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清朝ドラマの基礎知識

大清 1 清・金

清朝を舞台にしたドラマが日本でも見られるようになりました。ところが私達日本人に馴染みのない世界なので、言葉の意味や社会の様子がよくわかりません。

そこでドラマの理解に役立つ清朝の基礎知識について紹介します。

まずは、清朝の国と組織について簡単に説明します。

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清朝とは

国の名前

清朝、清国とよく呼ばれます。

正式な国号は 大清(だいしん) 。満洲語の発音は「ダイチン」

大清国、大清帝国と言ったりします。

歴史

建国から滅亡までのおおまかな歴史を年表にするとこうなります。

1616年。満洲人のヌルハチがアイシン国(後金)を建国。
このときの国名は「アイシン・グルン」。外国との交渉では「金(後金)」を名乗っていました。
1636年。ホンタイジが国名を ダイチン・グルン(大清国)に変更。
1644年。首都を北京に遷都。
1662~1722年。康煕帝の時代。
1735~1796年。乾隆帝の時代。
1909~1912年。宣統帝(溥儀)の時代。
1912年。清朝滅亡。

ヌルハチのアイシン国建国から清朝滅亡まで、296年の歴史があります。「大清国」と名前がかわってからでも276年の歴史があります。

交代の激しい中国王朝の中では長い方です。

中国史上最も長く続いた王朝は289年の唐(618~907年、武周含む)。その次が276年の明(1368~1644年)。

大清は唐に継ぐ2番めに長く続いた国。前身のアイシン国(後金)を含めれば296年。中国史上最長の王朝です。(紀元前に存在した伝説的な国は除く)

大清国を作った民族は満洲人

アイシン国(後金)を建国したヌルハチは満洲人。
かつてはジュシェン(女直、女真)と名乗っていました。

「女真族」と呼ばれる人たちです。

彼らは漢字は使っていなかったので「女真・女直」などの漢字は中国・朝鮮王朝が使った名前です。

ヌルハチの時代に民族の名前を ジュシェン(女直、女真) から マンジュ(満洲) に変えました。

 ・満洲人についての詳しい説明はこちら

なので、清朝を「女真族の国」というのは正しくありません。満洲人の国です。でも本人が名前を変えても外国では古い名前で呼び続けているのはよくあることですね。

王族や貴族は満洲人ですが。国民のほとんどは漢人(漢民族)です。他にもモンゴル人、チベット人、ウイグル人もいました。大清国は多民族国家なのです。

全体の1割にもみたない満洲人が大勢の人々を支配している国が 大清国 です。

満洲人とモンゴル人が協力して国を運営。大多数の漢人(漢民族)を支配。それにチベット、ウイグルやその他の民族が服従する形になっています。

漢人やモンゴル人でも旗人という地位になれば貴族あつかいです。

国の基本は八旗という組織

満洲人独特の制度が八旗です。日本はもちろん、他の中国王朝にもない制度なので分かりづらいかもしれません。

簡単にいうと、軍隊と行政・地方自治体が一緒になった集団です。それまで部族単位で生活してた満洲人をまとめるためヌルハチが考案した制度です。

満洲族の全ての部族を8つの集団(旗=グサ)に再編成。それぞれの旗が行政と軍隊の組織をもっています。

8つの集団とは

正黄

正白


正赤

正藍

の4色と縁取り(鑲)で軍服や旗の色を区別していました。

正黄旗、鑲黄旗、正白旗が皇帝直属の上三旗。
侍衛(皇帝の親衛隊)は上三旗から選ばれます。

鑲白旗、正赤旗、鑲赤旗、正藍旗、鑲藍旗が下五旗。「旗王」とよばれる王族が管理する集団です。

旗(グサ)の下にはニルという集団があります。ニルは領民や兵の集団です。

旗に所属する人たちは「旗人」と呼ばれます。
旗人は皇帝や旗王の家臣であり領民です。

旗人の中でも上三旗が格式が高いです。皇后は上三旗に所属するいずれかの氏族から選ばれることが多いです。

ヌルハチが八旗を作ったときは満洲人の八旗だけでした。

ホンタイジの時代にモンゴル人や漢人の八旗が作られました。

八旗満洲、八旗蒙古、八旗漢軍などとよばれます。こうした八旗の中には捕虜になったり亡命した朝鮮人、ロシア人、ベトナム人の集団もありました。オロチョン、エヴェンキなどの様々な部族の人もいました。他民族の集団は八旗満洲や八旗漢軍に組み込まれました。

満洲人の社会

満洲人には独特の身分制度があります。

国家(グルン)としては
君主(ハン)
臣民(イルゲン)

ハンが国のトップ。ハンの下に大臣や民衆などのイルゲンがいます。

ただし、大清皇帝はモンゴル皇帝(ハーン)、満洲王(ハン)を兼任します。一人の皇帝に3つの役割があります。他の中国王朝にはない清朝の特徴です。

国よりも小さな旗単位でみるとこのような身分に別れます。

旗(グサ)単位では
王 (ベイレ)
大臣(アンバン)
民 (ジュシェン)

という身分があります。ベイレはかつては部族の族長でした。清朝建国後は旗の頂点に立つ旗王がベイレと呼ばれます。旗王は王族から選ばれます。

家単位では

主(エジェン)
奴僕(アハ)

という身分があります。アハとはその家に仕えている奉公人です。

包衣(ボーイ)

包衣(ボーイ)も中国王朝にはない清朝独特の制度。

八旗(グサ)には家政を担当する下級旗人がいました。これを包衣(ボーイ)といいます。

包衣は主人に仕え、身の回りの世話。雑用、資材の調達、土地の警備や管理などを任されていました。使用人のイメージです。

包衣の多くは満洲人が捕虜にしたり、身売りで満洲人のもとに連れてこられた漢人や朝鮮・高麗人が祖先になってることが多いです。包衣の子は包衣。代々旗人に仕えました。包衣は包衣同士で結婚します。主人は自分に使える包衣の結婚の面倒もみます。

主人と包衣の間には絶対的な身分の差があります。その一方で、旗人にとっても包衣は必要な存在なので親密になりました。

日本でいえば、武家と奉公人。その家専属で世襲の奉公人のような感じでしょうか。

かつて満洲人の暮らしを見た江戸時代の日本人は「親子のような関係」と表現しました。

包衣を奴隷や奴婢と翻訳することもありますが、どちらも意味が違います。中国や日本にいはない地位なので翻訳の難しい言葉です。

中国ドラマの翻訳では「奴婢」になってることが多いです。中国人でも包衣の意味を理解している人は少ないので「奴婢」として描いていると思います。

ただし、包衣は旗人より身分は低いですが庶民(漢人が多い)よりは上です。

社会的な地位では 旗人 > 包衣 > 庶民

となるので他の王朝ドラマで出てくる奴隷や奴婢とは立場が違います。

内務府

皇帝や皇后の日常を支える部署が内務府。宮廷内で働いている人も内務府の管理下にあります。

内務府で働く人々は、正黄旗、鑲黄旗、正白旗に使える包衣から選ばれます。上三旗は皇帝直属の組織だからです。

内務府のしごとは皇帝の身辺警護、離宮の警備や管理、皇室が所有する荘園・牧場・狩猟場の管理も行いました。宮廷で使用する資材の調達も行います。

こうした宮廷内の雑務は中国王朝では宦官が行うことが多いです。しかし清朝では宦官の多くの仕事が包衣にとって変わられました。

歴代の側室の中には包衣の家系出身者もいます。包衣の娘が女官や宮女になることもありました。

宦官にとってかわった包衣

満洲人が紫禁城に入る前から包衣は満洲人の家の雑用をしていました。そこで紫禁城に入った後も、包衣に宮廷内の雑用を任せました。しかも包衣は代々旗人に仕えています。満洲人にとっては明朝に仕えていた宦官よりも信用できる存在でした。

宦官の役目は皇后や妃の周辺の仕事など一部だけ残しました。そのため、清朝は歴代中国王朝よりも宦官の数が大幅に少ない王朝になりました。

中国王朝では宦官が巨大な組織になり、皇帝を操るほどの権力を握ることがあります。でも清朝ではそのような宦官の弊害は起こりませんでした。

と、このように中国・朝鮮王朝にはない独特な制度があるのが清王朝なのです。

他にも清朝の記事があるので参考にしてください。

・清朝皇帝 ヌルハチからラストエンペラーまで全12人を紹介

清王室の後宮・皇后・皇貴妃・妃の順番と違い

・清朝を作った満洲人とは

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