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アブナイ(阿布柰)清に抵抗したモンゴルの親王

大清 1.5 清の重臣・役人・男達

阿布柰(アブナイ)はモンゴル・チャハル部の王族。

阿布鼐(アブダイ、アブナイ)といったりもします。

チンギス・ハーンから続くモンゴル帝国の王家の血筋です。

チャハル部は清に服従しましたが、アブナイは清の支配を受けるのが不満でした。

史実の阿布鼐(アブナイ、アブダイ)はどんな人物だったのか紹介します。

 

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阿布柰(アブナイ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1635年
没年月日:1675年
享年:41

姓 :博爾濟吉特(ボルシギト)氏
名称:阿布柰、阿布鼐(アブナイ、アブダイ)

国:モンゴル帝国(元)→ 清
地位:チャハル親王→剥奪

父:リンダン・ハーン
母:ナムジョン(皇考懿靖大貴妃)
兄:エジェイ・ハーン(額哲)
妻:マカタ・ゲゲ(固倫温荘長公主)

子供:ブルニ(布爾尼)、ルブズン(羅布藏)

彼は順治帝~康煕帝の時代に生きたモンゴルの親王です

日本では戦国時代になります。

アブナイが誕生するまでのモンゴル

父はモンゴル・チャハル部のリンダン・ハーン。

モンゴル高原東部から満洲西部を支配する当時最大のモンゴル部族長でした。

チンギス・ハーンから続くモンゴル帝国も17世紀になると衰退していました。明との戦いに敗れて万里の長城から南を放棄、残ったモンゴル平原でも他の部族との戦いに破れたり、モンゴル内部でもいくつもの部族に分かれて争いが続いてました。モンゴルにかつての力はなくなっていました。

リンダン・ハーンはバラバラになったモンゴルを再統一しようとしました。

ところが彼の支配を嫌うモンゴル・ホルチン部は後金のヌルハチに助けを求めました。

後金(清)とモンゴルチャハル部の対立が始まります。

1634年。チベット遠征中に父・リンダン・ハーンが死去。

兄エジェイがハーンを継ぎました。

後金のホンタイジはモンゴルの拠点・フフホトを占領。

追い詰められたエジェイ・ハーンは清に投降しました。

大元の玉璽を本体時に差し出しました。大元の玉璽を持つものは遊牧民のハーン(皇帝)です。

アブナイのおいたち

父リンダン・ハーンが死去した時、母ナムジョンは妊娠中。

翌春ナムジョンは男子を出産しました。その男子がアブナイです。

3月。母ナムジョンと生まれたばかりのアブナイは清に投降しました。

ナムジョンはホンタイジと政略結婚。ホンタイジの側室になりました。

1536年。ホンタイジはハーン(皇帝)を名乗り、国名を「大清」に変えました。

エジェイは清の外藩親王の地位を与えられ。一族が支配していた土地をチャハル・ウルス(現在の内モンゴルの中部)として治めることになりました。

モンゴルのチャハル親王になる

1641年(崇徳6年)。エジェイが死去。

エジェイには息子がいません。

エジェイの弟のアブナイがチャハル・ウルスの管理を任されました。

ところがモンゴル皇帝の血を受け継ぐアブナイは大人しく清の支配を受けるつもりはありません。清の支配に不満を隠すことはありませんでした。

1645年(順治2年)。兄の妻だったマカタ・ゲゲ(固倫温荘長公主)を妻にしました。

固倫温荘長公主はホンタイジの次女。兄エジェイが清に降伏したあと、エジェイと結婚しました。遊牧民の間では男兄弟が死ぬとその妻が別の兄弟の妻になるという習慣がありました。

これはレビラト婚といって古代には世界各地にあった習慣です。

過酷な環境で生きている遊牧民は「結婚は一族と一族の結びつき」という考えが強いです。固定した土地をもたず、人の集まり=社会・国と考える遊牧民は人と人の結びつきは非常に大切でした。

なので一度繋がりのできた一族集団の関係をなくさないために、このような結婚が行われました。

1648年(順治5年)。加授騎都尉になりました。

1651年(順治8年)。チャハル親王になりました。

1654年(順治11年)。長男・ブルニ(布爾尼)が生まれした。

その後、次男のルブズン(羅布藏)も生まれました。

1661年(順治18年)。康熙帝が即位。

1669年(康煕8年)。康煕帝は仲間たちと協力して独裁的な力を持っていたオボイを捕らえました。

同じ年。 康熙帝は長い間、宮廷に来ず反抗的だったアブナイからチャハル親王の称号を剥奪。盛京に幽閉しました。

康煕帝はチャハル部をなだめるため、息子のブルニにチャハル親王を継がせ。安悦楽王子の娘を妻としてブルニに嫁がせました。 

ブルニは最初は清への不満を隠していました。でもブルニもこのままでいいとは思っていません。

ブルニ親王の乱

1673年(康熙帝12年)。清で三藩の乱が起きました。反乱は明の残党も加わり、チベットも介入。戦果は各地に広がりました。康煕帝人生最大のピンチでした。

1675年(康熙帝14年)。ブルニは今が父アブナイを救出する絶好のチャンスと考え、弟のルブズン(羅布藏)と一緒に反乱を起こしました。

ところがブルニと一緒に戦ったのはチャハル部の3000人。他のモンゴル諸部は反乱に参加しませんでした。

康煕帝は信郡王エザ(鄂扎)を討伐軍大将軍に任命。ブルニの反乱を鎮圧させました。

1675年4月20日。ブルニが率いるモンゴル・チャハル部は清の討伐軍と戦い敗北。撤退途中にモンゴル・ホルチン部のシャジン(沙津)が率いる軍と出会いました。ブルニとシャジンは親戚でしたが、シャジンは容赦せずブルニ達を討ちました。

まもなく アブナイは絞首刑になりました。

生き残ったチャハル王家の男子は処刑され、女性は清から嫁いだ公主を除き、奴隷になりました。

チャハル王家は滅亡。

チャハル部の人々はチャハル八旗に編成され清の直接支配を受ける事になります。

 

TVドラマのアブナイ(アブダイ)

皇帝の恋 2016年、中国 演:蘇茂 役名:アブダイ(博爾濟吉特·阿布鼐)

ドラマの中ではオーバイの仲間にされ、一族とともに処刑されます。
ヒロイン・衛琳琅(博爾濟吉特·良兒)とその兄・長慶(博爾濟吉特·阿思海)の父親という設定。

歴史上のアブナイに娘がいた記録はありません。ドラマでは記録から消されて衛氏として生きた。という事になってます。

歴史上のアブナイの息子だったブルニたちはアブナイとともに死亡。

かわりに復讐のため行動を起こすのが長慶(阿思海)。

時期的には呉三桂の反乱と同じころ。

歴史上のアブダイの息子たちも呉三桂を含む三藩の乱のときに反乱を起こしました。ドラマでは長慶がブルニたちの代わりのようなものですね。

劇中ではオーバイとともに謀反人にされたアブダイですがドラマの最後に謀反人ではなくなり名誉回復します。

 

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