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清朝の歴代皇后 リスト 初代から最後の皇后まで

清王妃側室 1.2 清の皇后妃嬪皇太后

大清帝国(清朝)には初代ヌルハチからラスト・エンペラー・溥儀まで12人の皇帝(君主)がいました。

彼らにはもちろん皇后(正妻)もいます。

清朝ドラマにも数多くの皇后が登場します。

清朝にはどんな皇帝がいて、その皇帝にはどんな皇后がいたのでしょうか。

皇帝の在位中に皇后・正妻だった人と、死後・皇后に追尊された人を紹介します。

 

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皇后のグループ

清朝の皇后はすべて名家の人。ほとんどは皇子時代に結婚していることが多いのですが、皇子の正妻になる人は満洲人の名家(旗人)出身の人が多いです。皇帝になった後に皇后になった人は必ず名家の人です。ただし、死後に皇后の称号が与えられた人は名家出身でない人もいます。

皇后の出身一族で分けると3つのグループがあります。

1.マンジュグルン出身者とその子孫

 ヌルハチは挙兵するとまず建州女直を統一、マンジュグルン(グルン=国)を作りました。そのときマンジュグルンの建国に参加した部族とその子孫は清朝でも高い地位にいました。ヌルハチの愛新覚羅(アイシンギョロ)一族とも関係は深く。後金から清朝の終わりまで正妻・皇后を数多く出したグループです。

後金建国後。マンジュグルンの人々は満洲八旗に再編成され、満洲旗人になりました。

江戸幕府でいえば譜代大名みたいなものです。

主な氏族

佟佳(トゥンギャ)、鈕祜禄(ニオフル)、富察(フチャ)、喜塔臘(ヒタラ)、董鄂(ドンゴ)など。

 

2.フルングルン出身者とその子孫。

後金建国前の女直(女真)の社会では、ヌルハチのマンジュグルンとは別に強力な4つの部族(ハダ・ウラ・イェヘ・ホイファ)が存在しました。それらの部族は同盟してフルングルンという連合国を作っていました。

フルン王族は姓に「○○ナラ」とつくのが特徴。ナラ氏は唐末期の女真の納懶(ナラ)氏、金朝の納蘭氏まで遡ることができる由緒ある一族。金朝でも納蘭(ナラ)氏出身の皇后が何人もいました。

金朝滅亡後。ナラ氏は各地に移り住み、移住先の地名をとって○○ナラと名乗りました。ただしイェヘはモンゴルから女真に移住した人。ホイファも別の一族から改姓した人たちと言われます。

フルングルンはヌルハチ率いるマンジュグルンと戦いましたが降伏。最後まで抵抗したのがイェヘ部です。

フルンの王侯貴族は満洲旗人になりました。

女直統一後はフルンの人々を懐柔するため元フルン王族から皇后や妃が選ばれています。

葉赫那拉の呪い

西太后が葉赫那拉(イェヘナラ)氏出身だったので「葉赫那拉の呪い:ヌルハチに最後まで抵抗したイェヘナラの者が清を滅ぼす」という都市伝説が作られました。ドラマのネタにもなりましたが「葉赫那拉の呪い」は西太后のあとに作られた作り話です。

主な氏族

烏喇那拉氏(ウラナラ)、葉赫那拉(イェヘナラ)、輝発那拉氏(ホイファナラ)、赫舍里(ヘシェリ)

 

3.モンゴル出身者

ホンタイジはモンゴル帝国(北元)を攻めて降伏させ。大元皇帝の玉璽を譲り受けました。そこで皇帝(ハーン)を名乗り「後金」から「大清」に国名を変えました。

遊牧民社会ではチンギス・ハーンの子孫のボルジギン氏(満州語ではボルジギト)は大きな権威があります。地方豪族の出身者にすぎないヌルハチやホンタイジはボルジギト氏の権威と力を借りて様々な部族や民族をまとめようとしました。

それに満洲人は人口が少ないのでモンゴルと協力しないと広大な領土を統治できません。そのためモンゴルの部族長を親王にしてモンゴルから皇后を迎えました。大清建国からしばらくはモンゴル出身皇后が何人か出ます。

しかし中国支配が長くなり満洲人の漢人化が進むととモンゴル出身者は減りました。

主な氏族

博爾済吉特(ボルジギト)

 

名前の読み仮名は以下のルールで書いています。
カタカナ:満洲語に近い発音
ひらがな:日本語の音読み

 

初代 ヌルハチ/天命帝(てんめいてい)

名前:努爾哈赤 (ヌルハチ)
廟号:太祖
生年没年:1559-1626年(68歳)
在位:1616-1626年(在位11年)

後金の建国者。

元妃(孝烈武皇后) ハハナ・ジャチン

称号:元妃、孝烈武皇后
出身氏族:トゥンギャ氏(佟佳氏)
名前:ハハナ・ジャチン

子:長子 広略貝勒チュイェン(褚英)、二子 礼親王ダイシャン(中国語版)(代善)、長女 端荘固倫公主 ヌンジェ

 

継妃 グンダイ

称号:なし(継妃)
部族:マンジュグルン(建州女直)
氏族:フチャ氏(富察氏)
名前:グンダイ(袞代)

子:五男 貝勒マングルタイ、十男 デゲレイ、十六男 フィヤング、三女 マングジ

 

大妃 アバハイ

称号:大妃、孝慈高皇后
部族:フルングルン・ウラ部(西海女直)
出身氏族:ウラナラ氏(烏喇那拉氏)
名前:アバハイ(阿巴亥)

子:十二男 英郡王 アジゲ、十四男 睿親王 ドルゴン、十五男 豫親王ドド

ヌルハチ最後の正室。ドルゴンの母。
ドルゴンの死後。順治帝によって孝慈高皇后の称号を剥奪。 

 

追尊:孝慈高皇后 イェヘナラ(葉赫那拉)氏

称号:孝慈高皇后
部族:フルングルン・イェヘ部(西海女直)
氏族:イェヘナラ(葉赫那拉)氏
名前:モンゴジェジェ
子:八男 ホンタイジ(皇太極)

生前は側室。ホンタイジの即位後、皇后に追尊。

 

第2代 ホンタイジ/崇徳帝(すうとくてい)

名前:皇太極 (ホンタイジ)
廟号:太宗(たいそう)
生年没年:1592-1643年(50歳)
在位:1626-1643年(在位18年)

1635年。皇帝=ハーンになります。
1636年。国号を「ダイチン(大清)」にしました。

孝端文皇后 ボルジギト氏

称号:孝慈高皇后
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
名前:ジェルジェル
子:二女 固倫温荘長公主、三女 固倫靖端長公主、八女 固倫永安長公主

・ジェルジェル(孝端文皇后)の詳しい説明はこちら。

元妃 ニオフル氏

称号:元妃
部族:マンジュグルン(建州女直)
氏族:ニオフル(鈕祜禄)氏
名前:
生没年:1593~1612年

子:ロボホイ

ホンタイジの最初の正室。ホンタイジが皇帝になる前に死亡。

継妃 ウラナラ氏

称号:なし(継妃)
部族:フルングルン・ウラ部(西海女直)
氏族:ウラナラ(烏喇那拉氏)氏
名前:
生没年:不明。
ホンタイジの側室。
元氏の死後、正妻になりました。1623年に離婚。
ヌルハチとその弟アジゲに謁見した時、輿から降りずヌルハチを怒らせました。その後、ホンタイジから離婚されました。

子:長男 粛親王ホーゲ、二男 ロゲ(夭逝)、長女 敖漢固倫公主

 

追尊:孝荘文皇后

称号:永福宮荘妃、孝荘文皇后(追尊)
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
名前:ブムブタイ
子:九男 フリン(福臨、順治帝)、四女 固倫雍穆長公主、五女 固倫淑慧長公主、七女 固倫淑哲長公主

ホンタイジの側室。ジェルジェルの姪。

順治帝時代の皇太后。康煕帝時代の太皇太后。清朝ドラマにはよく出てきます。

死後。康煕帝によって皇后に追尊されました。

・ブムブタイ(孝荘文皇后・昭聖太皇太后)の詳しい説明はこちら。

 

第3代 順治帝(じゅんちてい) 

名前:福臨 (ふくりん、フリン)
廟号:世祖(せいそ)
生年没年:1638-1661年(24歳)
在位:1643-1661年(在位19年)

初めて紫禁城で暮らした皇帝。

静妃(廃皇后)ボルジギト氏(博爾済吉特氏)

称号:皇后→静妃
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
名前:エルデニ・ブンバ

ドンゴ氏を寵愛する順治帝によって廃位。静妃に格下げになりました。

孝恵章皇后 ボルジギト氏(博爾済吉特氏)

称号:孝恵章皇后
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
生没年:1641~1718年

 

追尊:孝献皇后 ドンゴ氏(董鄂氏)

称号:皇貴妃、孝献皇后(追尊)
部族:マンジュグルン
氏族:ドンゴ氏(董鄂氏)
生没年:1639~1660年

皇四子栄親王(夭逝)

順治帝が最も愛した妃。

孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏の詳しい説明はこちら。

追尊:孝康章皇后 トゥンギャ氏(佟佳氏)

称号:皇貴妃、孝康章皇后(追尊)
部族:マンジュグルン
氏族:トゥンギャ氏(佟佳氏)
生没年:1640~1663年

子:三男 玄燁(康煕帝)

 

第4代 康熙帝(こうきてい) 

名前:玄燁(げんよう) 
廟号:聖祖(せいそ)
生年没年:1654-1722年(69歳)
在位:1662-1722年(在位61年)

明の残党を倒して中華統一。

 ・康煕帝の詳しい説明はこちら

孝誠仁皇后 赫舎里(ヘシェリ)氏

称号:孝誠仁皇后
出身:満洲正黄旗
氏族:赫舎里(ヘシェリ)氏
生没年:1654~1674年

子:皇子承祜(夭逝)、皇二子 理親王 胤礽(廃皇太子)

孝昭仁皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝昭仁皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:?~1678年

孝誠仁皇后のあと皇后になりましたが。1年で死去。

孝懿仁皇后 佟佳氏(トゥンギャ)氏

称号:孝懿仁皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:佟佳氏(トゥンギャ)氏
生没年:?~1678年

孝昭仁皇后のあと皇后になりましたが。10日で死去。

女:皇八女(夭逝)

追尊:孝恭仁皇后 烏雅(ウヤ)氏

称号:孝懿仁皇后
出身:満洲鑲藍旗
氏族:ウヤ氏(烏雅氏)
生没年:1660~1723年

子:皇四子胤禛(雍正帝)、皇六子胤祚(夭逝)、皇七女(夭逝)、皇九女固倫温憲公主、皇十二女(夭逝)、皇十四子恂郡王胤禵

死後、雍正帝によって皇后に追尊。

・徳妃 烏雅氏(孝恭仁皇后)の詳しい説明はこちら。

第5代 雍正帝(ようせいてい) 

名前:胤禛(いんしん、インジェン)
廟号:世宗(せいそう)
生年没年:1678-1735年(58歳)
父:康熙帝
母:徳妃 烏雅氏
在位:1723-1735年(在位13年)

 ・雍正帝の詳しい説明はこちら

孝敬憲皇后 烏喇那拉(ウラナラ)氏

称号:孝敬憲皇后
出身:満洲正黄旗
氏族:烏喇那拉氏(ウラナラ)氏
生没年:1681~1731年

子:皇長子 端親王弘暉

・孝敬憲皇后 烏喇那拉氏の詳しい説明はこちら。

 

追尊:孝聖憲皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:熹貴妃→孝聖憲皇后(追尊)
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:1692~1777年

子:皇四子 弘暦(乾隆帝)

生前は熹貴妃が最高位。乾隆帝即位後は皇太后。
死後、乾隆帝によって皇后に追尊。

清史上最も大切にされた皇太后。でもドラマでは乾隆帝の養母にされてしまいます。

「宮廷の諍い女」のヒロイン。「如懿伝」「瓔珞」の皇太后。

・孝聖憲皇后 鈕祜祿氏の詳しい説明はこちら。

第6代 乾隆帝(けんりゅうてい)

名前:弘暦(こうれき、フンリ)
廟号:高宗(こうそう)
生年没年:1711-1799年(89歳)
在位:1736-1795年(在位60年)

 ・乾隆帝の詳しい説明はこちら

チベット、ウイグルを配下に領土を最大にした皇帝。

孝賢純皇后 富察(フチャ)氏

称号:孝賢純皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:富察(フチャ)氏
生没年:1712~1748年

子:
長女(夭逝)、三女:固倫和敬公主、二男:端慧皇太子永璉(夭逝)、七男:哲親王永琮(夭逝)

「瓔珞」「如懿伝」に登場。前半の主要人物。

・孝賢純皇后 富察(フチャ)氏の詳しい説明はこちら。

 

継皇后 輝発那拉(ホイファナラ)氏

称号:皇后
出身:満洲鑲藍旗
氏族:輝発那拉氏(ホイファナラ)氏
生没年:1718~1766年

子:
十二男:貝勒永璂、五女(夭逝)、十三男:永璟(夭逝)

皇后に在位していましたが、皇后としての諡号はなし。

那拉(ナラ)氏、烏喇那拉(ウラナラ)氏と呼ばれることもあります。

「如懿伝」のヒロイン。「瓔珞」ではライバル。

皇后 輝発那拉(烏拉那拉)氏の詳しい説明はこちら。

 

追尊:孝儀純皇后 魏佳(ウェイギャ)氏

称号:令皇貴妃→孝儀純皇后(追尊)
出身:漢人、満洲正黄旗包衣→満洲鑲黄旗。
氏族:魏氏→魏佳(ウェイギャ)氏
生没年:1718~1766年

七女:固倫和静公主、十四男:永璐(夭逝)、九女:和碩和恪公主、十五男:永琰(嘉慶帝)、十六男(夭逝)、十七男:慶親王永璘

「瓔珞」のヒロイン。「如懿伝」ではライバルの衛嬿婉のモデル。

孝儀純皇后(令皇貴妃)瓔珞(エイラク)のモデルになった清の皇后

第7代 嘉慶帝(かけいてい)

名前:永琰・顒琰(えいえん・ぎょうえん、ヨンヤン)
廟号:仁宗(じんそう)
生年没年:1760-1820年(60歳)
在位:1796-1820年(25年)

孝淑睿皇后 喜塔臘(ヒタラ)氏

称号:孝淑睿皇后
出身:満洲正白旗
氏族:喜塔臘氏(ヒタラ氏)
生没年:1760~1797年(37歳)

子:二女(夭逝)、二男 綿寧(道光帝)、四女 荘静固倫公主

病死。

孝和睿皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝淑睿皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1776~1850年(74歳)

皇七女(夭逝)、皇三子惇親王綿愷、皇四子瑞親王綿忻

もとは皇貴妃。孝和睿皇后の死後、皇后になりました。

 

第8代 道光帝(どうこうてい)

名前:旻寧(みんねい、ミンニン)
 廟号:宣宗(せんそう)
生年没年:1782-1850年(69歳)
在位: 1820-1850年(在位31年)

1840年。イギリスとアヘン戦争で敗北。

追尊:孝穆成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:嫡福晋→孝穆成皇后(追尊)
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1781~1808年(歳)

皇子時代の正室。道光帝が皇帝になる前に死去。

孝慎成皇后 佟佳(トゥンギャ)氏

称号:孝慎成皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:佟佳氏(トゥンギャ氏)
生没年:1790~1833年(43歳)

子:長女 端憫固倫公主

孝全成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝全成皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1808~1840(32歳)

道光帝の3人目の正室。

皇三女端順固倫公主、皇四女寿安固倫公主、皇四子奕詝(咸豊帝)
側室

追尊:孝静成皇后 博爾済吉特(ボルジギト)氏

称号:静皇貴妃、孝静成皇后
出身:モンゴル人・満洲正藍旗
氏族:博爾済吉特(ボルジギト)氏
生没年:1812~1855(43歳)

子:二男 順和郡王奕綱(夭逝)、三男 慧質郡王奕継(夭逝)、六女 寿恩固倫公主、六男 恭親王奕訢

咸豊帝の養母。
咸豊帝時代に皇太后として力を持っていました。清史上唯一の皇后でも皇帝の生母でもないのに皇太后になった人物。
死後、咸豊帝によって皇后に追尊されました。

第9代 咸豊帝(かんぽうてい)

名前:奕詝(えきちょ、イジュ)
廟号:文宗(ぶんそう)
生没年:1831-1861年(31歳)
在位:1850-1861年(在位12年)

1858年。アロー戦争(第二次アヘン戦争)で敗北。

追尊:孝徳顕皇后 薩克達(サクダ)氏

称号:孝徳顕皇后(追尊)
出身:満洲鑲藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:薩克達(サクダ)氏
生没年:1831~1850(19歳)

皇子時代の正室
咸豊帝が皇帝になる前に死亡。

孝貞顕皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝貞顕皇后、慈安太后、東太后
出身:満洲鑲藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:1837~1881(44歳)

同治帝の生母・西太后とともに皇太后(東太后)になりました。

 

第10代 同治帝(どうちてい)

名前:載淳(さいじゅん) 
廟号:穆宗
生年没年:1856-1875年(20歳)
在位:1861-1875年(15年)

孝哲毅皇后 阿魯特(アルテ)氏

称号:孝哲毅皇后
出身:モンゴル人・蒙古正藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:阿魯特(アルテ)氏
生没年:1854~1875(21歳)

愛新覚羅 溥儀の回想録によると。同治帝の死後、西太后によって餓死させられました。

 

第11代 光緒帝(こうしょてい)

名前:載湉(さいてん、ヅァイティアン)
 廟号:徳宗(とくそう)
生年没年:1871-1908年(38歳)
父:醇親王 奕譞
母:葉赫那拉氏(西太后の妹)
在位:1875-1908年(34年)

1894年。日清戦争で敗北。

孝定景皇后 葉赫那拉(イェヘナラ)氏

称号:孝哲毅皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:葉赫那拉(イェヘナラ)氏
名前:静芬
生没年:1868~1913(45歳)

清朝最後の皇太后。

第12代 宣統帝(せんとうてい)

名前:溥儀(ふぎ、プーイー)
廟号:なし
生年没年:1906-1967年(62歳)
在位
清:1908-1912年(5年)

1912年。辛亥革命で清が滅亡。
ラストエンペラー。

婉容/郭布羅(ブゴロ)皇后

称号:皇后
出身:満洲正白旗
氏族:郭布羅(ブゴロ)氏
名前:婉容
生没年:1906~1946(40歳)

清朝最後の皇后。
1912年に清朝が滅亡。王朝はなくなっても溥儀は「大清皇帝」の地位にいました。1922年に溥儀と結婚・皇后になります。諡号はありません。1924年。紫禁城から退去。

 

 

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