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李芳碩(イバンソク) の生涯・朝鮮初の世子はなぜ殺害された?

朝鮮太祖の王子 3 李氏朝鮮の王子

李芳碩(イ・バンソク)は李氏朝鮮の建国者・太祖 李成桂(イ・ソンゲ)の八男。

母は李成桂の二人目の妻 康氏

李芳碩は朝鮮の建国後、世子(王位後継者)になりました。

朝鮮で最初の世子です。

ところが異母兄・芳遠(バンウォン)たち韓氏の息子たちが怒って反乱を起こし、世子を廃されました。そればかりか弟の李芳蕃とともに殺害されてしまいます。

李芳碩の生涯を紹介します。

 

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李芳碩(イ・バンソク)の史実

プロフィール

生没年

生年月日:1382年
没年月日:1398年

名前

名前:李芳碩(イ・バンソク)
称号:宜安大君(ぎあんたいくん、ウィアンテグン)

家族

父:太祖 李成桂(イ・ソンゲ)
母:神徳王后 康氏

同母兄:撫安大君・李芳蕃
同母姉:慶順公主

妻:柳氏(廃嬪)、沈氏

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に初代国王太祖の八男です。

日本では江戸時代の人になります。

 

李芳碩(イ・バンソク)の生涯

朝鮮一の将軍と名家の母のもとに生まれる

高麗の禑王8年(1382年、洪武15年)に誕生。

父は高麗一の名将

父は高麗の将軍・李成桂(イ・ソンゲ)
 後の朝鮮初代国王 太祖

 

李成桂

太祖 李成桂

出典:wikipedia 李成桂

李成桂は朝鮮半島北部の出身。康氏と結婚する前に地元の有力豪族の娘・韓氏と結婚していました。

都で出世した李成桂は開京(現在の開城:ケソン)の貴族の娘・康氏も妻にしました。高麗は一夫多妻制。韓氏は郷妻、康氏は京妻と呼ばれました。

 

母は都会の名門の娘

母は高麗の名家出身の康(カン)氏。
 後の初代王妃 神徳王后

康氏の家は都の有力貴族なので韓氏よりも格上です。李成桂が出世するためには康氏の協力が必要だったのです。成桂は康氏を寵愛しました。

李芳碩は八男

李芳碩(イ・バンソク)は李成桂と康氏の次男として生まれました。李成桂にとっては8番目の男子です。

 

可愛がられていた子供時代

芳碩(バンソク)は成桂にとって末っ子。そのため成桂は芳碩を溺愛していました。

芳碩は幼いながらに温和で聡明だったといいます。

 

朝鮮建国で運命が変わる

父が国王になる

1392年。李成桂が高麗に反乱を起こして朝鮮が建国しました。

芳碩(バンソク)には宜安君(ウィアンクン)の称号が与えられました。

このとき太祖・李成桂は58歳。当時としては高齢です。

建国していきなり後継者を誰にするかが問題になりました。

李成桂は寵愛していた康氏の息子を後継者にしました。康氏も自分の息子を後継者にしようとします。

最初は同母兄の李芳蕃(イ・ボンバン)が候補にあがりましたが。鄭道伝たち重臣が反対したので芳碩になりました。

 

世子になるものの異母兄たちが激怒

1392年9月7日(旧暦8月20日)。芳碩(バンソク)世子になりました。当時11歳(数え歳)。

朝鮮で最初の世子です。

その決定に不満だったのが郷妻・韓氏の息子たちです。

特に怒ったのが五男の靖安大君・芳遠(バンウォン)でした。芳遠は鄭道傳(チョン・ドジョン)や南誾(ナム・ウン)のせいだと批判しました。

もともと靖安大君・芳遠は自分が開国功臣に選ばれなかったのが不満でした。さらに鄭道傳の方針にも不満でした。

鄭道傳たち重臣と、芳遠たち王子は険悪な仲になりました。

世子嬪が廃される

1393年。芳碩の正室の柳氏が内侍の李萬と密通した。という事件がおこります。

柳氏の年齢はわかりませんが、芳碩が当時12歳(数え歳)だったので、少し年上だったとしても10代前半だったでしょう。

本当に密通したかどうかはわかりません。

李萬は処刑。柳氏は世子嬪を廃されて宮中を追い出されました。

1394年。新しい世子嬪として沈氏を迎えました。

母の死で後ろ盾を失う

1396年10月6日(陰暦8月26日)。母の神徳王后が死去。息子たちを心配しながらの最期だったといいます。

神徳王后を失った太祖・李成桂も非常に悲しみました。

1398年(太祖7年)10月6日(旧暦8月26日)。

芳碩の最期

やがて太祖・李成桂が病気で寝込むようになります。

すると靖安大君・芳遠が挙兵。鄭道傳や南誾を殺害しました。

世子・芳碩と同母兄・撫安君は芳遠たちに捕まります。

芳碩は世子を廃され流罪が決まりました。

しかし流刑地に送られる途中、同母兄弟とともに処刑されました。享年16歳。同母姉・慶順公主の夫・李済も処刑されました。

この事件を歴史上「第一次王子の乱」といいます。

死後の処遇

芳遠は芳碩たちを殺した理由を「神徳王后の子・撫安君・宜安君をかついで鄭道傳が我ら 神懿王后(韓氏)の子を殺そうとした。だから仕方なく先に殺害した」というものでした。

最愛の息子たちを殺した芳遠に太祖は非常に怒りました。でも権力はすでに芳遠たちが握っているのでどうすることもできません。太祖は引退しましたが、芳遠とは不仲が関係がつづきました。

1406年。王になった太宗・李芳遠によって昭悼君の称号が与えられました。

太宗の時代に嫡子は大君、庶子は君の称号をつけることに正式に決まりました。でもあくまでも正妻の子とは認めない(大君ではない)という李芳遠の頑な態度が恨みの深さを物語ってます。

 

テレビドラマの李芳碩

鄭道伝  2014年、KBS 演: パク・ジュンモク
六龍が飛ぶ 2015年、SBS 演: チョン・ユンソク
私の国 2019年、JTBC 演: イ・ヒョジェ
太宗イ・バンウォン 2021年、KBS1 演:チャン・ジェハ、キム・ジンソン

 

 

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