タナシルリ(ダナシュリ)はモンゴル帝国(大元)15代皇帝トゴン・テムルの皇后。
トゴン・テムルの妃は奇皇后が有名です。タナシルリ(ダナシュリ)は奇氏が皇后になる前に、第一皇后だった実在の女性です。
当時、皇帝を凌ぐ権力をもっていたエル・テムルの娘で、一族は大きな力をもっていました。
しかし、皇帝トゴン・テムルは力のある一族出身のタナシルリを嫌い、奇氏を寵愛していました。
父の死後、一族は力を失い失脚します。彼女自身も皇后の身分を奪われて毒薬を飲み死亡しました。
タナシルリ(ダナシュリ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1320年
没年月日:1335年
名前:ダナシュリ
称号:なし
父:燕鐵木兒(エル・テムル)
夫:トゴン・テムル(恵宗、順帝)
子供:マハ
彼女はモンゴル帝国(大元)の15代皇帝トゴン・テムル(恵宗、順帝)の妃です。
元の末期になります。
高麗では31代恭愍王の時代。
日本では鎌倉時代になります。
おいたち
1320年。モンゴル帝国(大元)の将軍エル・テムルの娘として生まれました。
父のエル・テムルはキプチャク親衛軍という強力な軍を率いる将軍でした。皇帝よりも権力がありました。
1333年6月。トゴン・テムルがエル・テムルの補佐で皇帝になると、7月には皇后になることが決定しました。
しかしその後、父エル・テムルが病気で死亡します。エル・テムルの死後、兄のタンキシがあとを継ぎ中書右丞相になりました。
1334年。ダナシュリは正式に正皇后(第一皇后)になりました。14歳(数え年で15歳)でした。
トゴン・テムルとの間には息子マハが生まれましたが、幼いころ麻疹のために死亡しました。
トゴン・テムルはしだいに宮女の奇氏(後の奇皇后)を寵愛するようになりました。もともとトゴン・テムルはダナシュリの実家を快く思っていませんでした。
ダナシリは嫉妬深く、奇氏をムチで叩くなどの虐待をしました。奇氏はトゴン・テムルにダナシリに苦しめられていると訴えます。ダナシュリとトゴン・テムルとはしばしば対立するようになりました。
エル・テムルの死後、一族の力は衰えていきました。
1335年。タンキシが弟タラカイ(塔剌海)とともに反乱を起こしました。親衛軍の伯顏(バヤン)によって鎮圧されました。
弟のタラカイはダナシュリの宮殿に逃げ込んできました。しかし、バヤンの軍がタラカイを連れて行ってしまいました。
兄の反乱では一族の多くが処罰されました。
ダナシュリは廃位され身分を庶民におとされました。
その後は開平府(内モンゴル自治区)で平民として暮らしましたが、バヤンは処刑を決定。
その年のうちに毒薬を飲み死亡しました。まだ15歳でした。
平民のまま死亡したので皇后としての諡(称号)はありません。
テレビドラマ
奇皇后 2013年 MBC 演:ペク・ジニ
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