中国時代劇「燕雲台(えんうんだい)-The Legend of Empress-」第45・46・47・48話あらすじとネタバレ紹介記事です。
いよいよ最終回です。
実在した契丹(遼)の皇后・睿智蕭皇后(蕭太后)の半生を描く歴史ドラマ。
冀王妃 夷蘭は南朝で手に入れた酒壺を蕭烏骨里に贈りました。この酒壺は毒を入れて切り替えて注ぐことのできるもの。烏骨里はこの酒壺を使って誕生祝いの宴を開催。燕燕の毒殺を企んでいました。その準備の様子を韓徳譲の配下が見ていました。
一方。蜀王 耶律道隠は仮病を使って屋敷に籠もり兵を用意。烏骨里たちの様子を見ていました。
烏骨里の誕生会がひらかれました。太后・蕭燕燕は烏骨里の招待をうけて喜んで趙王府にむかいます。烏骨里から酒をつがれて飲もうとしますが。そこに韓徳譲がやってきて毒酒を飲むのを阻止します。激昂した蕭烏骨里は蕭燕燕が耶律罨撒葛を弓矢で射殺したことを暴露。烏骨里は自分で毒酒を飲み自害。
そして蕭胡輦と蕭燕燕との仲も破局してしまいます。
番組情報
原題:燕雲台
英語:The Legend of Xiao Chuo
2020、中国
全48話
主なキャスト
・蕭 燕燕(しょう・えんえん)/睿智蕭皇后
演:唐嫣(ティファニー・タン)
・韓 徳讓(かん・とくじょう)
演:竇驍(ショーン・ドゥ)
・蕭 胡輦(しょう・これん)/皇太妃
演:余詩曼(カーメイン・シェー)
・耶律 文殊奴(やりつ・もんじゅど)/隆諸/聖宗
演:陳昊、葉禾(少年)
・撻覧阿缽(たつらんあはつ)
演:盛一倫
第45話 本当の自分
韓徳讓が幽州から翼王妃を連れて戻り、太后・蕭燕燕が翼王妃に毒酒を賜ってから3年が過ぎました。
次姉・烏骨裡の命日がやってきました。しかし長姉・胡輦からの手紙は仕事の報告ばかり。胡輦もまだ蕭燕燕に恨みを持っているようでした。
そんな時。耶律虎古をはじめ皇族たちがまだ兵権を渡そうとしないと韓徳讓が報告。耶律虎古たちは朝廷で徳譲たち漢人が活躍することに反発していました。
そこで蕭燕燕は韓徳讓の権威を見せつけるため宮中で誕生日を祝う宴を開くことにします。韓徳讓は断ろうとしましたが、蕭燕燕はすでに決定していました。
そのころ。北方の守りを担当している蕭胡輦は、1人で湖畔に向かい落馬。若くて逞しい青年に助けてもらいました。彼は撻覧阿鉢という馬飼いでした。
年長の蕭胡輦をまるで子供を扱うかのように「小胡輦」と呼ぶ撻覧阿鉢に、蕭胡輦は亡き夫を思い浮かべていました。胡輦は命を救った撻覧阿鉢にどんな報酬でも与えると約束します。すると撻覧阿鉢は村に来て欲しいと言うのでした。
耶律虎古は 聖宗 耶律隆緒に韓徳讓への不満を言いますが。韓徳讓を父のように慕っている聖宗は耶律虎古を注意するのでした。
そして自由な撻覧阿鉢に惹かれる蕭胡輦は彼と一緒になろうと決意します。
感想と解説
永く独身だった蕭胡輦に若い恋人が。撻覧阿鉢がドラマオリジナルではなくてちゃんと歴史書にも名前が載っている人物です。ドラマほど大胆な人物ではありませんが、なかなかの美青年だったらしく胡輦が結婚したいと蕭太后に許可を求めた記録があります。
儒教の教えのせいで漢人は女性の再婚がほぼできませんが。契丹人はわりと自由。蕭胡輦の場合はさすがに身分の差が大きいので周囲の反対はあると思います。でもよく考えたら韓徳讓の祖父も皇族に使える家奴の家柄ですからね。気に入られさえすればアリなのでしょう。
第46話 果たされた誓い
誕生の宴の場で聖宗 耶律隆緒は蕭菩薩哥を好きになりました。二人は手紙のやり取りをして絆を深めあっていました。
太后・蕭燕燕は聖宗・耶律隆緒の気持ちを知って蕭菩薩哥を皇后に迎えることにしました。子どもたちが結婚する年齢になり、改めて時の流れを感じるのでした。
耶律虎古はその動きを知りました。しかも蕭菩薩哥は韓徳譲の姪だったので耶律虎古はさらに韓徳譲を恨みます。
そこで耶律虎古は朝議の場で聖宗が成人したという理由で燕燕の隠居を要求しました。燕燕は若い皇帝を傀儡にする気かと激怒。耶律磨魯古は蕭燕燕と韓徳譲を冒涜したため大于越の耶律休哥から注意を受け投獄されました。
翌日。怒りの収まらない耶律虎古は兵を引き連れて蕭燕燕を襲撃。しかし韓徳譲が守って、耶律虎古を討ちました。
韓徳譲は刃物で負傷。気遣う蕭燕燕に韓徳譲は想いを打ち明けます。改めて自分の想いに気がついた蕭燕燕は婚礼衣装を用意させ。韓徳譲に耶律姓を与えます。
そして数年後。南朝(宋)に新皇帝 真宗が即位。平王がこれを機会に南朝を攻めて領土奪回しようとの意見を提出。
感想と解説
蕭燕燕と韓徳譲が事実上の結婚式をあげましたね。二人が結婚したという記録はありません。でも蕭燕燕は贈り物を持って韓徳譲のテントを訪問した。とかかなり親密な様子が記録されているので事実上の夫婦みたいな関係だったとしてもおかしくはありません。
しかも息子の耶律文殊奴(隆緒)も韓徳譲にはなついているのも大きい。契丹は女性の再婚は問題ないのですが。さすがに皇太后となるといろいろ制限はあるのでしょうね。
第47話 太后の悲願
蕭燕燕は北方の可敦城を訪問。蕭胡輦に軍務を退いて上京に戻るように勧めます。撻覧阿鉢は嫌がりますが、蕭胡輦は妹の言う通り上京に向かうことにしました。蕭胡輦を心配する撻覧阿鉢は自分も上京に向かうことにします。
蕭燕燕は南征を命令。聖宗と蕭燕燕は遠征しました。出発の前日。蕭燕燕は病気で療養中の耶律休哥を訪問。今回は南北対立を止めるための戦で南朝を滅ぼすためではないと打ち明けます。
戦いが始まりました。順調に勝ち進んでいましたが、淵州で蕭達凜が偵察中に狙撃されて戦死。燕燕もまさか南朝の皇帝が自ら遠征するとは思いませんでした。
そこで王継忠をよんで南朝と和睦の交渉をさせます。
そして統和22年(1004年)。遼と宋の和睦が成立。歴史上はこの盟約を「淵澶の盟」といいます。以後、両国は国交を結び120年にわたる平和な時代が訪れます。
聖宗はなぜこのタイミングで和睦を結ぶのか理解できませんでしたが。母から聞いてその先見性に驚くのでした。
戦いが終わり、勝利の宴が開催されました。蕭胡輦は撻覧阿鉢を連れてきました。ところが燕燕に反感をもつ撻覧阿鉢は燕燕を侮辱する発言をしてその場は騒然となります。
感想と解説
ここで描かれる戦争は1004年の契丹軍の南征。歴史上有名な「淵澶の盟」が結ばれました。
「120年の平和」の根拠は1122~5年に遼が女真の金に滅ぼされた時までの事を言ってるようです。結局、南朝(宋)は滅びるまで遼(契丹)には勝てなかったのでした。
「大明皇妃」など実在の人物を扱った歴史ドラマで女主人公が遠征する場面はたまにあります。でも全部作り話。
でも、蕭太后は本当に遠征しています。
歴史上はすごく重要なわりに中国ドラマではまともに映像化されたことのない「淵澶の盟」に至る戦いですけど。ここでもあっさり終了。でも他のドラマに比べれば歪曲は少ないほうかも。
「大宋宮詞」は嘘だらけだったので。まだこちらの方がマシかな。
いずれにしてもこの盟約があったおかげでで契丹と宋の両方に平和と発展が訪れたのは事実。実際の蕭太后が戦争を起こした理由もこのドラマの蕭燕燕に近いと思います。
第48話(最終回)国土と結ばれた運命
聖宗 耶律隆緒は蕭胡輦から軍を取り上げ上京に移ってもらおう考えました。蕭胡輦と撻覧阿鉢の関係については彼女に任せようと考えます。韓徳譲も聖宗の考えに賛成でした。
しかし兵権を手放すように言われた蕭胡輦は怒っています。蕭燕燕は姉をなだめようとするのですが。そんなとき撻覧阿鉢が宮中に潜入、聖宗 耶律隆緒を襲撃しました。
蕭燕燕と蕭胡輦はあわてて聖宗のもとに駆けつけました。幸いにも傷は浅いものの、皇帝を襲った罪は重く撻覧阿鉢は拷問の末に斬首が決定しました。
蕭胡輦は聖宗に命乞いをしますが聖宗は許しません。そして蕭胡輦は牢を破って撻覧阿鉢を救出、本拠地の可敦城へと戻りました。
韓徳讓は蕭継先に可敦城を攻めて蕭胡輦の拘束を命令。可敦城は大軍に攻め込まれ城門を突破されました。撻覧阿鉢は胡輦を守ろうとして斬られてしまいます。
蕭胡輦は生け捕りにされ上京に連行されますが、蕭燕燕に把罨撒葛や烏骨裡の死もすべてお前のせいだと罵ります。
国阿輦斡魯朵(こくあれんおるど=胡輦の領民と軍隊)の兵権は皇帝のものになり。そして蕭胡輦は幽閉されました。
時が経ち。統和27年(1009年)。燕燕は摂政の座から退き。本格的な聖宗の親政が始まります。
蕭燕燕と韓徳讓は燕雲台に登り国土を見渡し過去を振り返りました。数十年にわたる漢制改革で契丹は変化して今日の繁栄の時代を迎えました。
統和27年12月。蕭燕燕は即位する途中で病死し。息子の聖宗 耶律隆緒から「承天皇太后」の称号を送られました。
そしてその15ヶ月後。韓徳讓も病逝。その亡骸は蕭燕燕とともに葬られているといいます。
終わり
解説と感想
ついにというかやっぱりというか最後は蕭燕燕と蕭胡輦の対立という最悪の結果に。ドラマでは撻覧阿鉢の存在が対立の引き金になっているような描き方でしたね。
なぜ蕭燕燕と蕭胡輦が対立したの?
史実ではなぜ蕭燕燕と蕭胡輦が対立したのかよくわかっていないんです。
ドラマにあるように兵権の返上は大きな問題だったでしょう。蕭胡輦は最後に残った大物ですから皇帝にとっては驚異に違いありません。撻覧阿鉢の存在はあくまでも口実ですよね。
他にも可敦城とその周辺はシルクロード貿易の中継地点。そこを支配している蕭胡輦のもとには大きな利益が入るわけですから。聖宗や蕭太后はそれが欲しかったのではないかという説もあります。
耶律明扆、蕭燕燕、韓徳讓が並んで埋葬
史実では景宗 耶律明扆と蕭燕燕が倍葬(並んで葬られること)され、その横に韓徳讓が葬られています。臣下としては異例の扱いです。三角関係のようにもみえる葬り方です。そのためドラマのような様々な憶測が流れているんでですね。
いつもの中国ドラマと視点や演出、習慣が違うのでなかなかに楽しめるドラマでした。人物の描き方も良かったと思います。蕭燕燕持ち上げ過ぎで、耶律明扆が軟弱すぎるのでは?と思う場面もありますが。歴史上の蕭太后も凄い人物ですからそのくらいの脚色はあってもいいかもしれませんね。
ドラマでも何度も名前が出てきた述律太后もドラマにすると面白いかも。
その後の遼(契丹)
ちなみに、遼(契丹)がこの後どうなったか紹介すると。
6代 聖宗 耶律文殊奴(隆緒)は高麗から西域までを支配下におく広大な契丹帝国を築き上げました。
そのため西域の人たちは中国=契丹(キタイ)と信じてしまって、モンゴルやロシア、中央アジアでは今でも中国のことを「キタイ」やそれに近い言葉で呼びます。
衰退する契丹
でもその後、契丹人は贅沢になってしまい。ドラマの時代の人たちのような闘争心を失い、内部争いも起きて衰退。一方では契丹に抑圧されていた女真人が建国した金が力をつけていきます。
女真人の金に滅ぼされる
1122年。9代天祚帝のときに女真の金に攻められて敗北。天祚帝は長春に逃亡。1125年。天祚帝は金に捕まって遼は滅亡。このときは金が独力で遼を倒しました。金と同盟を結んだ宋は滅亡寸前の遼軍と戦っても負けてしまいました。
その後は中原では金と宋(南宋)の戦いが続きます。
もうひとつの契丹。カラキタイ
でも契丹人の国が滅んだわけではありません。中原からいなくなっただけです。
皇族の耶律大石は可敦城に移りそこから西域に遠征。蕭胡輦の時代に整備した城が役に立ちました。さらに本拠地を西域(現在のキルギスあたり)に移動して広大な地域(現在のカザフスタン・キルギス・新疆ウイグル・モンゴルの一部など)を支配しました。この国はカラキタイ(西遼)と呼ばれます。
カラキタイの支配地域は南宋と同じかそれ以上の広さがありました。人口では南宋が圧倒的に多いですが。カラキタイはシルクロードの要衝なのでそれなりに賑わっていたようです。
カラキタイは1211年にクーデターで皇帝が交代しますが。国そのものは1218年まで続きます。
モンゴル帝国誕生
1218年。カラキタイ(西遼)はモンゴル帝国に滅ぼされて歴史から姿を消します。
ほぼ同じころ、金、西夏、南宋もすべてモンゴルに滅ぼされ。史上最大のモンゴル帝国が誕生しました。
チンギス・ハンの金国打倒には金の支配下にいた契丹人が協力しました。契丹とモンゴルは言葉や民族もほぼ同じ。支配部族が変わっただけ。中身は匈奴から続く遊牧民集団です。
モンゴル帝国が中東・ウクライナ方面まで拡大できたのはカラキタイが作った部族ネットワークと統治の仕組みを手に入れたから。モンゴル帝国が短い間にあんなに巨大になったのは契丹・カラキタイの土台があったからです。それを考えると契丹の影響は意外と大きかったといえそうです。
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