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北周 孝閔帝・宇文覚(うぶん かく)は気の強さが災いして殺害された

周 6.1 北朝・魏・周・斉

孝閔帝・宇文覚は北周の初代・天王です。

北周は古代中国の南北朝時代。鮮卑系民族が建国した国です。

宇文覚は北魏・西魏の有力武将だった宇文泰の嫡子。宇文泰の後継者になりましたが。若かったので従兄弟の宇文護が実権を握っていました。

気の強い宇文覚は宇文護の独裁に我慢できず排除しようとしました。でも逆に廃位されてしまいます。

史実の宇文覚はどんな人物だったのか紹介します。

 

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孝閔帝・宇文覚の史実

いつの時代の人?

生年月日:542年
没年月日:557年
享年:16歳

姓 :宇文(うぶん)
名称:覚(かく)

国:西魏→北周
地位:北周天王
称号:孝閔帝

父:宇文泰
母:馮翊公主
正室:孝閔皇后・元胡摩
側室:夫人彭氏、夫人陸氏

子供:宇文康

彼は北周の初代天王(君主)です

日本で飛鳥時代になります。

おいたち

542年。西魏の安定公・宇文泰の三男として生まれました。母は馮翊公主。北魏・孝武帝の妹です。

父・宇文泰は西魏の武将たちをまとめる実力者。

548年には宇文泰は西魏の太師・大冢宰になって臣下で名実ともに最高の地位に付きました。皇帝以上の力を持っていました。宇文泰は様々な制度を作り西魏の国作りを行いました。

556年3月。安定公世子になりました。
宇文覚には兄がいましたが庶子でした。宇文覚は正室から生まれた最初の息子でした。覚は宇文泰の後継者と認められました。

556年4月。大将軍に任命されました。わずか15歳での任命です。

556年10月。父・宇文泰が死去。宇文泰は息子たちが若かったので、甥の宇文護にあとを任せました。

宇文覚は太師・大冢宰の位を継ぎました。

12月。西魏で宇文護がクーデーターを起こしました。西魏皇帝を禅譲(無理やり譲位させること、譲ってもらったことにします)させ宇文護に継がせました。つまり、下剋上がおきたのです。

北周の初代天王

557年1月。天王として即位しました。

天王は天子(中国では天から認められた君主)の別名で、皇帝とほぼ同じ意味です。

宇文泰は古代周王朝を理想の国と考えて国作りをしていました。周には「皇帝」の称号がなく、君主は「天王」と名乗ってました。宇文護は宇文泰の意志を引き継いで国名を「周」にして君主の称号を「天王」にしました。

歴史上は古代周王朝と区別するために「北周」といいます。

太師・大冢宰になった宇文護が北周の政治を行いました。独裁的な力を持つ宇文護に古くからの重臣だった趙貴や独孤信などが反発。趙貴や独孤信など政敵を粛清しました。

宇文覚は16歳でした。気性が強くすんなり言いなりになる性格ではありません。宇文護に仕切られているのが嫌になりなりました。

思い切りがいいのも宇文覚の性格でした。そこで宇文覚は宇文護を排除しようと考えました。側近たちと宇文護の暗殺を計画します。

ところが宇文護に計画がばれてしまいます。

若さと気の強さで仲間を集めて宇文護に対抗しようとしましたが、ツメが甘かったようです。

宇文覚は天王を廃位され、略陽公に降格になってしまいます。

庶子で兄の宇文毓が宇文護に担がれて2代目天王になりました。

宇文覚は幽閉されてののちに殺害されました。

享年16歳。

後に宇文護が弟の武帝・宇文邕に暗殺されると名誉回復。「孝閔皇帝」の称号が与えられました。

 

宇文覚の子孫

宇文覚は若くして死亡しましたが一人息子がいました。

宇文康

一人息子の宇文康は宇文覚の死後も生き延びました。武帝・宇文邕が即位すると紀王の地位を与えられました。宇文康は軍の指揮を任されていましたが、宇文康はわがままで家臣の言うことを聞きません。

576年。大臣の裴融は宇文康は注意しました。ところが宇文康は裴融を殺してしまいます。

武帝は宇文康を賜死させました。

宇文湜

宇文康には息子がいました。宇文湜は父・康の死亡で紀王の地位を引き継ぎました。

581年。楊堅が随を建国。楊堅は北周の皇帝一族を根絶やしにするため宇文一族を捉えて処刑していました。宇文湜も捕まって処刑されしまいます。

宇文覚の子孫は途絶えました。

ドラマ

独孤伽羅 2018年、中国 演:李瑞超

 

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