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李氏朝鮮王朝の歴代王一覧:27人をすべて紹介

1 李氏朝鮮の国王

李氏朝鮮王朝は約500年という長い年月にわたり続いた朝鮮半島の王朝です。

高麗の武将だった初代太祖・李成桂による建国から日韓併合による終焉まで27代の王たちがそれぞれの時代を生きました。

初期の王位争い、士林派の台頭と士禍、度重なる戦争。激しい党派争い。王朝後期には勢道政治による腐敗が深刻化し、末期には外国勢力の介入によって国家の危機を迎えます。

この記事では24代全ての朝鮮王の在位期間と主な出来事を一覧で紹介。国王一人ずつの特徴と功績を分かりやすく紹介します。

激動の朝鮮王朝の歴史をのぞいてみましょう。

 

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李氏朝鮮王朝の歴代王一覧

27代の朝鮮国王を紹介。大韓帝国時代も含めます。

廟号 在位期間 備考
1 太祖 李成桂 1392-1398年 李氏朝鮮建国
2 定宗 李芳果 1398-1400年
第一次・第二次王子の乱
3 太宗 李芳遠 1400-1418年
王権強化、六曹直啓制
4 世宗 李祹 1418-1450年
訓民正音、
5 文宗 李珦 1450-1452年  
6 端宗 李弘暐 1452-1455年 クーデターで退位
7 世祖 李瑈 1455-1468年
王権強化
8 睿宗 李晄 1468-1469年  
9 成宗 李娎 1469-1494年 経国大典完成
10 燕山君 李隆 1494-1506年 クーデターで廃位
11 中宗 李怿 1506-1544年  
12 仁宗 李峼 1544-1545年  
13 明宗 李峘 1545-1567年  
14 宣祖 李昖 1567-1608年
朝鮮出兵(文禄・慶長の役)
15 光海君 李琿 1608-1623年 大同法、 クーデターで廃位
16 仁祖 李倧 1623-1649年
丁卯戦争、丙子戦争
17 孝宗 李淏 1649-1659年  
18 顕宗 李棩 1659-1674年  
19 粛宗 李焞 1674-1720年
張禧嬪事件
20 景宗 李昀 1720-1724年  
21 英祖 李昑 1724-1776年
蕩平策推進、均役法実施
22 正祖 李祘 1776-1800年
奎章閣設置、荘勇営設置
23 純祖 李玜 1800-1834年 勢道政治開始
24 憲宗 李烉 1834-1849年 勢道政治
25 哲宗 李昪 1849-1863年 勢道政治
26 高宗 李㷩 1863-1897年
東学の乱、日清戦争、大韓帝国に改称
27 純宗 李坧 1897-1910年 日韓併合

補足

廟号は国王の死後に贈られる称号です。
諱は国王の生前の名前です。

燕山君と光海君は「君」という王族の称号で呼ばれ廟号がありません。これは廃位されたためです。
高宗は1897年に大韓帝国に改称、皇帝を名乗りました。

朝鮮王朝歴代王系図 詳細版

朝鮮王朝歴代王系図 詳細版

朝鮮王朝歴代王系図 詳細版

以下に歴代朝鮮王27人の系図を紹介します。

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朝鮮王朝の時代ごとの特徴

朝鮮王朝は27代 約500年続く息の長い王朝です。時代によって様々な特徴があります。ここでは以下のように分類。それぞれの時代の特徴を簡単にまとめました。

この記事の時代の分け方はソン・デフン氏1) の説をもとに手を加えています。

朝鮮王朝前期:建国と王位争い

(太祖~7代 世祖)

高麗滅亡後、太祖が李氏朝鮮を建国。漢陽遷都と政治制度の基礎を築きますが初期は王位争いが頻発。太宗が王権を強化し中央集権体制を確立。世宗の時代にハングル創製など文化が発展。文宗早世後、世祖が王位を簒奪し功臣政治を行うなど混乱も。

朝鮮王朝前期2:士林と士禍の時代

(8代 睿宗~13代 明宗)

士林(儒学者)の政治参加が進むと同時に士林への弾圧(士禍)が頻発した時代。成宗の治世に「経国大典」が完成し安定。燕山君の暴政と士林派の粛清で政治は混乱。中宗期に士林派が再登用されるも再び弾圧。仁宗、明宗期も外戚の勢力争いや士禍が続き政治的には不安定な時代でした。

朝鮮王朝中期1:戦乱の時代

(14代 宣祖~17代 孝宗)

宣祖期に豊臣秀吉の侵攻を受け明に助けを求めました。光海君は中立外交を行うも廃位。仁祖期には後金の侵攻を受け清に屈服。孝宗は北伐を目指すも実現しませんでした。国内外の戦乱で国家存亡の危機に瀕した時代です。

朝鮮王朝中期2:党派争いの時代

(18代 顕宗~22代 正祖)

顕宗期から党派争いが激化し政局が不安定に。英祖と正祖は蕩平策で党争抑制を図り一時安定。特に正祖は奎章閣設置などで文化発展に貢献。党派間の激しい対立とそれを克服しようとする王の努力が交錯した時代です。

朝鮮王朝後期:勢道政治の時代

(23代 純祖~25代 哲宗)

純祖即位後に外戚の安東金氏による勢道政治が始まり政治腐敗が深刻化。王権は弱体化し社会秩序も乱れ民の反乱が頻発。一部の氏族に権力が集まり政治が停滞。民への搾取も激しく社会全体が疲弊した時代です。

朝鮮王朝末期:王朝の終わり

(26代 高宗~27代 純宗)

高宗期に興宣大院君が改革を行うも失脚。外国勢力の介入で半植民地化。日清・日露戦争を経て日本の影響力が増大し。高宗は大韓帝国を建てるも日本の圧力に抗えず譲位。純宗期に韓国併合され李氏朝鮮滅亡。国内の混乱に外国勢力が介入して王朝が終焉を迎えた悲劇の時代です。

次に歴代国王を一人ずつ分かりやすく紹介します。

 

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朝鮮王前期:建国と王位争い

1. 太祖(テジョ)

李成桂

太祖 李成桂

名前:李成桂(イ・ソンゲ)
廟号:太祖
生没年:1335 – 1408年
在位:1392 – 1398年
父:李子春(イ・ジャチュン)
母: 崔氏

主な出来事・功績

高麗末期の武将。1392年に高麗を滅ぼし李氏朝鮮を建国。漢城(現在のソウル)に遷都、新たな国家の基盤を築きました。

儒教を国の統治理念として官僚制度や軍事制度を整備。民衆の生活安定のため田制改革や税制の整備にも着手。建国初期の混乱した時期において国家の骨格を確立した功績は大きいです。

・太祖 李成桂(イソンゲ) の生涯

 

2. 定宗(チョンジョン)

名前:李芳果(イ・バングァ)
廟号:定宗
生没年:1357 – 1419年
在位:1398 – 1400年
父:太祖 李成桂
母: 神懿王后韓氏

主な出来事・功績

太祖の次男。第一次王子の乱で擁立される形で即位。しかし実権は弟の芳遠(後の太宗)が握っていました。在位中は目立った功績はなく都を開京に戻すなどの動きが見られました。第二次王子の乱の結果、自ら王位を芳遠に譲り上王になりました。

・定宗 李芳果(イバングァ)の生涯

 

3. 太宗(テジョン)

 

名前:李芳遠(イ・バンウォン)
廟号:太宗
生没年:1367 – 1422年
在位:1400 – 1418年
父:太祖 李成桂
母: 神懿王后韓氏

主な出来事・功績

第二次王子の乱を経て即位。王権強化に尽力し私兵の廃止、六曹直啓制の導入など中央集権体制を確立。戸口調査の実施、刑法の整備などを行いました。強固な王権を確立し安定した統治の礎を築きました。

・太宗 李芳遠(イバンウォン)の生涯

 

4. 世宗(セジョン)

名前:李祹(イ・ド)
廟号:世宗
生没年:1397 – 1450年
在位:1418 – 1450年
父:太宗 李芳遠
母: 元敬王后閔氏

主な出来事・功績

朝鮮王朝の歴代国王の中でも最も偉大な王の一人とされています。朝鮮独自の文字である「訓民正音(現在のハングル)」を作成。様々な技術の発展にも力を入れ日時計や水時計などの開発を支援、農業技術の改良や医学書の編纂など民衆の生活向上にも尽力しました。

・朝鮮 世宗(セジョン)の生涯

 

5. 文宗(ムンジョン)

名前:李珦(イ・ヒャン)
廟号:文宗
生没年:1414 – 1452年
在位:1450 – 1452年
父:世宗 李祹
母: 昭憲王后沈氏

主な出来事・功績

世宗の長男である文宗は父の死後に王位を継ぎましたが、残念ながら体が弱く在位期間はわずか2年ほどでした。短い期間でしたが世宗が進めていた様々な事業を引き継ぎ文化の発展に貢献しました。また、天文学や暦学にも深い関心を持ち、研究を奨励しました。

 

6. 端宗(タンジョン)

名前:李弘暐(イ・ホンウィ)
廟号:端宗
生没年:1441 – 1457年
在位:1452 – 1455年
父:文宗 李珦
母: 顕徳王后権氏

主な出来事・功績

わずか12歳で王位についたのが端宗です。しかし政治の実権を握ることができず、叔父である首陽大君(後の世祖)が勢力を拡大しました。1455年に首陽大君によって王位を奪われ(癸酉靖難)、さらに命まで奪われてしまうという悲劇的な運命をたどりました。 

・端宗(タンジョン)の生涯

 

7. 世祖(セジョ)

名前:李瑈(イ・ユ)
廟号:世祖
生没年:1417 – 1468年
在位:1455 – 1468年
父:世宗 李祹
母: 昭憲王后沈氏

主な出来事・功績

端宗から王位を奪った世祖は王権を強化するために強硬な政策を推し進めました。王位簒奪に協力した功臣たちを重用する一方で反対勢力を徹底的に弾圧。軍制を改革し国の防衛力を高めるとともに、法律の整備や貨幣の流通促進など国の制度を整えることにも力を入れました。

その強引な手法は批判も多いですが、王権強化に大きく貢献した王様と言えます。

・世祖/首陽大君(スヤンテグン) の生涯

 

朝鮮王前期2:士林と士禍の時代

8. 睿宗(イェジョン)

名前:李晄(イ・グァン)
廟号:睿宗
生没年:1450 – 1469年
在位:1468 – 1469年
父:世祖 李瑈
母: 貞熹王后尹氏

主な出来事・功績

世祖の次男である睿宗は父の死後、王位を継ぎました。在位期間はわずか1年と短く在位中に目立った政治的な業績を残すことはありませんでした。しかし父 世祖の政策を引き継ぎ安定した国運営を目指しました。

・朝鮮 睿宗(イェジョン)の生涯

 

9. 成宗(ソンジョン)

名前:李娎(イ・ヒョル)
廟号:成宗
生没年:1457 – 1494年
在位:1469 – 1494年
父:懿敬世子李暲
母: 昭恵王后韓氏

主な出来事・功績

睿宗の急死後、王位についた成宗は安定した政治を行い文化を大きく発展させました。彼の最大の功績は国の基本的な法律や制度を体系的にまとめた「経国大典」を完成させたことです。これにより国の統治機構が明確になり法に基づいた安定した国運営が可能になりました。

また、儒教を奨励し教育機関を整備するなど文化や学問の発展にも大きく貢献しました。

 

10. 燕山君(ヨンサングン)

名前:李隆(イ・ユン)
廟号:なし
生没年:1476 – 1506年
在位:1494 – 1506年
父:成宗 李娎
母: 廃妃尹氏

主な出来事・功績

成宗の息子である燕山君は当初は学問を好み政治にも熱心でした。しかし次第に暴君へと変貌していきました。反対する臣下を次々と粛清(戊午士禍、甲子士禍)、贅沢な生活を送るなど民衆を苦しめました。

彼の度重なる暴政に耐えかねた臣下たちは1506年にクーデターを起こし燕山君は王位を追放されました。

・燕山君の生涯

 

11. 中宗(チュンジョン)

名前:李怿(イ・ヨク)
廟号:中宗
生没年:1488 – 1544年
在位:1506 – 1544年
父:成宗 李娎
母: 貞顕王后尹氏

主な出来事・功績

燕山君の異母弟。クーデターによって王位につきました。即位当初は正しい政治を行おうとする士林派の学者たち(趙光祖など)を登用し様々な改革を試みました。しかし急激な改革は保守的な勢力の強い抵抗にあい多くの改革は失敗に終わりました。

その後も朝廷内の権力争いに翻弄され政治は安定しませんでした。また士林派への弾圧事件(己卯士禍)が起こるなど多難な時代でした。

・中宗(チュンジョン) の生涯

 

12. 仁宗(インジョン)

名前:李峼(イ・ホ)
廟号:仁宗
生没年:1515 – 1545年
在位:1544 – 1545年
父:中宗 李怿
母: 章敬王后尹氏

主な出来事・功績

中宗の長男。父の死後、王位を継ぎましたが在位期間はわずか8ヶ月と非常に短いものでした。温厚で優しい性格の持ち主だったと言われています。短い在位期間のため、目立った功績を残すことはできませんでした。

 

13. 明宗(ミョンジョン)

名前:李峘(イ・ファン)
廟号:明宗
生没年:1534 – 1567年
在位:1545 – 1567年
父:中宗 李怿
母: 文定王后尹氏

主な出来事・功績

中宗の息子、仁宗の異母弟。わずか12歳で王位につきました。そのため母の文定王后が摂政として政治を行いました。この時期には母の親族である尹元衡(ユン・ウォニョン)らが権力を握り政治は腐敗しました。また倭寇の侵入や国内の反乱なども起こり、社会は不安定な状況が続きました。

・明宗(ミョンジョン)の生涯

 

朝鮮王一覧中期1:戦乱の時代

14. 宣祖(ソンジョ)

名前:李昖(イ・ヨン)
廟号:宣祖
生没年:1552 – 1608年
在位:1567 – 1608年
父:徳興大院君李岹
母: 河東府大夫人鄭氏

主な出来事・功績

明宗の甥。明宗の後を継いだ宣祖の治世は党派間の対立が激化した時代でした。東人派と西人派の対立は深刻で政治は混乱しました。

また1592年には豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が起こり多くの人命が失われました。宣祖自身は戦時中に民衆を見捨てて逃亡するなど利己的で指導力に欠ける面もありましたが、明に救援を求めなんとか国は守られました。

・宣祖(ソンジョ)の生涯

 

15. 光海君(クァンヘグン)

名前:李琿(イ・ホン)
廟号:なし
生没年:1575 – 1641年
在位:1608 – 1623年
父:宣祖 李昖
母: 恭嬪金氏

主な出来事・功績

宣祖の次男。日本との戦(文禄・慶長の役)では世子として戦陣を指揮、民衆の支持を集めました。

父の死後、王位につくと明と後金(後の清)の二つの強国の間で現実的な中立外交を行い国を守ろうとしました。大同法という新しい税制を導入し民衆の負担を軽減するなどの功績もありました。

大妃を幽閉し、永昌大君を殺害した疑いや親明政策を主張する臣下たちの反発によりクーデターによって王位を追放されました。

・光海君の生涯

 

16. 仁祖(インジョ)

名前:李倧(イ・ジョン)
廟号:仁祖
生没年:1595 – 1649年
在位:1623 – 1649年
父:元宗 李琈
母:仁献王后具氏

主な出来事・功績

光海君を追放して即位。親明排清政策を強く推し進めた結果、後金(後の清)との関係が悪化。

1627年の丁卯戦争、1636年の丙子戦争という二度の大きな侵攻を招きました。丙子戦争では仁祖が清の皇帝に土下座するという屈辱を味わい、多くの人々が捕虜となるなど国家的な危機を招きました。その後は清の要求に応じながら疲弊した国の立て直しを図りました。

 

17. 孝宗(ヒョジョン)

名前:李淏(イ・ホ)
廟号:孝宗
生没年:1619 – 1659年
在位:1649 – 1659年
父:仁祖 李倧
母:仁烈王后韓氏

主な出来事・功績

仁祖の次男。清に人質として捕らえられていた経験から清への強い復讐心を抱き、即位後は密かに軍備の強化を進めました。しかし財政的な問題や国内の反対論も根強く実際に大規模な北伐を実行することはできませんでした。十分とはいえませんが国防力の強化に尽力しました。

 

朝鮮王一覧中期2:党派争いの時代

18. 顕宗(ヒョンジョン)

名前:李棩(イ・ヨン)
廟号:顕宗
生没年:1641 – 1674年
在位:1659 – 1674年
父:孝宗 李淏
母:仁宣王后張氏

主な出来事・功績

孝宗の息子。顕宗の治世は社会そのものは安定していました。

しかし朝廷では「礼訟(イェソン)」と呼ばれる王族の服喪期間をめぐる激しい党派間の争い繰り広げられました。これは単なるしきたりの問題ではありません。それぞれの党派の政治的な立場や正当性を主張するもので朝廷内を二分する大きな問題となりました。

・顕宗(ヒョンジョン) の史実

 

19. 粛宗(スクチョン)

名前:李焞(イ・スン)
廟号:粛宗
生没年:1661 – 1720年
在位:1674 – 1720年
父:顕宗 李棩
母:明聖王后金氏

主な出来事・功績

顕宗の息子。粛宗の治世は党争が最も激化した時代と言えます。西人派と南人派が激しく対立、その時々の政局によって一方の派閥が勢力を増し、他方の派閥が没落するという状況が繰り返されました(換局)。

また張禧嬪(チャン・ヒビン)をめぐる宮廷内の権力争いも起こり、朝廷の派閥争いにも大きな影響を与えました。粛宗自身も党派間のバランスを取りながら王権の維持に努めましたが、その政治は波乱に満ちたものでした。

・ 粛宗(スクチョン)の史実

 

20. 景宗(キョンジョン)

名前:李昀(イ・ユン)
廟号:景宗
生没年:1688 – 1724年
在位:1720 – 1724年
父:粛宗 李焞
母:禧嬪張氏

主な出来事・功績

粛宗の長男。景宗は体が弱く在位期間もわずか4年と短いものでした。そのため在位中に目立った政治的な業績を残すことはできませんでした。

この時代も党派間の対立は続いており、景宗自身もその影響を受けました。特に次の王位をめぐって党派間の争いが続きました。

 

21. 英祖(ヨンジョ)

朝鮮 英祖 肖像画

朝鮮 英祖 肖像画

名前:李昑(イ・グム)
廟号:英祖
生没年:1694 – 1776年
在位:1724 – 1776年
父:粛宗 李焞
母:淑嬪崔氏

主な出来事・功績

粛宗の息子。景宗の異母弟。52年間という長きにわたる在位期間を通じて党争の解消に力を注ぎました。「蕩平策(タンピョンチェク)」を推進、各党派から能力のある人材を公平に登用しようとしましたが、完全な党争の根絶には至りませんでした。また税制を改革し民衆の負担を軽減する「均役法(キュンヨクポプ)」を実施するなど民生の安定にも努めました。

しかし息子の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやったという悲劇的な出来事も起こりました。

・英祖(ヨンジョ)の史実

 

22. 正祖(チョンジョ)

名前:李祘(イ・サン)
廟号:正祖
生没年:1752 – 1800年
在位:1776 – 1800年
父:思悼世子 李愃
母:献敬王后洪氏

主な出来事・功績

英祖の孫。祖父の遺志を継ぎ党争の根絶と王権の強化に尽力しました。学問研究機関である奎章閣(キュジャンガク)を設置、優秀な人材を育成したり新たな文化を創出したりしました。また親衛部隊である壮勇営(チャンヨンヨン)を強化し王権を支える力を高めました。

民衆の苦しみに目を向け様々な改革を試みた英明な王様として知られています。しかし彼の急死後、再び勢道政治が始まることになります。

・正祖(チョンジョ) イサンの史実

 

朝鮮王一覧後期:勢道政治の時代

23. 純祖(スンジョ)

名前:李玜(イ・ゴン)
廟号:純祖
生没年:1790 – 1834年
在位:1800 – 1834年
父:正祖 李祘
母:綏嬪朴氏

主な出来事・功績

正祖の息子。わずか11歳で王位についたため、しばらくの間は祖母の貞純王后(チョンスンワンフ)が摂政を務めました。

その後も妃の実家(安東金氏など)が権力を握る「勢道政治」が始まり政治は腐敗。社会は不安定になりました。純祖自身は勢道政治の中で思うように政治を行うことができず苦悩の多い時代を過ごしました。

・純祖(スンジョ)の生涯

 

24. 憲宗(ホンジョン)

名前:李烉(イ・ファン)
廟号:憲宗
生没年:1827 – 1849年
在位:1834 – 1849年
父:孝明世子 李旲
母:神貞王后趙氏

主な出来事・功績

純祖の孫。幼くして王位についたため祖母の純元王后が摂政を行いました。この時代も安東金氏による勢道政治が続いており王の権力は非常に弱いものでした。政治の腐敗が進み各地で反乱が頻発するなど社会不安が増しました。

・ 憲宗(ホンジョン)の生涯

 

25. 哲宗(チョルジョン)

朝鮮哲宗

朝鮮哲宗(復元)

名前:李昪(イ・ビョン)
廟号:哲宗
生没年:1831 – 1863年
在位:1849 – 1863年
父:全渓大院君李㼅
母:龍城府大夫人廉氏

主な出来事・功績

思悼世子の子孫。王族の血筋ですが江華島で庶人として育ったため政治の経験が全くありませんでした。そのため安東金氏をはじめとする有力な家柄による勢道政治がますます強まり、国王は名目的な存在に過ぎませんでした。政治の腐敗は深刻化し社会の混乱も収まらない困難な時代でした。

・哲宗(チョルジョン)の生涯

 

朝鮮王一覧末期:王朝の終わり

26. 高宗(コジョン)

名前:李㷩(イ・ヒョン)
廟号:高宗
生没年:1852 – 1919年
在位:1863 – 1897年
父:興宣大院君李昰応
母:驪興府大夫人閔氏

主な出来事・功績

哲宗の死後、興宣大院君の息子 高宗が即位。当初は興宣大院君が政治を行い様々な改革を試みましたが王妃閔氏(明成皇后)派との対立が激化。

閔氏派の要請を受けた清が政治介入。清の属国化が進むと、それに対抗する日本の圧力も強まります。高宗自身はその場しのぎの対応で立場が一貫せず。興宣大院君と手を組んだ東学党が反乱を起こし国内はさらに混乱。日本の援助を受けた開化派・興宣大院君と閔氏派が対立して王妃閔氏が殺害されました。

日清戦争に負けた清が宗主権を放棄すると高宗はロシアの支援のもと国号を「大韓帝国」にして初代皇帝を名乗りました。しかし高宗に力はなく日本の圧力に抗しきれず外交権を失い譲位しました。

・高宗 (コジョン) 李氏朝鮮王朝 最後の国王

 

27. 純宗(スンジョン)

名前:李坧(イ・チョク)
廟号:純宗
生没年:1874 – 1926年
在位:1897 – 1910年
父:高宗 李㷩
母:明成皇后閔氏

主な出来事・功績

高宗の譲位により大韓帝国第2代皇帝となった純宗でしたが、日本の傀儡であり国の実権を握ることはできませんでした。1910年には日韓併合。李氏朝鮮の500年以上にわたる歴史も幕を閉じました。日本統治下では準皇族扱いの李王家となり昌徳宮で暮らしました。

 

まとめ

李氏朝鮮王朝は500年以上にわたって朝鮮半島を統治した長い歴史を持つ王朝です。

建国から滅亡まで王位争いや外戚の専横、そして外国との戦争など様々な困難に見舞われながらも27代の王たちが繋いできました。

その間には国の発展に貢献した王もいれば、ダメな王もいます。

朝鮮王朝の歴史とそれぞれの時代を生きた王たちの功績や苦悩に触れてみてください。ドラマを見るときの助けになると思いますし感じ方も変わるかもしれませんよ。

 

参考文献:
1) ソン・デフン,”韓国人も知らない朝鮮王朝史”,2014年,新名星出版社。

 

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