文定大妃(ムンジョンテビ)・明宗の生母は一生権力を離さなかった

2017年9月24日

文定王后(ムンジョンワンフ)は朝鮮王朝第11代王・中宗の正室です。息子の明宗が即位後は大妃となり宮中を仕切っていました。

文定王后は「宮廷女官チャングムの誓い(原題:大長今)」に登場する王妃なんですね。チャングムのときは最初は理解のある王妃でした。後半ではちょっと恐いところもありましたね。「女人天下」で描かれたように実際は権力欲の強い人だったのではないかといわれています。

「オクニョ・運命の女(原題:獄中花)」の文定大妃は宮中を牛耳る怖い人として登場します。

歴史上はかなり権力を持ったすごい人だったみたいですよ。史実の文定王后(文定大妃)はどんな女性だったのか紹介します。

文定大妃 (ムンジョンテビ)の史実

いつの時代の人?

彼女が生きたのは1501年~1565年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)11代中宗の正室。13代明宗の母です。

日本では戦国時代。織田信長(1534~1582)の親世代の人になります。

文定王后はどんな人

王妃時代

1515年。17歳で王妃になりました。第11代・中宗の3人目の王妃です。
中宗の2番めの王妃・章敬王后とは親戚になります。章敬王后の曽祖父と文定王后の高祖父(曽曽祖父)が兄弟です。

中宗は燕山君に対して重臣が起こしたクーデターで王になりました。家臣に担がれて王になったのであまり権力がありません。中宗自身もおとなしい人物だったようです。

文定王后は強気な女性だったようです。中宗にも強気にふるまいました。

章敬王后は亡くなる直前にイ・ホを出産していました。文定王后がイ・ホを育てました。立場上、王の後継者を育てることは王妃の約目でした。文定王后の立場は高くなっていきます。

1520年。イ・ホが世子になりました。このときは文定王后もイ・ホが世子になることに賛成します。

中宗との間には何人もの子供がいましたが娘でした。男児が生まるのは結婚して17年目のことです。

1534年。慶源大君(キョンオンデグン、のちの明宗)を出産しました。

中宗の晩年には文定王后の弟・尹元衡(ユン・ウォニョン)と弟の妻(チョン・ナンジョン)とともに文定王后も政治に口出しするようになりました。

文定王后は自分の息子が生まれたことで王にしたいと思うようになったのでしょうか。

世子のイ・ホには厳しくあたることが多かったようです。イ・ホの寝所に火をつけさせて焼き殺そうとしたといわれます。このときイ・ホは逃げずに「子供として母の願いを叶えるのが本当の孝行だ」と言ったといいます。結局、イ・ホは救助に来た家臣に助けられました。

1544年。中宗が亡くなると王大妃になりました。

章敬王后の息子イ・ホが12代国王・仁宗になりました。ところがもともと病弱だった仁宗は9ヶ月後に病気で亡くなってしまいます。一説には文定王后の差し入れた毒まんじゅうを食べたため亡くなったともいわれます。

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大王大妃時代

仁宗には子がいませんでした。

1545年。文定大妃の息子・慶源大君が12代王・明宗になりました。文定大妃は大王大妃になります。

文定大妃は政治能力に優れ、儒教の知識も身につけた頭のいい女性でした。次々と家臣をとりこんでいきました。

文定大妃と弟のユン・ウォニョンは幼い息子にかわって実質的に政治を行いました。

一族が宮中で大争い・乙巳士禍

文定大妃たちは自分に逆らう人たちは処分していきました。

1545年に起きた乙巳士禍と呼ばれる争いもそのひとつです。

この争いでは文定王后は弟の尹元衡の後ろ盾となり、対立する仁宗の伯父(前の王妃の兄弟・大尹派)や彼らを支持する人たち(士林派)たちを次々と処分しました。

もともと仁宗の時代から大尹派と小尹派の対立はありました。

仁宗が生きている間は大尹派が優勢だったのですが、仁宗亡き後は文定大妃が支持する小尹派が優勢になりました。

国王にかわって政治

争いに勝ち残った尹元衡の派閥(小尹派)は権力を独占するようになります。

文定大妃は摂政となり幼い王の代わりに政治を行います。玉座の後ろにすだれをたらしてその中に座って命令を出しました。垂簾政治(すいれんせいじ)といいます。垂簾政治は8年間続きました。

仏教を保護

朝鮮王朝は儒教が強く、仏教が冷遇されている時代でした。ところが、文定大妃は仏教を信仰していました。文定大妃は仏教を保護しました。科挙に僧侶の枠をもうけました。こうしたやり方は仏教に批判的な儒学者からは批判されましたが、文定大妃の力の前には何もできませんでした。

晩年まで権力を維持

垂簾政治が終わり、明宗が政治を行うようになっても文定大妃と小尹派は権力を握ったままでした。

文定大妃は尹元衡の妻・チョン・ナンジョンを側近として扱い邪魔な者は排除させました。

あまりにも母とその一派の権力が強すぎるため息子の明宗は心労が重なったと言います。

文定王后は権力を握ったまま64歳で亡くなりました。

息子の明宗はその2年後に33歳で亡くなりました。

後ろ盾を失った小尹派とチョン・ナンジョンは追放されたり処刑されたりしました。

文定王后は人を操る天才?

チャングムを見てるとちょっとわがままなところはあるけど悪い人には見えませんよね。でも歴史上は権力欲の強い人だったようですね。

文定王后自身は頭がよく人を操るのもうまかったようです。彼女自身は仏教を信じていました。でも仏教に対立してる儒教の知識も身につけてました。儒教の理屈で動いている家臣たちをうまくコントロールしたのかもしれませんね。

歴史上は継子のイ・ホ(仁宗)も焼き殺されるのがわかってるのに逃げようとしませんでした。最後は毒まんじゅう食べて亡くなりますが。いくら親孝行を大切にする国とはいっても、継子にそこまで信じ込ませるとは・・・イ・ホには厳しくあたっていたともいいますし。もしかしてモラハラ?

あとを継いだ実の息子も逆らわないし。どんな教育してたんでしょうね。

文定王后は息子が成長したにもかかわらず自分が亡くなるまで権力を離さなしませんでした。文定大妃が亡くなったあと彼女の支持した小尹派が処刑されてしまいますが。内心反発する人はいても文定大妃が生きてる間は表だって抵抗できなかったんでしょうね。

権力欲が強いだけなら身を滅ぼすこともあるかもしれません。でも亡くなるまで力を維持したのは頭もよく人を使うのが上手だったんでしょうね。

 

テレビドラマ

林巨正  1996 演:キム・ヘジャ
王朝の暁 1996 演:キム・ミンジョン
女人天下 2001 演:チョン・イナ
チャングムの誓い 2003 演:パク・チョンスク
天命   2013演: パク・ジヨン
オクニョ 2016 演:キム・ミスク
魔女宝鑑 2016 演:キム・ヨンエ

 

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