李氏朝鮮

国王

李芳遠の野望:歴史の授業で習わない 朝鮮の対馬侵攻(応永の外寇)

日本では知る人は殆どいませんがかつて対馬と朝鮮は戦争を行いました。蒙古襲来(元寇、文永・弘安の役)のことではありません。元寇のあとの時代。室町時代に李氏朝鮮が対馬に攻めてきたことがありました。元寇のように日本が国をあげて戦ったのではないので...
王妃・側室

元敬王后 (ウォンギョンワンフ)閔氏とは?太宗の正妃・世宗の母の生涯

元敬王后(ウォンギョン王后)閔氏は太宗の正妃で世宗の母。王子の乱での役割、外戚排除による閔氏兄弟粛清、側室問題まで年表で紹介します。
重臣

孟思誠(メンサソン)黄喜とともに世宗を支えた重臣

孟思誠(メン・サソン)は李氏朝鮮の重臣です。太宗や世宗の時代に活躍しました。特に世宗時代には要職につき黄喜(ファン・ヒ)とともに世宗を支えました。世宗と重臣たちが対立した時、孟思誠と黄喜はそれぞれ違った立場から王を支えました。黄喜が正論を主...
王子

孝寧大君(ヒョリョンテグン)世宗の兄は仏教マニア

孝寧大君(ヒョリョンテグン)は太宗の次男。世宗の兄です。王位争いには加わらず、政治的活動もしていないので歴史上はほ無名です。しかし仏教に関心を持ち、生涯を通じて仏教の保護活動を行いました。朝鮮の仏教界では重要な人物でした。自ら経典を翻訳した...
重臣

黄喜(ファンヒ)太宗と世宗の信頼の厚かった重臣

黄喜(ファン・ヒ)は李氏朝鮮の重臣。特に太宗、世宗に仕えた重臣です。高麗時代に役人になった黄喜は、李氏朝鮮になってもなかなか従おうとしませんでした。有能さを認められ太宗に信頼されますが、後継者問題で太宗と意見があわず左遷されます。世宗の即位...
王女

和緩翁主(ファワンオンジュ)は思悼世子の迷惑行為に悩まされイサンと対立した?

和緩(ファワン)翁主は李氏朝鮮国王・英祖の娘です。英祖がとくに可愛がっていた娘だといわれます。ドラマでは思悼世子を陥れたり、世孫(正祖:イ・サン)と対立する悪女として描かれていますね。でも当時の記録を見るとむしろ思悼世子の行いに迷惑している...
重臣

趙泰耉(チョ・テグ) 代理政聴を命がけで防いだ少論のリーダー

趙泰耉(チョ・テグ)は李氏朝鮮の重臣です。19代粛宗~20代景宗の時代に活躍し臣下としては最高位の領議政になりました。少論派に所属して景宗を支持して老論と対立しました。しかし極端な処分をもとめる少論の強硬派とは違う意見の持ち主でした。史実の...
重臣

李頤命(イ・イギョム) 延礽君を支持した老論4大臣の一人

李頤命(イ・イギョム)は金昌集(キム・ジャンチプ)、趙泰采(チョ・テチュ)、李健命(イ・ゴンミョン)らと並ぶ老論4大臣の一人。王の後継者に延礽君を支持して少論派と対立しました。史実の李頤命はどんな人物だったのか紹介します。李頤命(イ・イギョ...
王妃・側室

宣懿王后魚氏:20歳で大妃、薄命だった景宗の妃

宣懿王后魚氏(ソニ王妃オ氏)は李氏朝鮮王朝20代景宗の妃です。14歳のとき当時世子だった景宗の2人目の妃になりました。景宗が短命だったため20歳で大妃になってしまい若くしてこの世を去りました。史実の宣懿王后はどんな人物だったのか紹介します。...
重臣

李光左(イ・グァンジャ)英祖を支えた少論の穏健派

李光左(イ・グァンジャ)は李氏朝鮮の重臣。少論とよばれる派閥の実力者でした。当時の少論にも様々な考えの人がいておもに穏健派と強硬派に分かれていました。李光左は穏健派になります。英祖時代には少論穏健派のリーダーでした。史実のどんな人物だったの...
重臣

閔鎮遠(ミンジノン)は実在する?老論重臣の史実と家系図を紹介

韓国ドラマ『ヘチ 王座への道』に登場するミン・ジノンは実在の人物、老論の重臣・閔鎭遠がモデルです。家族関係や党争の中での役割、辛壬士禍や李麟佐の乱への関与をたどり、ドラマのミン・ジノン像との違いと共通点をコンパクトに整理します。
王子

密豊君(ミルプングン)イタンは実在する? 反乱で散った王族の最後とは

密豊君(ミルプングン)イタンの生涯を紹介。昭顕世子の血を引く密豊君がなぜ反乱に巻き込まれたのか?悲劇の王子 密豊君(ミルプングン)の史実とドラマの違いも解説します。
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