普州では役人の搾取に我慢しきれなくなった農民が反乱を起こします。反乱軍は各地の農民に呼びかけながら普州城に進軍。普州城の役人を殺害したり関係者の家を破壊しました。金左根は軍を派遣、反乱を鎮圧させました。
その後、反乱は慶尚道、忠清道、全羅道に広がっていきました。
9月。済州島で姜悌倹、金興采たちが中心になって反乱を起こしました。彼らは農民の支持を得て役所を襲撃、済州島全体を占領しました。しかし1863年1月には軍によって鎮圧されます。
この年におきた反乱をまとめて「壬戌民乱」といいます。
両班や地方の役人たちも自分たちが私腹を肥やすことしか考えません。
安東金氏の王族排除
安東金氏は自分たちに対抗できそうな王族を排除しはじめました。
1862年。金左根は王族の李夏銓の謀反計画を捏造。配下の者に密告させました。李夏銓は逮捕されて済州島に流罪になりました。
それでも生ぬるいと安東金氏の配下の臣下たちが次々と弾劾を起こします。哲宗はしかたなく李夏銓に賜死を命令しました。
無力さに打ちひしがれる王
民衆の反乱がある程度落ち着いた1862年の後半。
哲宗は在野の儒生や官僚から改革案を募集しました。哲宗は税の仕組みを改革しようとしましたが、両班たちの反対で実行されないまま終わりました。
哲宗が何かをやろうとしても重臣たちに反対され。何もできない哲宗はしだいに酒色に溺れるようになります。
宮廷で側室や妓生たちと宴会するときもカッコウの鳴き声を聞くと走っていって涙を流す光景が目撃されています。それを見た重臣は「生まれつき弱く愚かな王だ」と嘲笑することもあったといいます。
哲宗の最期
哲宗は1862年ごろから病気がちになり寝込むこともありました。
1863年。哲宗は死去。享年33(数え歳)
哲宗には跡継ぎはいませんでした。哲宗の死去により18代孝宗から続く血統は断絶。
次の王は高宗に決定
哲宗が病気で寝込んでいたころ。
王族の興宣君は「哲宗は病気で寝込むことが多いので先は長くない」と考え、密かに趙大妃と接触。息子を次の王にしようとしていました。
哲宗の死後。跡継ぎがなかったので、血統をさかのぼり仁祖の三男麟坪の子孫・高宗が王位を継ぐことになります。
高宗は興宣君(興宣大院君)が王にしようとしていた息子です。
ニセ両班が増える最悪の時代
勢道政治の時代、官位の売買が盛んになりました。権力を握る一族は私腹を肥やすため官職を金で売ったのです。裕福な商人や地主は官位を買ったり、国に寄付したりして官位を手に入れました。
一度、両班の地位を手に入れると子孫も両班です。
そのため形だけの両班が増えました。
戸籍上の人数はこのようになります。
両班(%) | 平民(%) | 奴婢(%) | |
1690年(粛宗10年) | 9.2 | 53.7 | 37.1 |
1729年(英祖5年) | 18.7 | 54.7 | 26.6 |
1783年(正祖7年) | 37.5 | 57.5 | 5.0 |
1858年(哲宗9年) | 70.3 | 28.2 | 1.5 |
出典:ソン・デフン,「韓国人も知らない朝鮮王朝史」,新星出版社.
役所には両班として登録されていても。科挙に合格したり役職についているわけではありません。70%の両班の中でどれだけの人が特権階級としての本物の両班なのかはわかりません。
でも両班として登録されていれば税の徴収には来ないので、納税者が減ります。
そのぶん税を払う者の負担が増えるので地獄のような時代になっていました。
また苦しい生活のため多くの民が国境を超えて逃げました。
この表の数字は帳簿上の人の数なので、田畑を捨てて逃げた人は含まれません。実際には帳簿に載っていない多くの平民・賤民がいたはずです。
哲宗の時代には1856~1860年には 清でアロー戦争(第二次アヘン戦争)が起こりました。九龍半島をイギリスに割譲、外満洲(沿海州)がロシアのものになります。
1858年には日米修好通商条約締結。鎖国が通用する世の中ではなくなってきます。東アジアに欧米が押しよせて世界は大きく変わっていましたが、朝鮮国内ではこのようなことが行われていました。
哲宗のドラマ
Dr. JIN 2012年 演:金秉世(キム・ビョンセ)
風と雲と雨
2020年 TV朝鮮 演:正旭(チョン・ウク)
哲仁王后
2020 tvN 演:金正賢(キム・ジョンヒョン)
イ・ビョンの妃になるキム・ソヨン(金昭容)に現代人男性のボンファンの魂が乗り移り。イ・ビョンとともに純元大妃たち重臣の悪巧みを阻止して排除。ボンファンが現代にもどったあと、イ・ビョンと哲仁王后は善政を行い朝鮮を発展させ、イ・ビョンは死後「哲祖」と廟号されます。現代人が介入して歴史を変えてしまってる妄想全開なタイムスリップ&パラレルワールドのドラマです。
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