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乾隆帝の皇后と妃嬪たち

清王妃側室 1.2 清の皇后妃嬪皇太后

乾隆帝は清王朝の最盛期を作り上げた皇帝。乾隆帝の時代は新王朝でももっとも華やかな時代でした。乾隆帝は側室も多く様々なエピソードがあるためドラマにもなりやすいです。

日本でも「如懿傳」や「瓔珞」など乾隆帝の時代を舞台にした中国ドラマが放送され話題になりました。でも日本人には馴染みのない人ばかりでよくわからない事が多いです。

そこで乾隆帝の正室と側室をリストにしてみました。乾隆帝は歴代の清朝皇帝の中でもとくに側室の多かった皇帝です。全ては書ききれません。ドラマに登場する人や妃以上の側室を中心に紹介します。

ちなみに
乾隆帝の生年は1711年。没年は1799年。

妃嬪たちとの年齢差もみてみると面白いかもしれませんよ。

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正室

孝賢純皇后 富察(フチャ)氏

生年 1712年
没年 1748年

満洲の名門出身。乾隆帝が皇子時代からの正室。
派手な飾りを好まず質素な身なりを好みました。皇后の務めをよくはたし後宮の尊敬を集める人物だったといいます。

長女(早世)、三女:固倫和敬公主、二男:端慧皇太子永璉(早世)、七男:哲親王永琮(早世)

孝賢純皇后 富察(フチャ)氏の詳しい説明

継皇后 那拉(ナラ)氏

姓は 輝発那拉(ホイファナラ) あるいは 烏拉那拉(ウラナラ)ともいわれます。

他の呼び方:嫻妃、嫻貴妃など

生年 1718年
没年 1766年

乾隆帝が皇子時代からの側室。皇太后に気に入られていたので皇后 富察氏の死後、皇貴妃をヘて皇后になりました。

江南巡幸のとき乾隆帝の怒りをかって幽閉。理由はよくわかりません。そのため諡号がありません。継后と呼ばれます。

十二男:貝勒永璂、五女(早世)、十三男:永璟(早世)

嫻妃 輝発那拉(ホイファナラ)氏の詳しい説明

中国ドラマ「如懿傳」の主人公・烏拉那拉‧如懿は継皇后 那拉氏がモデル。
「瓔珞」の後半のボスキャラ。

側室

皇貴妃

普通は任命しません。皇后がいないときに代理として任命します。
名誉称号的に死後や死の直前に皇貴妃になった人も多いです。

孝儀純皇后 魏佳(ウェイギャ)氏

生前の最高位は令皇貴妃

乾隆帝の側室に「皇貴妃」の称号を持つ人は何人もいますが生前に「皇貴妃」として活動したのは「令皇貴妃」だけ。

他の呼び方は 令貴妃、令妃 など

生年 1727年
没年 1775年

皇后 富察氏に使える侍女出身。皇后 富察氏亡き後、乾隆帝に最も寵愛された女性だといわれます。死後、令懿皇貴妃と贈諡。
息子の十五子永琰が皇帝(嘉慶帝)になり孝儀皇后と追贈されました。

彼女の死後。一家の姓は漢人姓の「魏」氏から満洲姓の「魏佳(ウェイギャ)」氏に変わりました。満洲貴族(旗人)の仲間入りをしたのです。

七女:固倫和静公主、十四男:永璐(早世)、九女:和碩和恪公主、十五男:永琰(嘉慶帝)、十六男(早世)、十七男:慶親王永璘

中国ドラマ「瓔珞(エイラク)」の主人公・魏瓔珞は孝儀純皇后がモデル。

孝儀純皇后 魏佳(ウェイギャ)氏の詳しい説明

慧賢皇貴妃 高佳(ガオギャ)氏

他の呼び方:高貴妃 など

生年 1711年
没年 1745年

皇子時代からの側室。
子供のいない側室が貴妃になるのは異例です。

高貴妃の呼び名が有名。死の直前に皇貴妃になりました。

生前の姓は 高氏ですが。死後、 高佳氏にかわりました。
高貴妃のおかげで高貴妃の一族は旗人(貴族)にとりたてられました。旗人になった証に「高佳」の姓を与えられました。

ドラマでは悪役になることが多いです。

高貴妃の詳しい説明

純恵皇貴妃 蘇氏

生年 1713年
没年 1760年

乾隆帝の皇子時代からの側室。母子ともに肺の病気で死亡。
死の直前に皇貴妃になりました。

三男:循郡王永璋、六男:質親王永瑢、四女:和碩和嘉公主

純恵皇貴妃 蘇氏の詳しい説明 

貴妃

ふだんは側室の最高位。
定員は2名。
同じ期間に3人以上の貴妃は存在しません。

淑嘉皇貴妃 金佳(ギンギャ)氏

生前の最高位は嘉貴妃
淑嘉皇貴妃は死後の追封

他の呼び方:嘉貴妃、嘉妃、金貴人など。

生年 1713年
没年 1755年

乾隆帝の皇子時代からの側室。
ドラマでは悪役になることが多いです。

四男:履親王永珹、八男:儀親王永璇、九男(早世)、十一男:成親王永瑆

淑嘉皇貴妃 金佳氏の詳しい説明

慶恭皇貴妃 陸氏

生前の最高位は慶貴妃
慶恭皇貴妃は死後の追封

生年 1724年
没年 1774年

子供がいません。
令貴妃の息子・顒琰(後の嘉慶帝)が幼い時、幼児の世話で忙しい令貴妃にかわって面倒をみていました。嘉慶帝即位後に皇貴妃の称号が与えられています。

慶恭皇貴妃 陸氏の詳しい説明。

 

愉貴妃 珂里葉特(ケリェテ)氏

生年 1714年
没年 1792年

五男:栄親王 永琪

息子の永琪は乾隆帝が最も気に入っていた皇子。将来の皇帝候補といわれました。しかし若くして死亡。愉貴妃自身はそれほど寵愛されていたわけではないようです。

愉貴妃 珂里葉特(ケリュテ)氏の詳しい説明

婉貴妃 陳氏

生年 1717年
没年 1807年

乾隆帝の皇子時代からの側室。側室の中では最も高齢。
乾隆帝存命時の最高位は婉妃。嘉慶帝時代に婉貴太妃になりました。乾隆帝からは寵愛を受けませんでしたが、嘉慶帝からは大切にされたようです。

婉貴妃 陳氏の詳しい説明

穎貴妃 巴林(バリン)氏

モンゴルの名家出身。

令貴妃の息子で17皇子・永璘を育てました。

生年 1730年
没年 1800年

穎貴妃 巴林(バリン)氏の詳しい説明。

忻貴妃 戴佳(ダイギャ)氏

生年 不明
没年 1764年

六女(早世)、八女(早世)

循貴妃 伊爾根覚羅(イルゲンギョロ)氏

生年 1758年
没年 1797年

貴妃に継ぐランクの側室。
妃の前につく漢字は一人ひとり違います。

舒妃 葉赫那拉(イェヘナラ)氏

納蘭氏とも言います。

生年 1728年
没年 1777年
十男(早世)

舒妃 葉赫那拉(イェヘナラ)氏の詳しい説明。

豫妃 博爾濟吉特(ボルジギト)氏

モンゴルの名門・博爾濟吉特氏出身。ボルジギトはチンギス・ハーン一族の姓と同じですが、豫妃の実家はチンギス・ハーンの子孫ではありません。

生年 1730年
没年 1774年

豫妃 博爾濟吉特(ボルジギト)氏の詳しい説明。

容妃 和卓(ホージャ)氏

生年 1734年
没年 1788年

ウイグル族。香妃伝説のモデル。
紫禁城でもイスラム教徒の戒律を守って暮らしていました。

容妃 和卓(ホージャ)氏の詳しい説明。

惇妃 汪氏

生年 1746年
没年 1806年
十女:固倫和孝公主 

普妃 富察氏

生年 不明
没年 1822年

満洲の名門・富察氏の出身。皇后 富察氏の親戚です。

芳妃 陳氏

生年 不明
没年 1801年

貴人

順貴人 鈕祜祿(ニオフル)氏

生年 1750年
没年 1788年

満洲の名門・鈕祜祿(ニオフル)氏の出身。妃になりましたがなぜか貴人に降格になりました。

順貴人 鈕祜祿(ニオフル)氏の詳しい説明

格格

哲憫皇貴妃 富察(フチャ)氏

生前の最高位は格格
哲憫皇貴妃は死後の追封

生年 不明
没年 1735年

乾隆帝の親王時代の側室、乾隆帝が皇帝になる前に死亡。皇后 富察氏とは別の一族出身。

長男:定親王永璜、二女(早世)

 

他に貴人12人。
常在 4人。
答応 4人。
格格 3人。

がいたといわれます。

乾隆帝は歴代の清朝皇帝でも特に側室が多かったようですね。

コメント

  1. 則竹映里 より:

    中国時代劇はおもしろいですね!

    • Fumiya より:

      則竹映里さんこんにちは。
      面白いですよね。とくに清朝ものは面白いです。
      これからもよろしくおねがいします。

  2. より:

    本当にこの記事は便利なので、ありがとうございます。嬉しいです。

    • Fumiya より:

      草さんこんにちは。
      ありがとうございます。これからも便利な記事を増やしていきたいですね。

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