唐代宗(李俶/李豫)の正妻・側室と子どもたち

4 隋・唐

 

李俶(り・しゅく)または李豫(り・よ)は唐の代11代皇帝。

玄宗皇帝の時代に安史の乱が起こりました。反乱鎮圧のあとに即位した皇帝が代宗です。

唐の第11代皇帝・代宗には20人の息子と18人の娘がいました。

そこで唐代宗の正室と側室をリストにしてみました。

ちなみに
唐代宗の生没年は
生年:726年
即位年:762年
没年:779年
享年54(数え年)

代宗の本名は
即位前は 李俶(り・しゅく)
即位後は 李豫(り・よ)
と変えています。

 

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皇后と正室

広平郡王妃 崔氏

読み方:こうへいぐんおうひ さいし

生年 不明
没年 757年
享年不明

母は楊貴妃の姉・韓国夫人。
母方の楊一族が絶大な権力をもっていたので広平王・李俶の正妻になりました。

安史の乱で楊一族は没落。その影響力は衰えます。
反乱が鎮圧された後。都に戻りました。
李俶が皇帝になる前に死去しました。そのため皇后の称号がありません。

子供:昭靖太子 李邈

ドラマ「麗王別姫」崔彩屏 のモデル。

崔妃(広平王妃)の詳しい説明はこちら

貞懿皇后 獨孤氏

読み方:ていいこうごう どっこし

生年 不明
没年 775年
享年不明

広平王・李俶の側室になりました。非常に美人で広平王・李俶の寵愛を集めました。

生前の最高位は貴妃。貞懿皇后は死後与えられた称号。

李俶が皇帝(代宗)の時代は皇后を決めませんでした。代宗の後宮では獨孤氏が最高位でした。

死後、代宗によって皇后の位が与えられました。代宗は獨孤氏の死を大変悲しんだといいます。

祖先は鮮卑族。独孤伽羅の一族とは血縁関係はありません。祖先の李屯が独孤信から「独孤」の姓をもらって「独孤氏」を名乗りました。

子供:
韓王 李迥
華陽公主

ドラマ「麗王別姫」独孤靖瑶 のモデル。
ドラマでは女将軍の設定ですが、歴史上の独孤氏は将軍ではありません。「独孤」の名前には勇ましいイメージがあるからかもしれません。

・貞懿皇后 独孤氏 の詳しい説明はこちら

睿真皇后 沈氏

読み方:えいしんこうごう ちんし

生年 不明
没年 不明
享年不明

広平王・李俶の側室。側室時代に李适(後の徳宗)を生みました。
安禄山の反乱がおきると洛陽が反乱軍に占領されて捕虜になります。
広平王・李俶が洛陽を脱会して救出されましたが、
史思明が反乱をおこして洛陽を占領すると行方不明になりました。

代宗・李豫が皇帝になった時期には行方がわからなくなり宮中にいませんでした。息子の李适が代宗のあとを継いで皇帝(徳宗)になりました。代宗や徳宗は沈氏を探しました。でも沈氏を見つけることはできませんでした。

生前の沈氏は側室でしたが徳宗によって皇后の称号が与えられました。

子供:
徳宗 李适

出典:amazon

ドラマ「麗王別姫」ヒロイン 沈珍珠 のモデル。

睿真皇后 沈氏の詳しい説明はこちら

 

側室

代宗の側室は記録が少ないのでよくわかっていません。
記録がある人だけを紹介します。その記録も◯◯の母というくらいしかわかりません。

生母不明の子供が多いので実際にはもっとたくさんの側室がいたはずです。

崔貴妃

子:昇平公主

広平郡王妃 崔氏と同一人物かは不明。

妃 宇文氏

宰相 独孤楨の夫人 宇文氏の妹。

恭王太妃

唐時代の漢詩を集めた詩集「全唐詩」に端王太妃が詠んだ漢詩が二首残っています。中国人でも漢詩を作るのは難しい(文法が現代の中国語よりもわかりづらい)ので、端王太妃は教養のある人だったようです。

子:恭王 李通

端王太妃

没年:貞元11年(795年)

子:端王 李遇

12代・徳宗時代の太妃。李遇の母ということしかわかっていません。

張昭儀

本名は張 紅紅

歴史の記録には存在しない妃嬪。「楽府雑録」に載っている人物。「楽府雑録」は唐の時代の後半に音楽についてまとめた書物。張 紅紅が架空の人物なのか実在したのかは不明。

街中で父とともに歌を歌って生活していた人物。将軍の青恩に気に入られ妾になりました。その後、代宗の宮殿に入り才人になりました。死後、彼女に「昭儀」の称号が与えられました。

王才人

生年:763年
没年:816年。

良家の娘たちからえらばれて入宮。当時13歳だったので14歳の李誦(順宗)の側室になったといいます。

ただし、この話は13代 順宗の側室で14代 憲宗の生母・荘憲皇后 王氏と同じ。荘憲皇后と間違われているかもしれません。

代宗の息子

20人の皇子がいます。多くの生母がわかっていません。
よほど地位の高い人でなければ記録には残っていないようです。

奉節郡王→魯王→雍王→唐德宗李适(母睿真皇后)
鄭王→昭靖太子 李邈(母崔妃)
均王 李遐
睦王 李述
丹王 李逾
恩王李連
韓王 李迥(母貞懿皇后)
鄜王→簡王 李遘
益王 李迺
隋王 李迅
荊王 李選
蜀王 李傀(改名)→李遂→李遡
忻王 李造
韶王 李暹
嘉王 李運
端王 李遇
循王 李遹
恭王 李通
原王 李逵
雅王 李逸

 

代宗の娘

歴史書の「新唐書」によれば唐代宗には18人の娘がいたと書かれています。

霊仙公主(夭折)
真定公主(夭折)
永清公主(裴仿 と結婚)
斉国昭懿公主(母:崔貴妃,別名:昇平公主,郭曖 と結婚)
華陽公主(母:貞懿皇后,大曆七年出家)
玉清公主(夭折)
嘉豊公主(高怡 と結婚,建中年間に死亡)
長林公主(沈明 と結婚,元和年間に死亡)
太和公主(夭折)
趙國荘懿公主(別名:武清公主,嘉誠公主,田緒 と結婚,元和年間に死亡)
玉虛公主(夭折)
普寧公主(呉士廣 と結婚)
普陽公主(裴液 と結婚,大和年間に死亡)
義清公主(柳杲 と結婚)
壽昌公主(下嫁竇克良,貞元年間に死亡)
新都公主(田華 と結婚)
西平公主(夭折)
章寧公主(夭折)
楽安公主(張怙 と結婚)
永楽公主(田華 と結婚)

 

唐の時代は時代が古いので意外と資料が少ないです。清の時代みたいに豊富な資料が残っているわけではないので、わからない人も多いですね。

 

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