康熙帝は側室も多く様々なエピソードがあるためドラマにもなりやすいです。
日本でも「宮廷の諍い女」や「花散る宮廷の女たち」「龍珠伝」「皇帝の恋」「宮廷の茗薇」など康熙帝の時代を舞台にした中国ドラマが放送され話題になりました。でも日本人には馴染みのない人ばかりでよくわからない事が多いです。
そこで康熙帝の正室と側室をリストにしてみました。康熙帝は歴代の清朝皇帝の中でもとくに側室の多かった皇帝です。全ては書ききれません。ドラマに登場する人や妃以上の側室を中心に紹介します。
ちなみに
康煕帝の生没年は
生年:1654年。
没年:1722年。
享年68。
妃嬪たちとの年齢差もみてみると面白いかもしれませんよ。
正室
孝誠仁皇后 赫舎里(ヘセリ)氏
生年 1654年(順治10年)
没年 1774年(康煕13年)
享年21。
在位 1665~1674年。
満洲正黄旗 出身。胤礽を生んだ直後に若くして死亡。
康煕帝が最も愛した女性といわれます。
子供:
皇子・承祜(早世)
第二皇子・胤礽(廃皇太子)
孝昭仁皇后 鈕祜禄氏(ニオフル)氏
生年 不明
没年 1678年(康煕17年)
在位 1677~1678年。
満洲鑲黄旗 出身。
父は母方がヌルハチの子孫で重臣のエビルン。
康熙帝の又従妹。康熙帝の生母・孝康章皇后の姪。
孝誠仁皇后の死から3年後。昭聖太皇太后の希望で皇后になりました。しかし翌年死亡。
孝懿仁皇后 佟佳氏(トゥンギャ)氏
生年 不明
没年 1689年(康煕28年)
在位 1689~1689年
満洲鑲黄旗 出身。
康熙帝の生母・孝康章皇后 佟佳氏の姪。弟は雍正帝擁立に貢献したロンコド。
1681年に皇貴妃になりました。
1689年流産で重体。死の直前に皇后の位が贈られました。
名誉職的な皇后です。
子供:
・第八皇女
康煕帝の正室は短命な人が多いです。
孝懿仁皇后の死後、康煕帝は皇后をおかなくなります。
側室
皇貴妃
普通は任命しません。皇后がいないときに行事等で皇后の代理を努めます。名誉称号的に死後皇貴妃になった人もいます。
康煕帝が任命した皇貴妃は佟佳氏(死の直前に孝懿仁皇后に昇格)だけです。
貴妃
普通は側室の最高位。
定員は2名。
同じ期間に3人以上の貴妃は存在しません。
貴妃 佟佳(トゥンギャ)氏
生年 1668年(康煕7年)
没年 1743年(乾隆8年)
享年76。
満洲鑲黄旗 出身。
孝懿仁皇后とロンコドの妹。康熙帝の生母・孝康章皇后の姪。
康煕帝の死後。
雍正帝時代に 皇考皇貴妃 に昇格。
乾隆帝時代は 皇祖寿祺皇貴太妃 になりました。
温僖貴妃 鈕祜禄(ニオフル)氏
生年 不明
没年 1694年(康煕33年)
孝昭仁皇后の妹。
第十皇子・敦郡王 胤䄉、第十一皇女
1676年(康煕15年)入宮。
1683年(康煕22年)に貴妃になりました。
妃
貴妃に継ぐランクの側室。
徳妃 烏雅(ウヤ)氏/孝恭仁皇后
生年 1660年(順治17年)
没年 1723年(雍正元年)
享年63。
死後に皇后になりました。生前の位は徳妃→皇太后
雍正帝の生母。
そのためドラマに登場することも多いです。
包衣(満洲貴族に仕える召使い)出身。
子供:
第四皇子・胤禛(雍正帝)、第六皇子・胤祚、第七皇女、第九皇女・固倫温憲公主、第十二皇女、第十四皇子・胤禵
和妃 瓜爾佳(グワルギャ)氏/惇怡皇貴妃
生年 1683年(康煕22年)
没年 1768年(乾隆33年)
享年87。
康煕帝時代の最高位は和妃。
雍正帝時代に皇考貴妃に昇格。
乾隆帝時代に皇祖温恵貴太妃になりました。
長寿の妃。
雍正帝は先代の妃嬪を太妃にすることなく、皇考◯◯という位を作り昇格させました。
子供:
第十八皇女。
順懿密妃 王氏
生年 不明
没年 1744年(乾隆9年)
子供:
第十五皇子・愉郡王胤禑、第十六皇子・荘親王 胤禄、第十八皇子 胤祄
純裕勤妃 陳氏
生年 不明
没年 1754年(乾隆18年)
子供:皇十七子果親王胤礼
恵妃 那拉(ナラ)氏
生年 不明
没年 1732年(雍正10年)
子供:
皇子・承慶(早世)、第一皇子・直郡王 胤禔
息子の胤禔は康熙帝の長男でしたが、庶子のため皇太子には選ばれませんでした。
康熙帝晩年の後継者問題では胤禔が失脚。
恵妃もドラマによく登場します。悪役になることが多いです。
ドラマや小説では 納蘭(ナーラン)氏になってることも多いです。
宜妃 郭絡羅(ゴロロ氏)氏
生年 不明
没年 1733年(雍正11年)
子供:
第五皇子・恒親王 胤祺、第九皇子 貝子胤禟、第十一皇子・胤禌
栄妃 馬佳(マギャ)氏
生年 不明
没年 1727年(雍正6年)
娘の栄憲公主は康熙帝が最もかわいがった娘。モンゴルに嫁ぎました。
姉妹に馬貴人がいます。
子供:皇子 承瑞(早世)、皇子 賽音察渾(早世)、第三皇女固倫栄憲公主、皇子長華(早世)、皇子長生(早世)、第三皇子・誠郡王 胤祉、
定妃 万琉哈(ワンリュハ)氏
生年 1661年(順治18年)
没年 1757年(乾隆22年)
享年97。
生没年が分かっている中では康熙帝の妃嬪の中では最も長生きした人。
子供:
第十二皇子・履親王 胤祹
宣妃 博爾済吉特(ボルジギト)氏
生年 不明
没年 1736年(乾隆元年)
康熙帝の祖母・孝荘皇太后の従兄弟の孫娘。
成妃 戴佳(ダイギャ)氏
生年 不明
没年 1740年(乾隆6年)
子供:
第七皇子・胤祐
良妃 衛氏
生年 不明
没年 1711年(康熙50年)
後継者争いで皇太子・胤礽や第四皇子・胤禛(雍正帝)と争った 第八皇子・廉親王 胤禩の生母。
辛者庫で働く宮女出身。身分が低かったのですが、美人で性格もよかったので側室になりました。自分の身分が低いのが息子の皇位継承の妨げになるのではないかと心配していました。
「皇帝の恋」のヒロイン 衛琳琅(えい・りんろう)のモデル。
平妃 赫舎里(ヘセリ)氏
生年 不明
没年 1696年(康熙35年)
孝誠仁皇后の妹。ソニンの孫娘、重臣ソンゴトゥの姪。
皇子胤禨(早世)
慧妃 博爾済吉特(ボルジギト)氏
生年 不明
没年 1670年(康熙35年)
1669年に入宮して翌年病死。
他にも
嬪 8人
貴人 16人
庶妃 4人
常在 12人
答応 18人
格格 2人がいました。
康熙帝は歴代の清朝皇帝でも特に側室が多かったようですね。
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