李思(り・し)は中国ドラマ「燕雲台(えんうんだい)」に登場する人物です。
韓徳讓の妻として登場します。
ドラマのヒロイン 蕭燕燕が最初に好きになったのが韓徳讓ですが。二人は結婚できず、蕭燕燕は景宗 耶律明扆と結婚。韓徳讓は李思と結婚します。
この李思は実在するのでしょうか?
ドラマのオリジナルではなく、モデルになった人物はいます。
ドラマに登場する李思とそのモデルになった李氏を紹介します。
ドラマ「燕雲台」の謇寧王 馬睢
演:孟子義
幽州の三司使 李継忠の一人娘。
韓徳讓のことが好き。
韓徳讓が蕭燕燕を好きなことを知っていましたが。それでも韓徳讓の妻になろうとおしかけ。韓徳讓の母にも気に入られます。
韓徳讓の積極的な応援もあり韓徳讓と結婚。
38話で誤って毒を飲み死亡。
歴史上の韓徳讓の李氏とは
歴史上の韓徳讓には妻がいたとは記録されていません。韓徳讓の墓碑にも妻や実子がいたとは書かれていません。
韓家には跡継ぎがなかったので蕭太后が養子を勧めました。
ところが北宋の記録には韓徳讓には妻がいたことになっています。
遼(契丹)に使者として行ったことのある路振(ろ・しん)が書いた「乗軺録」という書物には。このような事が書かれています。
韓徳讓と蕭綽(蕭燕燕)は結婚の約束をした。ところが蕭綽は皇室の要請で景宗と結婚させられた。景宗の死後。韓徳讓が政権を担当することになった。蕭綽は韓徳讓の忠誠心を高めるため、韓徳讓が聖宗を自分の息子として扱うことを認め、韓徳讓の妻の李氏を人を派遣して毒殺。その後、二人は同居するようになった。その後、蕭綽と韓徳讓の間には息子が生まれた。
路振はこの韓徳讓に似た皇子を見た。
と書かれています。
つまり。韓徳讓には「李氏」という妻がいたが蕭綽(蕭燕燕)の派遣した刺客によって暗殺され。その後、蕭綽と韓徳讓は結婚したというのです。
これと同じ内容は北宋で書かれた歴史書の「契丹国志」にも載せられました。
「乗軺録」はフェイクニュース本
路振(ろ・しん)は957~1014年に実在した北宋の役人です。
1008年に皇帝・聖宗の誕生祝いの使者として契丹(遼)に行った事があります。そのときに見たり聞いたりしたことをまとめたのが「乗軺録」です。
韓徳讓と蕭太后の愛人説、再婚説、韓徳讓に李氏という妻がいたという話はこの本が元になっています。
契丹を見たことがある実在する役人が書いた本なので史実と思う人も多く。同時代の人が書いた貴重な史料だと言って飛びつく研究者も多いです。
でも。実在する役人か書いたからといって「事実とは限らない」のが中国史の難しいところです。
見間違いや勘違い、知識不足からくるウソもありますし。わざとウソを広めることもあります。
とくに宋の人々は契丹に敵意を持っていたので相手を貶めるために意図的に悪い情報を流します。スキャンダルがなければ勝手にスキャンダルを作って流してしまいます。中国は昔から情報操作・捏造の盛んな国なので「乗軺録」に書かれたことも信憑性は低いのです。
こういう個人が書いたウソか本当かわからない書物を中国や韓国では「野史」と言います。「野史」は面白いのでよくドラマのネタになりますが。史実とは限りませんし嘘の可能性が高いです。
路振(ろ・しん)は役人で契丹にも行ったことがあります。頭がよく、宋太宗から褒められたこともあります。地方の知事を務めるくらいにはなりました。晩年はアル中になり死亡しました。でも中央では名誉職的な役職には就いていますが。高い権力のある地位には就いていません。
「乗軺録」は契丹が嫌いなアル中学者が出世できない腹いせに書いた妄想かもしれません。
確かにあの時代に韓徳讓が生涯独身だったというのはなかなか信じられませんし。もしかすると李氏という妻がいたのかもしれません。でも病気かなにかで死亡してその後は再婚していないのかもしれません。
このフェイクニュース本の「乗軺録」に登場する李氏が李思(り・し)のモデルです。
韓徳讓の妻とされる李氏はいたのかもしれませんし、いなかったのかもしれません。
でもドラマにするなら「乗軺録」の内容は面白いですし。韓徳讓の妻を登場させるなら名前は必要なのでそのネタとしてはちょうどいいのかもしれません。
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