大祚栄(だい そえい)は渤海を建国した人物。
渤海は日本人に馴染みのない国に思えるかもしれません。
でも朝鮮半島や大陸にあった国では日本に最も友好関係の深い国でした。
渤海があったのは現在の中国・ロシア・北朝鮮のあたりです。
現在でも渤海はどこの国の歴史にいれるべきか、中国・ロシア・北朝鮮・韓国のあいだで問題になっています。
現在でも論争になってる渤海を作った人物。大祚栄とはどんな人物だったのか紹介します。
大祚栄 の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:719年6月
在位:697~719年
名前:大祚栄(だい そえい)
現在の韓国では「テ・ジョヨン」と発音していますが。靺鞨人の大祚栄が現代韓国式の発音で名乗ったことはありません。靺鞨人と女真人(満洲人)は同じ民族なので満州語の発音が一番近いのかもしれません。ちなみに満洲語で「大」は「ダイ」と発音します。「ダイソエイ」は意外と当時の発音に近いかもしれません。いずれにしても現代では正確な発音を再現するのが難しいのでこの記事では日本語で「だいそえい」と書きます。
称号:高王、渤海郡王
父:乞乞仲象(大仲象)
母:不明
妻:不明
子供:大武芸(武王)、大門芸、
渤海の初代国王です。
日本では飛鳥時代~奈良時代初期。藤原不比等や長屋王と同じ時代の人です。
大祚栄は靺鞨人?
大祚栄の記録は唐のことを記した歴史書・旧唐書、新唐書に書かれています。
旧唐書では「渤海靺鞨は高麗(高句麗)の別種である。高麗(高句麗)が滅んだので一族を率いて江州に移り住んだ」と書かれています。
新唐書よると「高麗(高句麗)にいた粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)の者。姓は大氏」と書かれてます。
注:古代には高句麗のことを「高麗」と書いていました。当時の日本語読みは「こま」。現在では王建が建国した高麗と区別するために高句麗と書きます。
靺鞨(まっかつ)とは隋・唐の時代に中国東北部やロシア沿海州にいた部族です。高句麗と同様にツングース系の民族とされています。靺鞨はいくつかの部族に分かれていました。そのひとつ粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)が大祚栄の部族です。別の部族・黒水靺鞨は後に女直・女真(ジュシェン)や満洲(マンジュ)と名乗ります。
高句麗滅亡後の靺鞨人
668年。高句麗が滅亡。高句麗の人々は散り散りになりました。高句麗の強さを恐れた唐は高句麗の民を唐の各地に強制的に移住させ、バラバラにしました。一箇所にまとまって住んでいたら反乱される可能性があるからです。
しかし唐の支配は過酷だったので各地で反乱が起きてしまいます。
690年ごろから唐の支配下にいた契丹人や旧高句麗人が反乱を起こしました。
粟末靺鞨人のリーダー乞乞仲象が唐に反乱
696年。江州(中国遼寧省朝陽市)にいた契丹族の李尽忠(リ・ジンジョン、りじんちゅう)が反乱をおこすと、粟末靺鞨人の指導者・乞乞仲象(きつきつちゅうしょう)も元高句麗の人々と反乱を起こしました。乞乞仲象は現在の韓国では大仲象(テジュンサン)とも書きますが、生前は大仲象と名乗ったことはありません。大姓を使いだしたのは息子の祚栄の時代からです。
乞乞仲象と息子の大祚栄は高句麗の人々ともに江州を出て故郷の牡丹江上流に向かいました。乞乞仲象と大祚栄たちは東牟山を本拠地に自分たちの国を作ろうとしたのです。
しかし唐が許すはずがありません。正確にはこの時代は武則天が皇帝になっていた武周の時代。でも歴史上は武周も唐に含めることもあります。強大だった唐も武周のころになると国の中でいろいろモメていたので国力が弱くなっていました。各地で反乱が起きます。
武則天は契丹から投降した武将・李楷固(リ・カイグ、りかいこ)に討伐を命じます。李楷固軍との戦いの最中、乞乞仲象が病死。ともに戦っていた乞四比羽も戦死しました。
大祚栄の抵抗活動
大祚栄は残った人々をまとめて抵抗を続けました。
698年。大祚栄は東牟山(中国吉林省)に「震国」を作りました。唐(武周)と戦いながら大祚栄はさらに勢力を拡大しました。
705年。武則天が退位し中宗が即位。すると唐は使者を送りました。唐は下手に攻撃して損害をうけるよりは懐柔してしまおうと考えたのです。
712年。唐の玄宗皇帝は即位すると大祚栄に入朝を要請。
とりあえず形だけでも従属していれば攻撃されませんから大祚栄としても悪い話ではありません。
713年。大祚栄は唐から「渤海郡王」の称号を与えられ国名を「渤海」にしました。正式に唐の冊封体制に入りました。
渤海は、突厥(とっけつ、テュルク)や契丹(きったん、キタイ)など周辺の国と友好関係を結んでいました。
719年。死去。息子の大武芸があとを継ぎました。
大祚栄没後の渤海
渤海はその後、黒水靺鞨と対立。新羅も敵にまわします。
そこで727年に新羅と因縁のあった日本に使者を送り日本とも同盟を結びました。最初の渤海使節は蝦夷(北海道)に上陸してアイヌ人に殺害されてしまいました。しかし生き残った人々が出羽国(山形県、秋田県)にたどり着き、後に聖武天皇に謁見しています。使節の3分の2が殺害されてしまいましたが渤海の対日感情が悪化することはなくその後も使節を送ってきました。
759年。恵美押勝(藤原仲麻呂)が計画した新羅征伐は渤海の求めに応じたものだといわれます。このときの派兵は孝謙上皇の反乱(仲麻呂の乱)で実現しませんでした。
渤海が周辺国と関係を修復すると軍事同盟は薄れ、貿易と文化的な交流が続きます。渤海はあまりにも使者を送る回数が多いので日本は「12年に一度でいい」と制限しました。使者を送ってきた国に対して数倍の返礼品を送る必要があったので経済的な負担になったのです。
しかしその後も渤海は使節を派遣してきました。926年に渤海が滅亡するまで200年近く日本と友好関係が続きました。
渤海は朝鮮半島の国では百済と同じくらい友好関係の深い国でした。
テレビドラマ
大祚榮 KBS 2006年 演:チェ・スジョン
韓国では韓国KBSが「大祚栄(テジョヨン)」というドラマを作りました。これは「渤海は韓国のものである」という主張が込められています。
「渤海も韓国の歴史」と主張し始めたのは最近です。以前は統一新羅までが韓国の歴史でした。現在の韓国では「統一新羅」ではなく「新羅と渤海が存在する南北時代」と教えているようです。
現在の韓国は中国と領土問題でもめています。そこで渤海を韓国の歴史に入れて「渤海の領土も韓国」だと主張しているのです。
渤海はほぼ大陸側に領土を持ち靺鞨人が造った国です。北朝鮮とは一部領土が重なっていますが、領土の範囲や民族を考えると韓国とはあまり関係がありません。
高麗時代にまとめられた朝鮮半島の歴史書「三国史記」に「渤海」の記事はありません。朝鮮半島の人々も渤海は「朝鮮半島の国とは違う」と考えていたことがわかります。
現代の韓国は政治的・領土的な問題で主張しているのです。
渤海については韓国だけでなく中国やロシアも自分の国の歴史だと主張しています。おそらく北朝鮮もそうでしょう。
一般の日本人には理解しづらいですが、政治・歴史・領土は密接に関わりあっています。国際的にはそれぞれの国が政治的な理由で自分の歴史・領土を主張するのは珍しいことではありません。歴史とは常に「今を生きる人に都合のいいように解釈される」ものですから各国(国内も含め)の主張を真に受けないで「その程度のこと」と考えればいいと思います。
コメント
韓国の歴史ドラマはどれも「こうであってほしい」とか「こうであるべきだ」という民族的プライドが満たされるように願望が優先されてしまい「結果ありき」で製作されますので、あまり真に受けない方がよろしいかと思います。
高句麗の広開土王碑しかり朝鮮民族は歴史的に日本人を倭人と見下していたので、もし本当に渤海が高句麗の後継国家であるならば、日本に朝貢するなど絶対にありえないと思います。現在だって北朝鮮があれほど経済的に苦しくてもプライドが優先して日本と仲良くしない民族です。渤海の行動パターンは朝鮮民族のそれと同じとは思いません。よってツングース系の靺鞨族の国だと思います。
駄文お許しください。
通りすがりさん。こんにちは。
おっしゃるとおりですね。韓国ドラマは現代人の願望が先にあるので歴史の歪曲が激しいですね。それを官民あげてやっているのが日本とは違うところですね。
私個人としては高句麗もツングース系。新羅や百済とは民族が違う、今の韓国人とも違うと思ってます。高句麗は広開土王時代は日本と対立していました。しかし飛鳥時代には日本を味方にするために友好的に接していたことがありました。日本への対応は周辺国とのパワーバランスで代わるのでしょうね。
はじめまして。長くなるかもしれませんが、読んでいただけたらありがたいです。
朴泳孝の件です。
正祖崩御後の王室は荒廃しており、政的派閥の下に更に隠された細分化派閥が有り、都合の悪い敵側人物を陥れるために、該当人物の身分を偽書で遺し、その偽書が隠されたりバレたり、とんでもない荒廃ぶりだったようです。
朴泳孝の旧実家が草履売の家庭と記載されていますが、彼の祖父の生存期間が、韓国MBC文化放送開局周年記念ドラマ【イサン(李祘=正祖)】の正祖の生存期間と同時代であり、正祖崩御後に訪れる王室荒廃時代の種が芽を吹いていた時代です。正祖側の人間は正祖崩御後に順次粛清されていきましたが、正祖生存期間に、朴の家系は特に敵側勢力に疎まれていたのでしょう。いくら有力文臣系の両班だからとはいえ、敵側勢力に【朴泳孝の実家は草履売】などと嘘偽りの歴史を世に遺され、さぞ艱難辛苦で怨恨の念を抱き続けたことでしょう。
管理者さま
【朴泳孝の実家は草履売】の記述を削除し訂正されますよう、宜しくお願いいたします。
さくさん、こんにちは。
内容は検討してみますが、このページへのコメントは大祚栄や渤海と関係のあるものにお願いします。
韓国ドラマからの流れでの紹介ですし、ドラマのタイトルでもあるので仕方ないのかもしれませんが、渤海の人々の名前を現代韓国語読みメインで紹介するのは、半島内ならともかく、それ以外では物凄く違和感があります。
元々ツングース系民族で現代の韓国朝鮮語とはまったく関係ないし、漢字は宛字で、成吉思汗をチンギス・ハンと読むように当時の中国語発音に沿った読み方をしていたはずです。また中国語の通名もあったかもしれませんが、それは日本では日本語読みで対応すべきかと。
ロシア語だとどういう発音になっているのでしょうね。
Aさんこんにちは。まさにおっしゃるとおり、私もそう思います。ですから日本語表記も書いてます。さらにいえば高句麗・新羅・百済の人名・地名も現代韓国語の発音とは違いますし、李成桂の発音も当時の発音ならイ・ソンゲではなくリ・ソンゲのはずです。だから適切な表現ではない部分が多いのは承知しています。しかしこのサイトの趣旨は韓国ドラマを観て興味を持った人に、ドラマを鵜呑みにするのではなく史実を知ってもらうためのサイトです。だからドラマで使用された語句を使用しています。